きょうは、先の大戦の検証について触れます。
第二次世界大戦で、日本が事実上の全面降伏を
受け入れることを、昭和天皇がラジオを通じて、
国民に発表してから、昨日で69年が経った。
我が国では、この日をもって終戦記念日、としている。
しかし実際は、千島列島で9月に入っても
ソ連との戦闘は続いていた。
事実上の降伏を受け入れるポツダム宣言への署名は、
9月に入ってからだ。
このポツダム宣言により、我が国は、
7年近くもの間、敵国に占領され続けた。
そして、サンフランシスコ講和条約締結で、
我が国は主権を回復した。
ここに、筆者が初頭から「事実上の」降伏、
という表現をしている理由がある。
ポツダム宣言は、その内容こそ、
我が国の全面降伏ではあるが、形式上には、
「占領を認める代わりに休戦する」ものであった。
主権を回復したサンフランシスコ「講和」条約、
という名称が、それを証明している。
そう、「講和」なのだ。
形式上は、”勝敗つかず和睦した”のだ。
休戦から7年近くで、講和によって
第二次世界大戦が終了したのだ。
その7年の間に、極東軍事裁判が開かれ、
日本軍の行為などが糾弾された。
刑に処せられた者もいた、絞首刑も含め。
戦争を起こした責任は問われるべきものである。
一方で、休戦中とはいえまだ戦争中、
刑の執行であったとしても、
戦争相手の敵国に殺された、戦死なのである。
そしてその責任は、本来、我が国自身で
然るべき対処が行われるべきものである。
しかし、それをなすことはできなかった。
講和の条件には、その極東軍事裁判の結果を
受けれいるともあった。
つまり、それを破棄するのは、戦争の再開を意味する。
極東軍事裁判では、「平和に対する罪」も裁かれた。
しかし、平和に対する罪は、太平洋戦争が始まった時点で、
国際法上にその罪状はなかった。
いわゆる事後法の適用である。
法治国家において、事後法、というのは、無効である。
なぜなら、後から罪を作れてしまったなら、
国家が、貶めたい人間の行為を罪として
陥れてしまうことができてしまうからだ。
事実、インド出身のパール判事は、
「行為時になかった罪で裁くのは無効。」として、
全員に無罪を主張している。
裁判の中で、米国が原子爆弾を使った理由に対して、
外国で民間人を大量に殺害した国を抑えるには、
それ相応の手段が必要だ、として、
南京大虐殺を例に、原爆使用を正当化した。
当時の南京の人口を超えることは、
その時から指摘されていた。
この裁判は、占領政策の一環である。
占領政策自体を主導したのは、米国である。
自由と民主主義のリーダーを標榜する米国が、
それに真っ向から対立する事後法の適用を行使したのだ。
それらもひっくるめて、我が国は”講和”した。
それはそれで過ぎたことだから取り消しようがない。
しかしそれも含めて、一体何があったのか、
日本人の手で検証されてはいない。
読売新聞が、ようやく検証を始めた程度である。
なぜ、政府系のシンクタンクが、敗戦すると結論付け、
また、山本五十六や海軍の官僚だった中曽根康弘などが、
当時反対していたにも関わらず開戦したのか。
なぜ宣戦布告が米国政府に届いたことを確認せずに、
真珠湾を襲撃してしまったのか。
なぜ、長崎原爆を積んだ飛行機に対し、
空軍の見張りが「要警戒」という情報を
上げていたにもかかわらず、見過ごされたのか。
そして、他にも多くのなぜがあるが、
なぜ、多くの人たちが、亡くなったのか。
それをしないまま時がたって、
従軍慰安婦という問題が出てきた。
それもこれも、我が国国民の手で、
検証をしてこなかったツケではないか。
戦前の国家体制に親和的な人たちがそれをしなかったから、
批判的な人たちの、証拠もないことを完全なる事実をとして
広めてしまうことを許してしまったのではないか。
曖昧にしてしまったからこそ、例えば、
日本に勝利したのは、国民党の中華民国なのに、
共産党が勝利したと喧伝させてしまっているのではないか。
後1年で70年である。
サンフランシスコ講和条約の締結国に、
ソ連は入っていない。
つまり我が国は、ソ連を引き継ぐロシアとは、
法的には戦争の決着がついていないのである。
だから、平和条約を締結できない。
あれだけ反日運動に躍起な中国でさえ、
日中平和条約を破棄しよう、という声は、
皆無なのに、である。
我が国政府が、南樺太と千島列島を、
「国境未定地」としているのは、
そういう理由からなのである。
客観的な検証がなければ、
それぞれの立場を主張する人たちが、
相いれない主張をする人たちを
非難するだけに終わってしまう。
残念ながら、それがずっと続いている。
検証を始めれば、お互いに、
都合の悪いことも出てくるかもしれない。
しかし、それも含め事実は事実なのである。
戦争を、大人として経験した世代が、
ここ最近になって、閉ざした口を開き始めている。
つらい記憶として心にしまっていたことを。
戦争を、教科書の歴史として学んだ我々世代は、
戦争の中を実際に生きてこられた世代から、
生の声を聞く最後の機会である。
来年まで時間は短いが、少しでも多くの事実を、
そしてその事実がなぜ起こったかを検証している、
来年の8/15は、そのような中で迎えたい。
今週もお読みいただき、ありがとうございました。
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