三島由紀夫の死とは何だったのか② | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

三島由紀夫の死にふれて、週刊ポストに寄せたヘンリー・ミラーのコメントを引用します。

 

引用開始

 

*三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか。それを問うているのだ。かつて大衆の意識変革に成功した人は一人もいない。アレキサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知る限り誰一人として、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅させるときもまだ眠ったままだろう。いや、大衆を丸太みたいにあちこち転がしたり、将棋の駒みたいに動かしたり、鞭を当てて激しく興奮させたり、簡単に(特に正義の名を持ち出せば)殺戮に駆り立てたりすることはできる。しかし、彼らを目覚めさせることはできない。大衆に向かって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても無駄に終わるだけだ*

 

引用終了
 

デモクラシー批判という視点に限定するなら、私はこのヘンリー・ミラー氏の言葉に100パーセント同意したい。しかし、三島の行動を大衆の意識変革という啓蒙的なものだったという含みでミラーがこれを言うなら100パーセント反論したい。市谷のバルコニーで、最後の演説をぶっているときの自衛隊員の野次をきく三島の孤独な笑顔をみるとき、彼は、とっくにそうした認識を超えていただろうと思います。

 

私は当時中学一年でこの事件をテレビで見ていました。むろん、その時何が起きたのか想像すらできませんでしたが、「バカヤロー」「キチガイ」と三島に野次を浴びせる自衛隊員を見て直感的に嫌な感じがしたのをよく覚えている。「こいつらは卑劣な奴らなんだ」と。

 

お話を大衆に戻しますと、啓蒙などで大衆意識が変わるぐらいならギリシャに始まる今日のデモクラシーもまったく違うものになっていた。今日の大衆と同じように、過去における大衆もまた我々と同じように不完全であったろうし、これから先も何一つとして変わらない。だから不完全な生き物としてのわれわれは慣習の中に堆積されているであろう、物事の考え方や選択の基準としての「伝統の知恵」に依拠せざるを得ないのです。

 

三島は死ななければならなかった、それももっとも日本的な死に方でなければならなかった。

 

(三島の中の)「内なる天皇」とともに。

 

「三島さん、貴方の天皇だけが天皇じゃありませんよ」というご意見があるとしたらそれはその通りですが、三島由紀夫が自分なりの「内なる天皇」を敢えて想定したのは、「確かな価値観などどこにもないんだ」といった戦後の価値相対主義に絶縁状を叩きつけたかったからでしょう。
 

何かに絶対を追い求めつつもその何かはいつだって相対的でしかあり得ない、そんなことは百も承知の上で三島は天皇の「そうあるべき姿」を追い求めたのではないでしょうか。これは絶対主義とは本質的に違うものです。

三島は、相対を位置づけるためには絶対について語らざるをえなかったのでしょう。

 

その証拠に三島は英霊の声で、「昭和の歴史においてただ二度だけ、天皇は神であらせらるべきだった」、と書いています。西部邁的に言うなら、「相対と絶対の相互乗り入れ」を三島は思想によって試みたのだと思いますね。

 

保守思想の立場としては相対主義も絶対主義もいずれの立場もとりません。絶対を模索しながらも絶対と相対の間における往復運動に明け暮れるしかないのが保守の立場だと思います。

 

宮嶋繁明は、『三島の論に、単純にアナクロニズムであるとか、唾棄すべきものでナンセンスと非難することはできても、翻って論理的に『否』と反駁でき、指弾し得る人は、橋川文三をのぞいては誰一人としていなかったのが実情である、と述べている。

また磯田光一は、『三島が亡くなる前に最後に対談したいと言っていた相手が花田清輝と吉本隆明なのです。吉本さんは断ったのです。あと五年たたないと論破できないと言って』と、「共同討議=「豊饒の海」の時代」の中で語っているという。

 

論争では無敵を誇ったあの吉本隆明がです。

 

さらに、柄谷行人は、『三島に一番敵対できたのは橋川』と語っているし、信州大全共闘議長だった猪瀬直樹が『三島を論破した』橋川文三を師と仰いで明治大学に通ったという事実もある。


さて、小林秀雄、三島由紀夫とくれば即思い浮かぶ言葉は「美」です。

 

「死んでしまった人間だけがまさに人間の形をしている」という小林の言葉はまさに名文句ですね。生者である我々は死者をつい美化してしまいがちですが、小林は「無常といふこと」でこんなことを言ってます。

*思い出となれば、みんな美しく見えるとよく言うが、その意味をみんなが間違えている。僕らが過去を飾り勝ちなのではない。過去のほうで僕等に余計な思いをさせないだけなのである。思い出が、僕等を一種の動物である事から救うのだ*と。

「過去のほうで僕等に余計な思いをさせないだけなのである」・・・ですか。

そうすると、三島は死を以て我々を一種の動物であること(相対主義の帰結としてのニヒリズム)から救ってくれたのだと理解すべきということでしょうかね。


おわり