「○○しておいてください」と言われると、腹が立つ時がある。
これは、なんで?
私の心の声は、「なんでお前にそんな事を言われなくちゃいけないんだよ!」。
やったらもちろん良いというのは、分かってる。
でも、私の天の邪鬼が、やってやるもんか!という声をあげる。
なぜ?
理性より感情が納得してくれないのです。
器が小さいから、という結論は、とりあえず横においておこう。
それを言ったら、全てが強引解決に持っていかれちゃうので。
私のは、
自分にとって利益を感じられないものを、
人から言われると、
「押し付けられた」と感じる。
断っても良い。
それなのに、断りづらさを感じて言えない、
というのも、
「押し付けられた」と感じるポイントかもしれない。
つまり、
「○○しておいてください」という言葉から、
私の意思は、無視されているという事を、私は敏感に感じ取っている。
もちろん断っても相手は困らない状況であったとしても、
自分の意志に注意を向けてもらっていないという事実に傷ついているわけです。
身勝手に傷ついてるわけですが、こんな人間がいるってことです。
だからこそ、人は人の話をよく聞かなくては、自分の思いを相手に伝える事ができないのかもしれない。
相手の価値を認めるということは、
相手の意思を聞くことから始まる。
相手の意思を確認することが不可能ならば、
相手を動かそうという言葉は控えた方が、溝は生まないと思う。
別の視点。
「押し付けられた」と感じるのは、私のせいだと分かっていても、
お前のせいだと、言いたくなる。なぜなのか。
父は、他人の遅刻に対して怒りを感じず、それよりも、その時間をいかに有効に使っているかをみせてやろうという意識に変わるそう。
ところが、
父は、私の遅刻には怒りを感じ、教育してやらねばと思うそうです。親だからだね。
人には、色んなペルソナがあるけど、一度つけたペルソナは、そんな簡単には切り替えられないという実例かな?
だから、第一印象が大事なのでしょうね。
私は、どんな第一印象を持たれたら嬉しいかな?
この人と一緒だったら、素敵な時間が過ごせそう。
これから、何か楽しいことが始まりそう。
そう、感じて貰えたら、とても嬉しいかな?
じゃあ、そう感じて貰うために、私が磨いておくべき自分の理想像は?
というと、
アンジェリーナジョリーなわけです。
本人はちゃめちゃな人生と苦難の道を歩んでいたけど、
やってることは、とってもまっとう。
人を救うということを、実践している。
人の評価なんて気にしない。
自分の信念の元に、行動する。
という力強くかっこよく美しい姿。
オードリーヘプバーンもそう。
大きな視点で、自分の立場を最大限利用して、人を救い続ける。
自分への評価は、気にしない。
けれども、ささやかな個人の幸せ、結婚出産、母として女として女優としての道を丁寧に守っていた。
自分の人生に真剣な人は美しいと感じます。
更にもうひとつの視点。
「○○しておいてください」と言われて腹立たしいのは、
私が暇にしてるように見られているからかもしれない。(と、勝手に私は思ってる)
つまり、
私は暇そうな人間と見られるのが嫌、ということ。
でも、
それは、実際に他の人から見える姿。
それも、真摯に受け止めようと思います。
こうやって考えると、ただの「かちん」と思ってたものは、随分と複雑だ。
結局のところ、「かちん」を相手にしてると、ものすっごく時間がかかるってことだけは、分かった。
で、何が言いたかったかというと、
結局は、表面的な言葉を受け取ることは結構無意味なんではないか?と、思った。
言葉を発する、ということも行動の一部ではあるけれども、
そこから何が始まるか。
どんな行動が起こるか。
その行動の結果はどうなるのか。
それを見るしか、ないってことに行き着いた。
行動力って、
リーダーシップ力うんぬんではなくて、
真剣に取り組んでいるかどうかの違いであって、
その人の資質とは関係ないかもしれない。
だからつまりは、自分も、
リーダー(上)から指示されたなどと取らずに、
その基準を相手の中に見極めることも大事なのかも。
そして、自分の中のリーダーシップとしての基準を見極める。
今、思ったけど、社会や会社の中で、
複数のリーダーがいたら、
どちらがより、「目標・目的」を見失っていないか。
という点で、
どちらがリーダーと認められるかどうかが決まるのかもしれないな。
うん。
見るべき点は、「行動」
それにつきるな。
人も、そして、当然自分も。
結果は、行動からしか現れないわけだから。