中国の習近平国家主席が、米国に続き、英国を訪問した。
英国内の原子力発電や高速鉄道の約束を取り付けるなど、
表向きは、米国の時とは違い、成功に見える。
しかし良くその内容をみると、実は中身がないだけでなく、
それに気づかない?中国政府の応対が露呈された。
まず原子力発電だが、建設に向けて前進しただけで、
稼働するかどうかは、分からない。
この点英国のメディアは、
「中国に遠隔操作されたら安全保障が脅かされる。」
とかなり批判的だ。この批判も織り込み済みだろう。
鉄道に関しては、検討するとなっただけで、
具体的な話は何も前進していない。
中国には残念だが、英国では日立製作所の車両の評判が良く、
高速鉄道は当該車両で十分賄えるという。
国境を超える高速鉄道は、ユーロスターが既に通っている。
既に中国が入る余地はない。
それだけならまだ良い。
エリザベス女王主催の晩さん会では、
チャールズ皇太子が欠席した。
我が国の皇室と違い、英国王室は、
国家の行事には女王に一定の差配権がある。
どの行事に誰が出席するか、
女王の意向が反映されるということである。
自分の後継者である皇太子を出席させなかった、
これが何を意味するか。
もともとチャールズ皇太子は、中国の人権状況に
批判的な考えを示していた、という。
ということは、女王が皇太子の欠席を認めた、とも言える。
つまり「未来も、英国は中国の人権状況を認めない。」
とエリザベス女王の意思を表した、ということである。
にもかかわらず、中国政府の報道官は、
それに対して批判的どころか、一定の理解さえ示している。
我が国に対する対応とは180度違う。
そこまでなめられているのに、習主席は、
当の晩さん会で、日本の軍国主義を批判した。
かつての英国は、現在の天皇陛下訪中の時にみられたように、
先の大戦での記憶を引きずり、決して親日ではなかった。
しかし2002年の日韓ワールドカップで、
英国人サポーターが、大歓迎されたことが本国に伝わり、
日本に対する見方がガラッと変わった。
当時、英国人が国外でサッカー観戦しようものなら、
フーリガンと疑われ、身体検査はそれはもう厳しいものだ。
街中でも決して歓迎されない。暴れると恐れられるからだ。
もちろん英国政府も、
そのような輩は極力外に出さないようにしている。
そのような状況で、英国が勝利した時は、
日本人サポーターが英国人に駆け寄り肩を抱き合って喜んだ。
英国人にしてみれば、まさにコペルニクス的展開とも言えよう。
これを機に一気に親日の方に向かったのである。
直近では習訪英の直前に開幕したラグビーワールドカップで、
日本が南アフリカを破り、英国市民に絶賛された。
そのほめっぷりは、日本人の筆者が恥ずかしくなるくらいである。
習主席から見れば、同じ大日本帝国の被害者の連帯を
強調したかったのだろうが、いつの時代のことを言っているのか。
晩さん会でのその発言が、英国で光を浴びることはなかった。
もっといえば英国は、1997年まで香港を租借していた。
租借と言うが、実態は99年にわたる時限占領であった。
その99年前は、英国を含む欧州列強が、
中国を事実上分割支配していた。
英国はその手段として、アヘンを蔓延させた。
その意味で本当なら、英国も日本に次ぐ
憎き相手になってもおかしくない。
しかし皇太子欠席の非礼を受けても、上述の反応だ。
英国にしてみれば、ここまでしてもおとなしいことに、
中国を余計に舐めることになってしまうのではないだろうか。
中国は、米国との関係でも難しいかじ取りを迫られている。
日本から見れば脅威に見えるが、中国から見る日本は、
米国並みに脅威に見えることは、想像に難くない。
利害が直接ぶつかるから日米とは批判の応酬になるが、
英国とは今のところ利害がぶつかることはない。
それも中国が激しくなることはない理由でもある。
米国には冷遇され、英国にはバカにされ、
本当に頼れる国はどこなのか、
習政権は、1992年の周辺国との関係を検証し、
当時それに失敗した江沢民政権時代を検証した方が良い。