羊の木の感想を焦点を絞って少しずつ書いてます。
*以下思いっきりネタバレしてますので未見の方は読まずに映画を観ていただきたいです。
今回は月末と宮腰の関係について。
羊の木は月末視点で観るか宮腰視点で観るかで感じ方も変わってくる。
ここでは主に"友達"ということについて感じたことを書きたい。
台詞はニュアンスで順番も前後してます。
私は観る前のネタバレを避けてたのですが
何かの雑誌で"友達"というワードを見てしまったんです。
その時これはヤバイと思ってそれ以上は見なかった。
友達という単語が目に入ってしまった瞬間にこれは重要なものだと直感的に感じた。
そして映画を観てやはりそこがすごく印象に残ったんです。
映画を観た後でいろんな映画関連雑誌などを読んで
吉田大八監督が羊の木を月末と宮腰の友情の話にもしたいと思ったことも知りました。
月末と宮腰はお互い本心で"友達"だと思ってたのか?
だとしたらどこからそう思い始めたのか?
そのことについてすごく考えます。
大阪の公開記念舞台挨拶の時に私が挙手をして聞きたかったことも"友達"に関してのことでした。
初見の後でずっと友達について考えて
月末と宮腰のどちらが先にその言葉を使ったのか確かめたかった。
最初に"友達"という言葉を使ったのは同級生の須藤でした。
バンド練習を窓から覗き見する宮腰が月末と顔見知りな様子を見て
『友達?』と月末に聞くのです。
この時はまだお互い友達だとは思ってないと思います。
話は戻りますが最初に月末が元受刑者を迎えに行くシーンで
『いいところですよ。人もいいし魚も美味いです。』
お役所仕事のルーティーン的に聞く月末がすごくいいんです。
相手によって感情が違うのがよくわかる。
最後の1人だった宮腰は
『いいところですね。魚とか美味いんでしょ?』
先にそう言われて初めて月末が安心したような表情になる。
この人は普通に会話できそうだと思ったんでしょうね。
月末にとって宮腰は初対面で受刑者の中で唯一好印象だったと思います。
宮腰から見て、自分のことを元受刑者だと知っていながら普通に接してくれる月末はどういう風に映ったのだろう?
どういう気持ちで最初に自分の罪状を告白したのだろう?
宮腰は最初の段階で月末なら自分を受け入れてくれると本能的に感じたのかもしれない。
須藤の次に"友達"という言葉を使ったのは文です。
月末が文と宮腰が付き合ってることを知って
文に宮腰の過去を話してしまうシーンです。
『友達でしょ!?』
この段階では須藤の時と違って文の目からは2人が友達として見えてるのです。
宮腰はバンドに参加するようになってます。
この時の亮ちゃんの演技もいいんですよね。
亮ちゃんの演技に関してはまた別に書きたいと思ってますが
基本的には善良でしっかりしている月末の弱さが出てました。
すぐに月末は後悔して宮腰に電話をして謝る。
ここで月末と宮腰の間で初めて直接に"友達"というワードが出てくる。
『友達として?市役所として?』
『友達として。』
『なら全然いいよ。』
この時の宮腰は本気で月末のことを友達だと思ってたのかな?
友達であってほしいという願望はあったように思う。
どういう気持ちで聞いたのか?
宮腰の心情をいろいろ考えてしまう。
宮腰の過去はわからないけど
友達と呼べる人がいたのだろうか?
もしかしたら月末が初めてそう思える存在だったのかもしれない。
月末は友達だと答えてるけど
この時は本心だとは私は思えないんです。
懺悔の気持ちと保身からそう答えてるように思う。
宮腰が杉山を殺した後に月末の家を訪ねてくる。
そして月末の部屋での2人のシーンがいいんです。
この時まだ月末は宮腰がやったことを知らない。
ここでも宮腰は友達としてかどうか聞いている。
そして月末は友達と答える。
私はまだ月末が本心でそう言ってるようには思えないんです。
それでも月末は宮腰のことを受け入れてはいると思う。
そうでないと同じ部屋で寝てしまうようなことはしないはず。
『この年から始めてもうまくならないね。』
『そんなことないよ。俺が教える。』
このやり取りがすごく印象に残りました。
自分は変われないと思ってる宮腰
やり直せると励ます月末
そんな風にも感じます。
夜に海を見に行こうと誘う宮腰に月末は少し不安げながらもついていく。
罪悪感から?
友達だから?
まだ私にはわからない。
だけど月末には宮腰を信じたい気持ちがあるのはわかる。
崖の上で初めて月末の方から"友達"という言葉が出る。
『友達だろ?友達じゃないのか?』
今まで宮腰から言われて月末は友達だと答えてたけど
それは本心かどうかわからなかった。
ここで初めて本気で友達として宮腰を何とかしたいと思ったんじゃないかな?
私はそう思います。
『僕は僕でしかいられない。』
宮腰の言葉が切なかった。
宮腰は月末の首を絞めた時にそのまま殺してしまうこともできた。
宮腰はさほど感情なく人を殺せる。
少なくとも映画の中では私にはそう見えた。
だけど月末に対しては違った。
殺さなかった。
宮腰の人間的な部分が見えた気がした。
本当は月末のようになりたかったんじゃないのかな?
宮腰は崖から飛び降りようとする。
月末がそこで止めなかったら1人で飛び降りてたのだろうか?
月末は自分が殺されかけながらも宮腰を止めようとした。
それは友達としてじゃなければできないと思うんです。
宮腰は自分を止める月末の手を引いて一緒に崖から飛び降りる。
友達だから運命を共にしたかったのかなと思う。
パンフレットのコラムにもありますが
月末と宮腰の最後の夜のシーンは確かにロマンティックだと思う。
月末の部屋、そして崖から一緒に飛び降りるところまでは怖いけどロマンティックなのです。
宮腰にとって月末は救いだったんじゃないかな。
たぶん文よりも月末の方が大事だったと思う。
月末にとって宮腰はどういう存在だったのか?
それはまだわかりません。
だけど最後は友達として信じたかったんだと思います。