昨日、未曽有の被害を出した地下鉄サリン事件から、
20年が経過した。
世界でも有数な安全を誇るとされていた東京で、
化学兵器にも使われるサリンが通勤時間にまかれたことで、
世界中にも大きな衝撃が走った。
自らの支配欲を満たす為に、言葉巧みに若者を誘い、
違法な薬物までを使ってマインドコントロールをし、
信奉者を盲従させ、出来るわけがない国家転覆を謀った教祖に、
なぜ、優秀な若者が従い、、殺人までを犯すようになったのか、
今なお理解不能な点がある。
以前の本欄にも書いたが、事件を起こしたオウム真理教が
存在した80年代後半から90年代前半にかけて、
我が国は過熱経済、いわゆる”バブル”の只中にあった。
金の力にものを言わせ、あらゆる資産を買いまくり、
余った経費予算で乱痴気騒ぎが繰り広げられる、
バブルの恩恵を相対的に受けられない、経済社会の脇役、
特に学生の中は、その社会の”異常さ”に
疑問を感じていたものも少なくない。
筆者もバブルただ中の時はまだ18歳、大人たちの
モラル崩壊にも近い状況を見て、少なからず疑問を感じ、
同級生ともよくそんな世の中を疑問視する議論をしていた。
大多数の若者なら、それはそれでどうしようもなく、
予測されていたバブル崩壊=就職氷河期に備え、
割り切って考えていたと感じる。
一方でその疑問に対し割り切ることができず、
浮かれる社会から取り残されたような思いを持った若者に、
オウムの教祖の断定的な物言いは、心地良く聞こえたらしい。
求めていたものはこれだ、と言わんばかりに、
その教祖の言葉を、疑うことなくとことん信じ、
一旦信じたものを覆せない心理的な葛藤が、
冷静・客観視することをさせなかったのであろう。
ついには最悪のテロ事件を起こした。
場所を変えて中東では、宗教の名の下に若者を集め
勢力を拡大しているテロ組織が、
イスラム国など複数存在している。
これらの組織も、国家の枠は超えるが、
やはり社会からの疎外感をもった若者をターゲットに、
共感させ仲間にして、殺りくなどの行為をさせている。
まさにオウムと同じように見える。
その意味で根は同じとも言える。
一方で、オウムに集まった若者は、
高学歴、専門知識をもったいわゆるエリートである一方、
中東でのテロ組織に集まる若者は、職にありつけない、
どちらかというといわゆる下流層が多い。
その意味では、真逆とも言える。
根は同じに見えて真逆な面もあり、
その点で一括りにはできない。
ただ、本来なら社会の活力の源泉である若者が、
社会の変化で取り残されている構図は、
近代までの社会では考えられなかったことである。
若者が未来を感じられないと、それだけで活力がそがれるし、
負の方向に向かったら、テロのような大きな事件になる。
何より若者自身の将来にも大きく影響する。
若いうちの苦労は買ってでもせよ、と言うが、
苦労したところで明るい未来が描けないのでは頑張れない。
しかし頑張らなけれ、明るい未来を築けないのも確かだ。
その意味で、今の人類は下りのエスカレーターを
必死で登らなければならない状況にある。
その構造を変えることはできなくても、
皆がそのエスカレーターを登れるだけの環境を、
それぞれの国で整える必要があるのではないだろうか。