きょうは、御嶽山の噴火について取り上げます。
先週の本欄をUPしたころ、長野県と岐阜県の境にある、
御嶽山(標高3067m)が、水蒸気爆発を起こし、
47人もの方がなくなり、少なくとも16名が行方不明という、
痛ましい災害が発生してしまった。
御嶽山は、火山の中でも活動は少なく、
近年の噴火でも、大きな事故には至らなかった。
また、噴火の兆候を示すと目安となる、
火山性微動も、2週間前にやや多くはなったものの、
これまでのデータから、大きな現象に至るとは判断されず、
噴火の約10分前に初めて大きくなった。
10分前は、避難の時間からすれば、
もはや同時と言ってよいだろう。
予知など到底不可能であった。
さらに、夏の長雨の反動、紅葉の季節、
標高の割には相対的に楽に行ける場所、
土曜日の昼前など、一番登山客が集まるという、
タイミングが、被害を大きくしてしまった。
登山の事故は、滑落や雪崩など、
一定の事故に巻き込まれることを織り込んだ上で、
それでも挑戦することが多い。
敢えて危険なレジャーに挑んで事故に巻き込まれ、
その捜索に税金が使われることに、批判も多い。
しかし今回の場合は、予知できなかった噴火、
相対的に危険ではない場所、ということで、
税金が使われることへの批判はほとんど聞こえない。
それより今回問題点として浮き彫りになったのは、
「誰が行方不明か分からない。」ということだ。
登山の場合、登山口に登山届を入れるポストがある。
自分が登山・下山した足跡を残す意味合いがある。
何かあっても、すぐに安否を確認するためである。
しかし実際は半ば形骸化しており、
行方不明が「少なくとも16名」と冒頭で書いたのは、
公的機関が一時発表した数値では、70人を超えていた。
登山届を出さなければ、登ったかどうかわからない。
これが、被害の状況把握を難しくしている。
噴火によって巻き込まれないのが一番だが、
自然相手では、いつ、何が起きるか分からない。
次善の策として、登山カードの励行や、
処罰ではない一定のペナルティ
(捜索費用の自己負担など)を
考えなければならないのかもしれない。
何でもかんでも規制するのは、
自由主義国家にはそぐわないからこそ、
法令等で規制するのではなく、
業界団体や愛好家が自発的にガイドラインを作り、
啓発を続けていく必要性があると、
今回の災害で、強く感じている。
今週もお読みいただきありがとうございました。
皆さんは、どんな思いでこの災害を見ていましたか。
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