※彼らが『創価学会』と名乗っているので
『創価学会』と書かざるを得ない状況です。
詳しくは下記のリンク先をご覧ください。
〔『創価学会』の皆様へ① 〕
〔『創価学会』の皆様へ② 〕
※全てのエピソードは時系列順に記しています。
各タイトルの〈〉内にある数字が時系列順です。
番号順にお読み下さい。
【】内には発生した日時も記してあります。
2021年4月26日
前の晩、私がなぜ新鎌ケ谷に宿泊したかというと、翌日、会社に辞意を伝えに行くためでした。
すでにマンションを引っ越す決意はしていましたが、会社の人々からも、かなり悪質な嫌がらせを受けていましたので、そのような人々のいる会社では、もう働きたくなかったのです。
それに私は末期癌だと信じ込まされていましたから、どこか安全な場所で精密検査をしたいとの思いもありました。
逃亡中も目に付いた病院に何度か入ろうとしたこともあったのですが、常に『創価学会』に見張られている状況でしたので諦め続けていたのです。
私は会社に行く準備をするために、一旦、鎌ヶ谷大仏駅の周辺にあるマンションへ戻りました。
船橋市にある私の住んでいたマンションに帰宅すると
「あいつは出て行ったはずだろ。なんで戻ってきたんだ」
と『創価学会員』が騒いでいました。
こちらも戻りたく無かったのですが、仕方なかったのです。
私はマンションから徒歩15分くらいのところにある鎌ケ谷市の株式会社Tに行くと、社長Oさんに辞意を伝えました。
その場には社長のOさんの他に上司のKさんも同席しました。
私は二人に話し始めました。
「住んでいるマンションや行く先々で『創価学会』から嫌がらせを受けている状態ですので、全てをリセットして環境を変えようと思っています」
「えっ、何? 今、なんて言った?
『創価学会』? 『創価学会』ってなんだっけ?」
「えーと、『創価学会』って、なんか聞いたことありますね。なんでしたっけ?」
白々しい。
社長のOさんも上司のKさんも、そうやってとぼけるのです。
散々、私のことを『創価学会の敵』と言っていたくせに、どの口がそう言うのでしょう
この二人に限らず『創価学会』の方々は皆、『創価学会』のことを話すと、なぜか知らない振りをするのです。
ですので、『創価学会』のことを話した時に『知らない』ととぼける人間は逆に『学会員』である可能性が高いと考えられます。
私は『創価学会』とは何であるか、から話を始め、これまでの経緯を説明しました。
S.A.さんに関する話はする必要はないと思い、彼女のことは一切話さなかったのですが、
突如、何の脈略もなく同席した上司のKさんが
「S.A.さんと仲がいいなんてうらやましい」
などと言い始めたのです。
(実はこの時、上司のKさんはS.A.さんのプライベートに関することに言及していたのですが、それを具体的に書き記すと、彼女のプライバシーを公表することになりかねないので、この時のKさんの言葉は少し変えて記しています)
私は会社でS.A.さんの名前はもちろん、プライバシーに関する話をしたことは一切ありませんでした。
むろん、私はこの場でも一言もS.A.さんの名を口にしていません。
それなのに、上司のKさんはS.A.さんの名を話の流れと全く関係なく口にしたのです。
これは決して私の幻聴などではありませんし、聞き間違いでもありません。
上司のKさんが口を動かして発した言葉です。
これは私の命に賭けても間違いありません。
そして、これを言ったときのKさんの歪んだ笑みを、私は一生忘れることはありません。
ですが、私が問いただすと、全く関係ない話で誤魔化されました……。
そして、私はこれまでの経緯を話し終えました。
すると社長は
「俺の知り合いに『創価学会』の偉い人がいるから、そいつに頼んで止めさせてやろうか」
と言い始めたのです。
最初に『創価学会』という団体名すら知らないと言った人の言葉とは思えません。
さらに
「いい病院知ってるから紹介してやろうか」
とも言いました。
私は社長に末期癌だと偽られた件は、この場で言っていませんでした。
本人に問いただしても否定されるに決まっているからです。
それなのに、なぜ病院のことを唐突に話し始めたのでしょうか。
ましてや、このような人々が紹介するような病院になど行けるはずがありません。
私はこの会社を辞める意思を伝えました。
ところがなかなか納得してくれません。
私はどれほど苦しんでいるかを知って頂きたくて、自殺未遂した時のことを話し始めました。
『創価学会』からの攻撃に耐えきれず、マンションのベランダで首を吊って、死にかけた時のことです。(→私の体験談〈21〉 命の恩人へ 参照)
ひもが首に食い込んで、喉が上に持ち上がり、喉の穴が一気に狭くなり……。
これまで経験したことのなかったあの痛みが蘇ってきました。
その翌日、ずっとその痛みが残っていたことも……。
ですが、二人はこの話を聞いても、何の反応も示しませんでした。
どうやら社長と上司の興味は、他にあるようでした。
二人は私に『創価学会』の悪口を言わせようとしていたのです。
それこそが彼らの目的でした。
私が『創価学会』にとって悪い人間であると証明したくて、私に『創価学会』の悪口を言わせようとしていたのです。
私が悪人である証拠がないにも関わらず、私に過剰な攻撃をしてしまったので、それを正当化する理由が欲しかったようです。
『創価学会』が私を攻撃した最初の原因は、私が生命保険を解約したことからでしたが、そのことに関しての攻撃はとっくに終わっていて、この段階で攻撃を受けていたのは彼らが私のことを何か勘違いしていたからなのです。
ですが、いまさら後に引けない『創価学会』は、これまでの攻撃を正当化する理由が欲しくて、私に悪口を言わせようとしていたのです。
私は悪口など言いたくありませんでしたので、最後までそれを貫きました。
以前にも書きましたが、私は『創価学会』から攻撃を受けているとき、耐えきれずネット上に『創価学会』の悪口を書いてしまったことがありました。
(詳しくは
の記事に赤い字で記しています。)
ですが、それはいけないと反省し、この時はもう絶対悪口を言わないと誓っていたのです。
(今でもツイッターなどで良くないことを言っている時があるかもしれませんが、未だに私に対して原因も分からないような攻撃をし続けている『創価学会と自ら名乗って攻撃を続ける人たち』に対する憤りを抑えきれないのです。正しい行いをなさっている『本当の創価学会』の皆様には誠に申し訳なく思っております)
なんとか会社を出た時、時刻は正午になろうとしていました。
これが私の最後の逃亡生活の始まりでした……。
【私の体験談㊳ ~『創価学会』は親の命をも狙う~】
に続きます。
※これは実際に私の身に起きた出来事です。
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