きょうは、あす投票を迎える、沖縄県名護市長選挙について書きます。
米軍普天間基地の移籍先として有力候補となっている、
辺野古を抱える沖縄県名護市長選挙の投票が、あす行われる。
2人の候補のうち、各紙世論調査では、
いずれも特定の一方の候補やや有利としているが、
態度未定も多く存在し逆転もありうる、
という、お決まりの結果を伝えている。
世論調査は、選挙の結果ばかりに目が行っている。
何のための選挙か、選挙後に当選者が
どのような政治をするのかが重要にもかかわらずだ。
もちろん、今回の選挙の争点は明確で、
その選挙後のことが問われている。
争点をするかが争点となってしまっている
都知事選挙とは雲泥の差だ。
しかし残念ながら、その選挙後の争点が
明らかにもかかわらず、
選挙結果どころか、選挙の過程が、
地域に深刻な影響を与えている。
それは、「地域分断」だ。
今回の選挙戦は、米軍基地移転に
賛成か反対かという考えより、
どちらにつくか、という敵味方のどちらになるかを、
有権者に迫っている様な気がしてならない。
賛成・反対なら、選挙を通じて議論を
重ねるのが望ましいが、残念ながら、
賛成の立場なら反対の人は敵、
と言わんばかりの対立が、激しさを増している。
ただ、この対立の激しさは、
何も今回の名護特有のものではない。
戦後の我が国の首長選挙ではどこでも見られたことだし、
我が国に限ったことではない。
タイでは、タクシン元首相派と
反タクシン派の対立が、10年近く続いている。
今週始まった、首都でのデモが激しさを増している。
自由・民主主義の盟主を標榜する米国でも、
民主・共和という二大政党が、
常に激しい選挙戦を繰り広げ、国を二分してきた。
おととしの大統領選挙でも、
オバマ・ロムニー両候補の差はわずか2%弱だった。
別に、この年に限ったことではない。
2000年の、ブッシュ・ゴアの得票差は、
全投票数の1%にも満たなかった。
もっと遡れば、ケネディ・ニクソンの
1960年の大統領選挙では、2000年より差が少なかった。
そうやって対立しながらも、結果が出た後は、
「ノーサイド」の精神で、二分された状況を克服してきた。
ただ、最近は克服できていないのが気になる。
共和党の支持者の中で、茶会といわれる
妥協しない強硬派が台頭しているからだ。
タイでも、収まる様相は見せない。
沖縄でも、対立は続けながらも、
県外からの勝手連的な動きがありながらも、
選挙後は、二分された動きは治癒されていた。
しかしながら、今回の名護市長選挙は、
選挙後に治癒されるかどうかは予断を許さない。
なぜなら、地元のインタビューで答える人には、
どちらへの支持ではなく、「対立の解消」を望む声が多いからだ。
名護も、世界の潮流に違わず、
選挙後の対立が治癒できない恐れが、
現実になりつつあるのを、実感しているからだろう。
基地という特有の事情があるから、とは言えない。
何か大きな争点があれば、対立は激しくなる。
名護は、それが基地移転、という話だ。
米軍基地は、沖縄の問題ではない、日本全体の問題だ。
名護市民だけがその判断をするのは、
名護市民にも酷だし、名護市民以外の日本の有権者が、
我がこととして考えねばいけない問題だ。
その論理展開で言えば、
東京都知事選は、それが原発になるかどうか、
ということの答えがおのずと出てしまうが…。
ただ、市長選挙である以上、名護市民以外は、
直接的な行動(=投票)はできない。
とはいえ、我がこととして考えるだけでも、
次に自分が投票する選挙で、より確固たる考えで投票ができる。
その意味で、明日の投票日は、自分が名護市民ならどうするか、
そう考えるだけでも、非常に意義のあることだ。
なぜなら、まず、東京都民には、3週間後に、
自身の首長を決める選挙が待っているのだから、
原発の問題が、都政にとって重要かどうかの判断も含めて。
皆さんは、どのように感じられましたか。
今週もお読みいただき、ありがとうございました。