Column183.オウム裁判、無罪はそんなにおかしいか。 | 打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

テレビ局ディレクター、アナウンサー、国家資格予備校講師、W杯ボランティア、本書き、日雇派遣、不動産飛込営業、コールセンターマネージャ、ITベンチャー人事総務課長という多彩な経験から多角的な独自視点で、今起きているニュースの深層を、徹底的に好き勝手に斬ります。

オウム真理教の信者で、殺人幇助罪に問われていた、
菊地直子被告に、第一審の裁判員裁判の有罪を覆し
東京高等裁判所は、逆転無罪の判決を出した。


この判決に対し、裁判員裁判の結果を覆したとして、
各方面から批判が出ている。


本件の有罪無罪の争点は、
「被告が、自分が運搬していたものが、
 殺人に使われると知っていたかどうか。」
という点だ。


人の内心に関わることだけに、立証するのが難しい。


本件に当てはめれば、爆発に使われた薬品に殺傷能力があり、
それを殺人に使うことを知っていたかどうかだ。


裁判員裁判の東京地裁判決は、
オウム真理教元幹部の井上嘉浩死刑囚の証言をもって、
菊地被告が知っていたと事実認定し、有罪判決を出した。


第二審の東京高裁判決は、この証言の信用性を認めなかった。
本人が思い出しながら語っていた17年前の菊地被告の言動を
よどみなく答えた井上死刑囚に対し、

時間が経過しているのに、よどみなく答えていることに、
信用性を認めなかったのだ。


最高裁判所は、3年前の別の裁判の判決で、
控訴審(第二審)が第一審(裁判員裁判)に事実誤認がある時は、
その事実認定が不合理であることを具体的に示す必要がある。」
としている。


無罪判決を批判する論調は、総じて「常識」に反するとして、
この判決に疑問を投げかけ、裁判員裁判の否定と断じている。


しかし常に裁判員裁判の結果が正しのか。
その結果を覆したことが、即裁判員裁判の否定なのか。
その論調にこそ、疑問を感じる。


確かにオウム事件は筆者も含め、
当時の社会に大きな衝撃を与えた。


だからといって、同じ行為を「オウムだから」という理由で、
罪が重くなるのは、明らかに法の下の平等に反する。


裁判員裁判の導入の目的は、一般国民の感覚を取り入れ、
職業裁判官だけだと落としがちな視点を取り入れることである。
そこに、法の下の平等をも超える価値はない。


犯罪という認識がないなら17年も逃げないはずだ、
というのは一般国民の感覚であることは自然だろう。


法の下の平等であれば、オウムだから怖い、という感情が、
裁判に影響することはあったはならないのだ。
あくまで事件という事実をもとに、進めねばならないのだ。


逃げ回っていたから犯罪という認識があったことを、
裁判で事実認定しなければならなかったのだ。
その判断の分かれ目が、井上証言だったのだ。


確かに今回の高裁判決は、前日の最高裁判決の趣旨に、
かなっているかどうかは、議論の分かれるところである。


ただしあくまで事実認定を行う段階で、
第一審の事実にん手は認めなかっただけで、
裁判員裁判制度の否定など一切していない。


そして何より結果が出るまでは推定無罪であり、
井上死刑囚の発言に信用性が担保できない、となれば、
無罪になるのは当然である。


メディアも、有識者と呼ばれる人たちも、我々一般国民も、
「刑事裁判は、判決が出るまでは推定無罪。」が、
表現の自由と並ぶ民主主義、自由世界の骨格であることを、
忘れてはならない。