三島由紀夫の死とは何だったか | 真正保守のための学術的考察

真正保守のための学術的考察

今日にあっては、保守主義という言葉は、古い考え方に惑溺し、それを頑迷に保守する、といった、ブーワード(批難語)的な使われ方をしますが、そうした過てる認識を一掃するため、真の保守思想とは何かについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

久しぶりに三島由紀夫の話を始めたら、私の中に眠っていた三島のデモーニッシュな思想がムクムクと頭をもたげ出し、三島の霊が憑りついてしまったようでどうも困ったものです(笑)。

 

三島のラジカルな死をめぐっては「文学的才能に枯渇した文学者のパフォーマンスだ」とか「いや、あれは三島なりの憂国の表現だ」といった様々な憶測が飛び交いましたが、「生命以上の価値はないのか」と言って憚らなかった三島が最後に提示した「生命以上の価値」があの自死だったのではないでしょうか。

 

つまり、三島は精神の生という目的のために肉体生命という手段を死に至らしめたのではないのか、ということです。

 

むろんそこには、軍医の誤診で自分だけが生き残ってしまった(仮面の告白)負い目から逃れたいがため、つまり虚無と決別するため、憲法改正と自衛隊を利用したという個人主義を見ることもできるでしょうが、その一方だけに目を向けて三島の本意(というか悪魔的なたくらみ)を読もうとしない知識人が大勢いました。

 

そうした者の多くは三島に嫉妬していたのだと思います。三島は死ねたが自分は死ねずにおめおめと生きている。その負い目を跳ね返すものはやはり「死」でしかないのですが、それが自分にはできないとなると後は三島を否定するしかないですからね。同じ知識人としては。

西部邁は、「三島を礼賛するわけではないが」と前置きしつつも、生命を価値序列のてっぺんに据え置くことの危険性(社会秩序の崩壊)を、三島の死で語っているところからみますと、三島ほど尖鋭ではないにせよ、ニヒリズムを退けるためのものとしての「自死」への願望が西部氏自身にあるのかもしれません。

 

よくモーリス・パンゲの「自死の日本史」を引いてますから。

 

しかし、その一方で、西部氏は「自分から死ぬことはそう簡単なことではない」と言ってるように、やはり三島の真似は自分には難しいとそう感じているのでしょう。

 

西部氏は三島由紀夫のとった行動を肯定こそしませんが批判もしません。三島の死を前に、ただ圧倒されるばかりです。素直な老人ですよ、西部さんは。

 

三島の市ヶ谷自決の直後、一般市民および知識人のあいだから聞こえてきた声を一部拾ってみよう。

 

尚、出典元は元週刊ポストのライターであり、昭和45年11月17日、すなわち三島が自決する8日前に、三島由紀夫と最後に会ったジャーナリスト前田宏一氏の「三島由紀夫『最後の独白』・・・サブタイトル、「市ヶ谷自決と2・26」からです。

 

引用開始

*気が狂ったとしか思えない。常軌を逸している。まだ、何が原因なのかわからないが(佐藤栄作)

*大ショック。ドラマを見てるみたい。最近は世の中冷え切っているから、彼が命をかけてやっても、二、三日すれば皆忘れてしまうでしょう。言論で戦えばよいのに(スナック経営・M子・25歳)

*ショック。私の三島像が崩れていく。世界的な才能なのに、文学でなく政治で身を捨てたのかと思うと、残念だわ。ちょうど「奔馬」を読み出したところです。最後の章に主人公が割腹自殺するところがあるというので飛ばして読んだのですが、三島の行為の善悪はわからないけど・・・(女子大生・22歳)

*彼の憂国、愛国を訴える思想には共鳴する。いまの政治、社会機構を維持するには、「武士の心」しかない。しかし彼の行動はいけない(札幌・S陸士長・26歳)

*バカ、軽率。世界的に名の通った次元の高い男があんなことをするとは理解できない。彼の立場なら正当な方法で自分の主張を訴えることができたはず(名古屋・W一曹・40歳)

*彼の思想は平和な民主主義のこの社会に満足しているぼくたちにはうなづけない。ぼくらは自由だし憲法を改正して、この社会を変える必要は認められない。なにか、ぼくたちとはまったく違った人間のとった行動のような気がする(高校2年・16歳)

*テレビで事件を知りましたが、率直にいって立派だと思う。たしかに、自衛隊に乱入したうえで白刃をふるい、あげくに切腹するなど、法に反した行為だし、強烈過ぎますが、口先だけに終わらなかった行動を私は買います。自衛隊は、自らの国土を自分で護るという意味で、私は存在を認めています。それが憲法に反するかどうかはともかく、今の政治のあり方に問題があることはたしかです。政治が貧困だからこそ、今回のような激しい行動が起きるんですよ(ガードマン・27歳)

*三島さんの死は、一種の「情死」だと感じました。それも、セクシャルな情死という印象を強く受けました。文学者の自殺は、どの場合でも書けなくなったときにあるのです。三島さんの死は、文学的いきづまりと同時に、スターとしてのいきづまりでもあると思われます(山口瞳)

*僕の考えでは、戦後二十五年たってから、戦争でさんざん元手をかけたそのときの現場の人間しかわからないところがあることについて発言するのは大変危険だと思う。この点が三島さんと違う。この違いがどんどん広がってきた(吉行淳之介)

*あの行動を単に現象としてとらえて、ドンキホーテだ、というように批判する人もあるが、そうした見方には意味はない。三島氏自身、そういわれるであろうことは百も承知していた。その上で、この死をどう評価するか、知識人、文化人といわれる人たちに問いを投げかける計算があったのではないか。割腹自殺という形は、三島由紀夫だからこそ選べた。長い間思いつめてきた、当然の帰結であった。この死は、もっとも精神的な死に方であった、と私は思う(奈良本辰也)

*人間的に中身も何もないような、若いタレントのような人たちが、自衛隊の反応は正しかった、とか社会的な影響はどうだとか、三島さんを弾劾するようなことをしたり顔でテレビやラジオでいっているのを聞くと、ばかげている。ほんとに蹴とばしてやりたくなりますよ(倉田由美子)

*ニュースを知って、嫌な感じがした。陰惨な事件だと思う。しばらくして、腹が立ってきた。なぜ腹が立ったかというと、直感的にナルシシズムを感じたからだろうと思う(柴田翔)

 

引用終了

この後で、ヘンリー・ミラーによる「週刊ポスト」への特別寄稿が短く紹介されているのだが、その記事と私の感想は次回述べたいと思います。