Column43.根は同じ、体罰と柔道暴力問題。 | 打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

打倒池上彰(さん)!? 元局アナ・元日雇派遣労働者がニュースの深層を斬る!!【毎週土曜更新】

テレビ局ディレクター、アナウンサー、国家資格予備校講師、W杯ボランティア、本書き、日雇派遣、不動産飛込営業、コールセンターマネージャ、ITベンチャー人事総務課長という多彩な経験から多角的な独自視点で、今起きているニュースの深層を、徹底的に好き勝手に斬ります。

今週は、大阪・桜宮高校の体罰問題で、
当の教諭が送検されたことから、この問題を取り上げます。



桜宮高校の問題だけでなく。柔道女子日本代表の暴力指導は、
日本オリンピック委員会の処分や、
国際柔道連盟が調査になりだすまでに発展した。



この2つの問題は、根は共通であると、筆者は考えている。



それは、指導をする上で、問題となる指導者に言えることは、
・今できないことに挑戦うまくいかないこと
・ほめることのできない言動をとること
 この2つを一緒くたにしてしまっていることだ。



前者はスポーツ・勉強など自身のスキルを上げること、
例えば、サッカーのフリーキックをいかに正確にするか等である。
そこに、できないこと悪意はない。



後者は、人としてあるまじき行為、例えば、
悪態をつく、人の邪魔をする、宿題をやらない等である。
そこに、行為に悪意がある。



もっと簡単に言えば、前者は罰の対象にならない。
後者が罰の対象になる、ということである。



その意味で、桜宮高校でおきたことは、
前者に対しての行為であり、それを”罰”ということ自体、
そもそも認識がおかしいのである。
議論する際も、この点を踏まえねばならない。



今回の問題で、元プロ野球選手の桑田真澄氏の指導論が、
一定の注目を集めている。



筆者は、兼ねてより、桑田氏の指導論に、大きな感銘を受けていた。
それが前述の、「悪意の有無」である。



桑田氏が主宰する少年野球チームでは、
打撃、守備などの技術向上に関しては、
できなくても徹底的にほめている。



一方、バットやグローブなどをぞんざいに扱った場合は、
チーム全員を一列に並ばせ、その行為の愚かさ、
買ってくれた親への感謝を忘れたことを叱責していた。



ここに言えることは、全ては、
主役である選手たちの人間性・技術向上のため、
悪意の有無で、ほめるかしかるかを使い分けている。



しかし、体罰に出たり暴言を吐く指導者は、
悪意の有無という相反する大前提が存在しているのに、
それを一緒にしてしまっている。
いや、思考が停止してしまっていると言っても過言ではない。



もっといえば、我が国における罰は、
憲法の罪刑法定主義から、事前に基準を定めなければならない。
その意味でも、体罰は絶対に認められないのである。



仮に、罰が指導者の裁量として認められていたとしても、
指導者の思い通りにならないから、体罰という暴力や
そこに行かないまでも、暴言をしてしまう。



思い通りにならない、つまり、
本来指導の主役である指導される側ではなく、
指導者が自身を主役におくと言う、
あるまじき勘違いが、それを生んでいるのだ。



筆者自身、何度か指導者の立場になり、
正直、そのような勘違いに陥ったことがある。



相手からの感謝、周囲の評判で否応なく知らされ、
そのたびに、反省・改善を繰り返してきた。



少しでも、相手に対する愛・貢献を忘れ、
自己陶酔に陥れば、指導にはならない。
単なる自己満足であり、指導力は著しく損なわれる。



職場で問題になっているパワーハラスメントも、
根は共通ではないかと感じる。



常々そう感じていた矢先に、
桑田氏の指導論を見て、感銘を受けた。



指導、という字のごとく、
行くべき方向を「指して導く」ことしかできず、
実際に行くかどうかは、指導される側に選択権がある。



適切な指導をすれば感謝されるが、
導いた方向に行ってくれたことと感謝をいただいたことに、
指導者は、むしろ感謝をすべきなのではないだろうか。



その思いを、社会全体で共有できたときに、
体罰や暴力暴言指導は、撲滅すると感じている。



今週も、お読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、いかがお感じでしょうか。


指導とは性格が違いますが、当ブログも含めた、
一切の意見・感想の陳述・論述も、
独りよがりではいけないと感じています。


「あくまで私の意見であり、それが絶対ではない。」
ということだと、私は考え、当ブログを書いています。


なので、最後に「皆さんは、いかがお考えですか。」
という拝聴の思いを書いています。実際にお伺いしたいからです。


また、独りよがりだと読まれない、
読んでほしいという目的も達せられません。


その思いも含めて、いつもお読みいただいている皆さんに、
改めて、感謝を申し上げます。