伝世舎のブログ -22ページ目

伝世舎のブログ

日々是好日

 扁額の修復はちょっと中断して、嶋根からの報告です。


 9月1~2日に大槌町被災文化財の調査に行きました。
 今回の調査は、岩手大学、岩手歴民ネットが中心になり、大槌町教育委員会と連携して行われました。

 大槌町は仕事で何度か足を運んだところです。その町が壊滅的な被害に遭い、それでも行くこともできず半年近く経ってしまいました。今回、やっと調査が行われるとの情報を得て、何はともあれ参加することにしました。
 大槌の被災文化財は、考古資料は県の埋蔵文化財センターで保存処置等が行われ、図書館の所蔵品に関しては遠野で預かり、処置をしています。その他の指定品に関しては県博等で処置をしているとのことです。今回はそれらに漏れた、民間の文化財に関しての調査を行うことになりました。


 初日は早いので、前日に盛岡入りです。町の様子を見てみると、全く被害らしきところが見当たりません。後に聞いたのですが、この被害を受けていない状況が、同じ県でありながら被災地との明確な温度差が生じているとのこと。
 まず初日は8時に盛岡出発。遠野の道の駅で集合し釜石経由で大槌に向かいます。釜石市街、両石、鵜住居の惨状を見ながら大槌へ。昼食後に各班割り当ての場所で調査を開始しました。
 現状調査といっても、所有者の家を確認し記録に留めるものなので、ほとんどは家の土台を写真に収める作業の連続です。何もなくなったことを記録するということは、一番つらい調査でもあります。「吉里吉里善兵衛」こと前川善兵衛の歴代の墓は、整備が済んでいたため特に被害がないことが確認できました。裏手の保育園の脇には、仮設住宅が建てられていました。
 遺跡の調査は元々畑になっていたりするので、地割れ等が無い限り現状維持ということになります。


 調査を終えて宿泊するさんずろ屋に行き1泊しました。ここは下にある風呂場も被災せず、以前と全く同じ状態です。女将さん(相変わらずテンションが高いw)に話を伺うと、すぐ下まで水が来たとのこと。実際、近くの少し低い場所にある民宿は1階部分が流されている状態でした。山田方面から来た車がさんずろ屋の前あたりで進めなくなり、しばらくは置いたままになっていたそうです。部屋の窓から見る風景は以前と全く変わらず、海岸沖のテトラポットさえそのまま残っています。ここにいるとあの大惨事が嘘のように思えてきます。
 1日目は吉里吉里、波板地区の調査を終えました。その時に判明したものに関しての調査を、2日目にすることになりました。


伝世舎のブログ-大槌1


吉里吉里地区の現状。前川善兵衛歴代の墓より撮影。


伝世舎のブログ-大槌2

同 吉里吉里地区にあるガレキの山。天照御祖神社より撮影。


 初日の調査で他の班が聞いてきたところ、前川善兵衛の直系の家に、被災した文書類があることが分かり、2日目はこちらの状態調査に伺うことになりました。重要な資料はすでにどこかの省庁に譲渡してありますが、これに漏れた資料らしいです。
 本家は流されてしまいましたが、もう1軒の家の物置に保管されていました。家の方が早い段階で天日に干していてくれたおかげで、非常に状態がよく、ほぼ乾燥した状態で置かれています。また、桐箱に収められていたことが幸いしたと思われます。海水に濡れた後のべとべとした感じも無く、カビ臭も古いもの独特の臭いで、今回の被災以降に生えたカビとは思えないものでしたし、まさに初期の適切な処置の重要性がよく分かります。その人は濡れたから干すという単純なことをしただけではありますが。
 ただ、掛け軸が多数あり、さすがにこれは干せなかったらしく、湿りがある上にカビが発生していて、このままでは他の文書類に悪影響をもたらしかねない状況でした。
 とりあえず物置の中を整理して、文書類と掛け軸を離して収納し、直接的な影響が及ぼさないように配慮しました。
 午前中で今回の調査を終了し、昼食後に教育委員会に報告と今後に関しての打ち合わせをして、全行程を終えました。


 今後の予定としては、まず各地区の方々への聞き取り調査を先行し、その情報を元に大槌地区、小槌地区と調査を進めていきます。とは言え、市街地が壊滅状態で所有家の特定ができるかどうか、やってみなければ分からない状態です。特に赤浜や安渡地区はまだまだガレキの山ですし、どうなることやら。
 また、前川家文書に関しては文書と掛け軸の調査を行い、必要な処置をするためのデータ作りをすることになりました。文書に関しては岩手県博で真空乾燥等はやってくれるので、それ以前の作業をどうするかが問題になります。掛け軸は解体・洗浄し本紙のみにすることは所有者の了解を得ていることなので、その処置をどのように行うかが問題になります。


伝世舎のブログ-大槌4

大槌地区。小学校の校庭に仮設の町庁舎ができている。中央公民館より撮影。


伝世舎のブログ-大槌5

大槌地区。町が無くなっている。中央公民館より撮影。


 町の様子を見てみると、ランドマークがほとんど失われ、メインストリートにいるはずなのにどこにいるのか分からない、と言う状況です。何度かお世話になった旅館も、裏山に続く階段が残っていたので場所が特定できたくらいです。特にこの町は津波と共に火災も起きた場所で、より被害が大きくなってしまいました。知っている町がまさに「消えた」状態です。ため息しか出ません。復興への道は厳しいと言わざるを得ません。
 町の人と話していると、今回の震災で共通して仰っていることは、神社のお社や寺がほとんど残ったということです。実際、小槌神社は周りが何も無くなっている状態で、流されること無く鎮座しています。何度も聞かされていると、コミュニティにおける神社、寺の重要性が強く感じられます。そんなところから地域の復興がなされるのかなと思いました。また、「ふれあいセンター前の池を何とかして復活させたい」「町に点在していた井戸を復活させたい」との意見を聞き、町の人たちが望む復興への足がかりは、町の人たちに聞かないと分からないものだなと思わされました。


