きょうは、昨日の憲法記念日にちなんだ話題をお伝えします。
昨日は、現行の日本国憲法が施行されて、66年が経過した日だった。
憲法改正に意欲的な、安倍首相が政権に返り咲いてから、
改正論議が一気に高まり、与野党の主張もかまびすしくなっている。
【96条は、単なる手続きではない】
こと、改正要件である96条の改正が、先行されている。
先に要件を緩和して、次に、別の条文の改正に
つなげようということであろう。
※第96条第1項※
この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、
国会が、これを発議し、
国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は
国会の定める選挙の際行はれる投票において、
その過半数の賛成を必要とする。
筆者は、以下の点で、この「先行」に、非常に強い違和感を覚える。
・要件緩和を、単なる手続きの問題にしている。
・最高法規である憲法を、国会議員の過半数
(または半数)の意思だけで発議してよいのか。
この発議要件の緩和を、先にしようということなのだが、
主張や論評等には、「まず手続から変える。」という声が聞かれる。
はたして、単なる手続なのか?
発議は、国会がその決議として、国民に対して、
「この改正案を承認してもらえませんか。」と提案するものである。
その賛成に、半分で良いのか、
2/3を必要とするのか、では大きな違いがある。
半分の賛成があるということは、少なくとも、
半分の反対・棄権、つまり賛成はできない国会議員がいることになる。
半分近くの国会議員が賛成できない改正案と、
2/3以上が賛成している改正案なら、
どちらが国民に受け入れられやすいか?
そう考えれば、単なる手続での問題ではなく、
改正案に重み=正当性をどれだけ持たせるかどうかの、
非常に重要な問題なのである。
ただ、確かに2/3というのは、いささかハードルは高い、
という意見に、反対するものではない。
なぜなら、憲法の在り方があって、
初めて、改正要件も決められるからである。
どのラインが、一定の正当性を持たせられるか、
徹底した議論が必要であろう。
少なくとも、今度の参院選までの3か月でできるものではない。
その際、決して数値遊びにならないようにするためには、
今後の日本国憲法の在り方・目的から論議し、
そのためにどのような憲法が必要かを案として決めて、
その中で、発議要件(そもそも国会が発議者になるかも含め)も
決めていくようにしなければならない。
発議要件は重要な問題だが、あくまで改正の手段であり、
それだけを先行するのは、そもそも本末転倒なのである。
特に、他の国に比べ改正しにくいから要件を緩和する、など、
憲法の在り方・目的を無視した、もってのほかの主張なのである。
(それに、日本国憲法より要件が厳しい憲法も多く存在する。)
【改正論議すらいけない、の矛盾】
もっと、もってのほかと感じる主張がある。
それは、改正反対論者の一部に見られる、
「論議すら不要」とする主張である。
この論拠の背景には、第9条第2項を変えてはいけない、
日本を戦争する国にしてはいけない、という信念がある。
※第9条※
1日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
そもそも、憲法は何のために存在するのか。
国民の生命を守るために存在するからこそ、
(国民がいなければ、国家が成立しない)
その生命を脅かす戦争に反対なのではないか。
では、第9条第2項が、本当に、国民の生命を
脅かさないことにつながっているのか。
それすら論議できない、というのでは、
国民の生命を守る具体策すら論議できないことなる。
ということは、国民の生命を守る国家の責務を放棄しろ、
と、矛盾したことを言っているのと同じになる。
国民の生命を守るという目的のために、
第9条2項を堅持するのではなく、
第9条第2項の堅持そのものが目的になってしまっている。
えてして政治的な議論は、目的を達成するための手段が、
いつのまにか、目的になってしまうことが多いが、
本来の目的は何かそれを常に念頭に置く必要がある。
そして、政治家だけに任せるのではなく、国民一人一人が、
国民が安心して暮らせる社会づくりのために、
どういう憲法が必要かを考えることが本来の姿ではないか、
昨日の憲法記念日は、そう感じながら迎えている。
皆さんは、ここ最近の論議を、どのようにとらえていますか?
今週もお読みいただき、ありがとうございました。