きょうは、田中真紀子文部科学大臣による、
新設大学不認可騒動について取り上げます。
田中文部科学大臣が、同省の審議会に諮問していた、
来年春開学の新設校3校を、一旦不認可と表明しながら、
結局は認可することになり、その顛末を謝罪した。
この騒動で、3校のうちの1校を第一志望にしていた学生が、
出願期限の関係で、第2志望に切り替えざるを得なくなるなど、
人の人生を大きく狂わせることにもなった。
それだけも深刻な問題だが、もう1つ、
法治国家の前提を根底から覆しかねなかったことは、
あまり大きく取り上げられていない。
当初田中大臣は、不認可の方針の理由を、
量の増加による大学の質の低下の歯止めを上げた。
確かに、大学の数が増え、
質の低下が指摘されていることは事実である。
しかし、それは既存の大学の問題で、
そちらに対して施策を打つべきであり、
新設3校を不認可にしたところで何の解決にもならない。
しかも、3校不認可の一方で、
同時に申請されていた既存の大学の増員は認めており、
対応が正反対であり、量の増加歯止めになっていない。
今回の新設3校は、現在の法令の手続きに則り、
文部科学省の指導のもと、法的には適正に進められてきた。
その最後の段階で、文部科学大臣が、
本当に認可してよいかどうか、
大学設置・学校法人審議会に諮問し、
問題ないとの回答を受けたのに、不認可の方針を公にした。
つまり、文部科学大臣が、
問題ないと判断したから諮問したのに、
お墨付きを得ながらそれを覆したことになる。
量の増加が問題なら、現行の手続きや基準を改正すべきで、
新設3校にその問題の負担させるべきではないのに、
不認可という理不尽な結果を押し付けた。
これでは、為政者による恣意的な乱用で、
法令を守っても意味がない、となってしまい、
法治国家の大前提が崩れてしまう。
もし、現行の法令に問題があれば、
その法令を改正して対応するのが法治国家だ。
(大臣が諮問しながら無条件に覆せる制度も問題だが。)
一方、為政者の恣意的な運用がまかり通る国家、
それはすなわち人治国家である。
民主主義国家では絶対にあってはならない。
田中大臣は、その、
絶対にしてはならないことをしようとしたのである。
つまり、我が国を人治国家にしようとしたのである。
田中大臣は、石原前都知事の国政復帰を、
書籍名をもじって「暴走老人」と皮肉ったが、
まさに「暴走大臣」と言われても仕方がない。
民主党政権が繰り返してきた、愚の政治主導が、
ついに極まれり、といっても過言ではない。
民主主義国家の存在をも危うくした田中大臣は、
一刻も早く辞任すべきである。
辞任しないなら、野田首相は、即刻罷免すべきである。
しかし、例によって党内事情しか頭にないのか、
そのそぶりも見せない。
自民党も、参議院で問責決議案を出すのか出さないのか、
はっきりしていない。
4月に、田中大臣の夫である、
当時の田中直紀防衛大臣に対しては、
閣僚の資質を問う問責決議案を出した一方、
今回は、それをもはるかに上回る
深刻な事態であるにもかかわらずである。
一昨日あたりから、急に、
衆議院の年内解散が、現実味を帯びてきた。
そちらにしか関心がなくなって、
今回の騒動に無関心となっているのであれば、
我が国は、暴走大臣による”迷走国家”になりかねない。
今回も長い文章をお読みいただき、ありがとうございました。
皆さんは、いかがお考えですか。