 今後もスケジュールが合えば参加するつもりでいます。また参加することがあればここでご報告致します。

額について



 具体的な処置に入る前に、まずは扁額についてお話ししましょう。
 日本の額は、屋外の寺社、楼門、鳥居などに名称を木彫りした板額からの始まりです。いわゆる表札のようなもので、時代の流れと共に、庶民の間では看板の形や、または奉納額としての絵馬が広がっていきました。

 もう一つの流れとして、屋外から寺院の屋内へ、書院や座敷の鴨居に掛けられるようになり、構造が屏風や襖などと同様な骨(木の骨組)と紙で構築する形態へと変化していきました。和額が発達したのは幕末頃で、書や南画などの文人趣味の流行によります。特に書の額仕立てが流行りました。そこから、横に長い扁額(へんがく)の様式が確立されました。

 明治以降に洋風の額縁―「洋額」が輸入されてきたことで、それとは区別するために「和額」と言うようになります。


和額の構造
 和額の構造は、額縁とパネル装から構築されています。


◆ パネルの構造
 骨(木の骨組)に何層もの和紙を工程ごとに違う方法で貼っていく。これを「下張り」という。
 その表面に本紙を貼る。


◆ 下張りの役割
 パネル自体に強度を持たせる。
 骨を補強して歪みが出ないようにする。
 骨と本紙の伸縮の差を吸収し、裂けの損傷をくい止めるなどの、本紙の伸縮に対しての緩衝材としての役割をする。
 骨から出る脂(やに)を吸収し、本紙に影響を与えないようにする。


○ 骨(骨下地)
 木の骨組。主に杉の白太(しらた)で出来ている。


○ 骨縛り(ほねしばり)
 楮紙
 骨の組子が緩んで歪まないようにするために丈夫な楮紙を貼って押さえている。


○ 同貼り(どうばり)
 タルク(滑石という鉱石を微粉砕した無機粉末)入り楮紙
 骨の脂を吸収し、骨が透けるのを防ぐため、べた貼りする。
 泥入り間似合い紙のような填料の入った紙を使用する。


○ 蓑掛け(みのがけ)
 楮紙
 下張りにクッション性を持たせるため、細長い楮紙を段々に重ねて框部分に糊をつけて貼る。中の楮紙は浮いている状態で3層の構造をしている。


○ 蓑(みの)縛り(蓑押さえ)
 楮紙
 蓑掛けの段々になっている楮紙をベタ貼りして、平らな面にする。


○ 下袋(下浮け)
 楮紙
 本紙と下張りの湿度による伸縮の差を緩和させて、本紙が裂け難く、また裂けた場合には、裂けが大きく広がることを防ぐ。楮紙を小さな長方形に断ち、四方にだけ糊を付けて、紙同士を少し重ねながら貼っていく。袋状に中は浮いている。


○ 上袋(上浮け)
 楮紙
 下袋と同様。
 この上に本紙を貼り込むので、紙の重なりで表面に出る辺は毛羽状にして、紙の段差を感じさせないようにしている。


○ 本紙、小筋、大縁
 袋の上にベタ貼りする。


伝世舎のブログ-5


 額の構造が分かったところで、具体的な修理についてお話ししましょう。

 なかなか更新しないブログですが、やっと再開です。

 とはいえ、かなり前の修復事例で、所有者様からの掲載許可も以前から頂いているものでして、これはあくまでこちらの怠慢のなせる技。

 さて、気を取り直して扁額(和額装)の修復事例をご紹介します。

 この作品は絹地に絵が描かれています。個人の方が所蔵しています作品で、長い年月お家の鴨居に飾ってありました。

白い衣を着た女が砧打ちをしている姿です。この作品は絹地に墨、胡粉、百緑、茶色、赤色の絵具で描かれています。右下に署名と朱印があります。額の縁(へり)は紙に砂子が蒔いてあります。縁木(ふち)は木地に黒塗装されています。


絵の様子から能の「砧」を画題にしているものと思われます。ただ画面が茶色くなってしまってよく分かりません。左上のほうに何か白いものがありますが、何が描かれているのでしょう? 綿が飛んでいる、人魂が飛んでいる、月である等色々な説が飛び交いました。何せ「砧」の内容がよく分かりません。知っていれば判断できたのかも知れませんね。

これが何なのかは修復後に判明しますので、こうご期待です。

額にはグレージング(ガラス板やアクリル板)が入っていませんでしたので、絵は外気に晒されている状態でした。そのため額や本紙が汚れ、茶色く変色して劣化しています。虫糞が多く付着して、染みになっていました。虫損による穴があり、縁の紙も変色して破れている箇所がありました。縁木(ふち)は塗装が取れて木地が露出している箇所があります。縁木とパネルを装着している釘が錆びています。

裏面にも埃が溜まっていて、汚れています。

伝世舎のブログ-1

修理前全体(表面)。


伝世舎のブログ-2


修理前全体(裏面)。


伝世舎のブログ-3

変色し劣化した本紙。虫糞が付着して、染みになっている。

虫損による穴も見える。


伝世舎のブログ-4

大きく破れた箇所もあり、縁木も痛んでいる

 今回の修復は、本紙が劣化していましたので、額を解体して、本紙の修復を行いました。また額縁もかなり傷んでいましたので、額を新調することになりました。


 次回からは処置についてのお話ですが、その前に額について少しお話ししたいと思います。