きょうは、都知事選を通じたメディア報道を取り上げます。
今回の都知事選挙におけるメディアの報道の内容が、
メディアによって全然違うことにお気づきの方も多いだろう。
まず新聞、各紙とも、ある候補が優勢だと伝えている。
水と油の産経と朝日も然りだ。
テレビ各局、ここはだれが優勢だとかは、
ほとんど伝えていない。
通常なら、系列の新聞の結果を大々的に伝えるが、
今回はほとんど目立っていない。
週刊誌やタブロイド紙は、新聞が優勢と伝える候補とは、
別の候補をあからさまに応援している。
そしてネットは、さらにまた別の候補にも支持が集まっている。
なぜこんなことになってしまうのか。
理由は、全て憶測の域を出ないが、
ある媒体は、国家権力との介入もしくは結託、
ある媒体は、その介入・結託を非難する、
ある媒体は、特定の思想を持つ人が集まりやすい、
ある媒体は、バランスを取るために控えめにしている、
ということではないか、と分析されている。
本来、報道とはできる限り主観を排し、
客観的に事実を伝えるのが使命だ。
もちろん、何がニュースなのか、
何を取り上げるべきか、という、
最初の取捨選択の段階で主観が入ってしまう、
という事実がある。
だからこそ、選択眼とより客観視が求められる。
であれば、メディアに関わらず、同じ内容になるはずだ。
(事実と意見は別にすることが前提。)
しかし、媒体によってここまで違うと、
もはや報道とは呼べない。
プロパガンダもしくは意見(非難?)の羅列だ。
そして、何より受け手の側も、見聞きしたことを、
鵜呑みまたは一切受け付けない、のではなく、
「疑問」と「やや批判的」な視点で、
同じニュースを、多くの媒体で比べて、
自分なりの意見をもつようにすることが求められている。
でないと、一定の方向に引きずられてしまう恐れがある。
「疑問」と「やや批判的」、簡単に言えば、
「本当にそうなの?」という思いながら見聞きすることである。
知事選の争点に対してもそうだ。
「原発は本当に争点なの?」
「原発が争点ではない、って本当なの?」
と、正反対の見方双方に対しても、
「本当にそうなの?」という視点を持つことが必要だ。
それを繰り返していれば、取捨選択眼がも養われる。
自分の中でも確固たる意見が持てるようになる。
もっといえば、発信者に対する見方も鋭くなる。
例えば、同じ経営者出身の国会議員でも、
誰が本当に国民のことを考えているか、
一目瞭然でわかるようになる。
筆者も、もともとは、そんな感覚は持ち合わせていなかった。
人より劣っていただろう。
しかし、あらゆるニュースに触れ、仕事でもかかわったことで、
一定の感覚は養われたのかな、と感じる。
その一方で、その自分の発信したこと、考えに対しても、
「本当にそうなの?」と考えている。
そうしないと、独りよがり、時には、例えば事実誤認という、
致命的なミスを犯してしまうことになってしまうからだ。
自身の意見を批判的にみることで、
それに対する反論も考えることができ、
自分の意見が、より確固たるものになる。
その意味で、今回の都知事選報道は、
独りよがりになってしまってやしないか、と思ってしまう。
皆さんにも、是非「本当にそうなの?」という視点をもって、
メディアを見ていただければ、と願う。
当然に、この記事、引いては小欄全体に対してもである。
今週もお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、いかがお感じですか。