きょうは、少し前の話題ですが、
他の喫緊の話題で先送りにしていたこの話題です。
先日、最高裁判所において、
婚外子と嫡出子(以下”婚内子”と表現します。)の、
遺産相続分が、前者が後者の半分は、
憲法の「法の下の平等」に反しているとして、違憲との判断を示した。
このこと自体、全く異論の挟む余地のない判断だと評価したい。
なぜなら、生まれてきた子供には、何らの責任もなく、
自身の努力ではどうしようもないことで差をつけられるのは、
差別以外の何物でもないからである。
しかし、それ以外の判断については、理解に苦しむ事だらけだ。
判決文の中で、
「遅くとも平成13年7月当時
(筆者注:本裁判における相続開始時点)において、
憲法14条1項に違反していたものというべきである。」
としている。
その前の行りでは、「婚姻、家族の形態が著しく多様化しており、
これに伴い、婚姻、家族の在り方に対する国民の意識の多様化が
大きく進んでいることが指摘されている。」
としている。
しかし、なぜ「平成13年7月当時」で線引きできるのか?
多様化しているのであれば、時期で区切ることは、
そもそも無理なのではないか。
いみじくも、別の行りで、
「A(本裁判の原告)の相続の開始時(前での平成13年7月のこと)
から本決定までの間に開始された他の相続につき、本件規定を
前提としてされた遺産の分割の審判その他の裁判、遺産の分割の
協議その他の合意等により確定的なものとなった
法律関係に影響を及ぼすものではない。」としている。
先の行と併せて要約すれば、
「平成13年7月の時点では、差別は違憲状態だったけど、
その時から今日の判決までに起きた他の相続については、
この判決には従わなくていいよ。」
と言っているのである。
もし適用してしまったら、相続時に遡ってやり直さねばならず、
混乱してしまう、ということで出された判断ではあろうが、
これでは、裁判にせず、法律の規定を受け入れた婚外子にとっては、
たまったものではない。
ここで、2つのケースを考えたい。
【ケース1】
○登場人物 A、B(Aの配偶者)、C(Aと婚外子Yを設けた)、
X(AとB)の子、Y(AとCの子)
このケースでBが亡くなると、Bの財産は、AとXの半分ずつ相続される。
その後Aが亡くなるとどうなるか。XとYで分けることになる。
ということは、Bの財産は、間接的に、何らの血縁・姻戚関係のないYに、
一定の財産が行ってしまうことになる。
このとき、Xは、Aと同居していた。Bが亡くなる前から一緒だった。
そして、AとBの財産は、半分ずつ共有の、その家だけだった…。
Xは、Bの死亡時に、家の持ち分のうち、1/4を得たことになる。
Aはも1/4を得て、元々の持ち分1/2と併せて、3/4持つことになる。
そして、今回の判決に従えば、Aの死亡時に、XとYは、3/8ずつ得る。
従前の規定でも、Yが1/4得ることになる。
Xは、Aの死亡後に、初めてYの存在を知った。
それまでは、その家で続いてきたAB夫婦の唯一の子供として、
その家を継ぐ唯一の存在だと信じていた。
そこに、その家とは無関係のYが現れて、
家の所有権のうち、3/8(または1/4)を持たれたしまった。
これでは、Xの生活基盤を揺るがすことになってしまう。
Xには何の責任もない。(もちろんYにもだ。)
Bの遺産も、全くの他人であるYに、
実の子Xとおなじ分が行ってしまうことも、
不合理でない、とは言えないのではないだろうか。
【ケース2】
○登場人物 A、B(Aの配偶者)、C・D(ともにAとBの子)
このケースで、Cが生まれたとき、AとBは婚姻届を出していなかった。
つまり、婚外子ということになる。これは、父親が認知しても、である。
その後、AとBが、何らかの事情で、入籍することにし、
そしてDが生まれた。Dは婚内子になる。
ABCDは、1つの家族して、生活を重ねて行った。
さらに月日がたち、Aが亡くなった時、Bは半分、
CとDで残りの半分を分けるが、Cは婚外子ということで、
Dの半分になってしまった。
同じ両親の下に生まれたのに、両親の婚姻届提出の時期が違うだけで、
何らの責任のないCが、Dの半分しかもらえない。
ケース1,2を比べれば、同じ婚外子の問題でも、
状況によって、同じ規定が、全く逆の不合理な結果を招いている。
つまり、相続は家族の問題であり、その家族は、判決が示している通り、
「家族の形態が著しく多様化しており」、一律の線引きなど、
本来物理的に無理でなのである。
なので、争いになった際は、
その家族個別の事情を踏まえて、何が一番当事者双方にとって、
一番良い形になるかを考えて判断がされるべきものである、と考える。
法の下の平等に反する、とした判断は、至極当然だが、
このように、家族個別の事情がある以上、
原則は原則として、その上で、個別事情を
加味して判断するのが、妥当であっただろう。
少なくとも、全く責任のない子供に、
不合理を押し付けるようなことは、絶対に合ってはならない。
不合理がどうしても出るなら、その不合理も平等にすべきである。
しかし、この判決は、それをしなかったことで、大きな火種を、
油に投げ込んでしまったとしか、どう考えても思えない。
問題は、多発してしまうだろう。
親が亡くなってから実は兄弟がいた、ということは、
決して少なくないことなのだから。
今週も、長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、いかがお考えでしょうか。