扁額の修復はちょっと中断して、嶋根からの報告です。
9月1~2日に大槌町被災文化財の調査に行きました。
今回の調査は、岩手大学、岩手歴民ネットが中心になり、大槌町教育委員会と連携して行われました。
大槌町は仕事で何度か足を運んだところです。その町が壊滅的な被害に遭い、それでも行くこともできず半年近く経ってしまいました。今回、やっと調査が行われるとの情報を得て、何はともあれ参加することにしました。
大槌の被災文化財は、考古資料は県の埋蔵文化財センターで保存処置等が行われ、図書館の所蔵品に関しては遠野で預かり、処置をしています。その他の指定品に関しては県博等で処置をしているとのことです。今回はそれらに漏れた、民間の文化財に関しての調査を行うことになりました。
初日は早いので、前日に盛岡入りです。町の様子を見てみると、全く被害らしきところが見当たりません。後に聞いたのですが、この被害を受けていない状況が、同じ県でありながら被災地との明確な温度差が生じているとのこと。
まず初日は8時に盛岡出発。遠野の道の駅で集合し釜石経由で大槌に向かいます。釜石市街、両石、鵜住居の惨状を見ながら大槌へ。昼食後に各班割り当ての場所で調査を開始しました。
現状調査といっても、所有者の家を確認し記録に留めるものなので、ほとんどは家の土台を写真に収める作業の連続です。何もなくなったことを記録するということは、一番つらい調査でもあります。「吉里吉里善兵衛」こと前川善兵衛の歴代の墓は、整備が済んでいたため特に被害がないことが確認できました。裏手の保育園の脇には、仮設住宅が建てられていました。
遺跡の調査は元々畑になっていたりするので、地割れ等が無い限り現状維持ということになります。
調査を終えて宿泊するさんずろ屋に行き1泊しました。ここは下にある風呂場も被災せず、以前と全く同じ状態です。女将さん(相変わらずテンションが高いw)に話を伺うと、すぐ下まで水が来たとのこと。実際、近くの少し低い場所にある民宿は1階部分が流されている状態でした。山田方面から来た車がさんずろ屋の前あたりで進めなくなり、しばらくは置いたままになっていたそうです。部屋の窓から見る風景は以前と全く変わらず、海岸沖のテトラポットさえそのまま残っています。ここにいるとあの大惨事が嘘のように思えてきます。
1日目は吉里吉里、波板地区の調査を終えました。その時に判明したものに関しての調査を、2日目にすることになりました。
吉里吉里地区の現状。前川善兵衛歴代の墓より撮影。
同 吉里吉里地区にあるガレキの山。天照御祖神社より撮影。
初日の調査で他の班が聞いてきたところ、前川善兵衛の直系の家に、被災した文書類があることが分かり、2日目はこちらの状態調査に伺うことになりました。重要な資料はすでにどこかの省庁に譲渡してありますが、これに漏れた資料らしいです。
本家は流されてしまいましたが、もう1軒の家の物置に保管されていました。家の方が早い段階で天日に干していてくれたおかげで、非常に状態がよく、ほぼ乾燥した状態で置かれています。また、桐箱に収められていたことが幸いしたと思われます。海水に濡れた後のべとべとした感じも無く、カビ臭も古いもの独特の臭いで、今回の被災以降に生えたカビとは思えないものでしたし、まさに初期の適切な処置の重要性がよく分かります。その人は濡れたから干すという単純なことをしただけではありますが。
ただ、掛け軸が多数あり、さすがにこれは干せなかったらしく、湿りがある上にカビが発生していて、このままでは他の文書類に悪影響をもたらしかねない状況でした。
とりあえず物置の中を整理して、文書類と掛け軸を離して収納し、直接的な影響が及ぼさないように配慮しました。
午前中で今回の調査を終了し、昼食後に教育委員会に報告と今後に関しての打ち合わせをして、全行程を終えました。
今後の予定としては、まず各地区の方々への聞き取り調査を先行し、その情報を元に大槌地区、小槌地区と調査を進めていきます。とは言え、市街地が壊滅状態で所有家の特定ができるかどうか、やってみなければ分からない状態です。特に赤浜や安渡地区はまだまだガレキの山ですし、どうなることやら。
また、前川家文書に関しては文書と掛け軸の調査を行い、必要な処置をするためのデータ作りをすることになりました。文書に関しては岩手県博で真空乾燥等はやってくれるので、それ以前の作業をどうするかが問題になります。掛け軸は解体・洗浄し本紙のみにすることは所有者の了解を得ていることなので、その処置をどのように行うかが問題になります。
大槌地区。小学校の校庭に仮設の町庁舎ができている。中央公民館より撮影。
大槌地区。町が無くなっている。中央公民館より撮影。
町の様子を見てみると、ランドマークがほとんど失われ、メインストリートにいるはずなのにどこにいるのか分からない、と言う状況です。何度かお世話になった旅館も、裏山に続く階段が残っていたので場所が特定できたくらいです。特にこの町は津波と共に火災も起きた場所で、より被害が大きくなってしまいました。知っている町がまさに「消えた」状態です。ため息しか出ません。復興への道は厳しいと言わざるを得ません。
町の人と話していると、今回の震災で共通して仰っていることは、神社のお社や寺がほとんど残ったということです。実際、小槌神社は周りが何も無くなっている状態で、流されること無く鎮座しています。何度も聞かされていると、コミュニティにおける神社、寺の重要性が強く感じられます。そんなところから地域の復興がなされるのかなと思いました。また、「ふれあいセンター前の池を何とかして復活させたい」「町に点在していた井戸を復活させたい」との意見を聞き、町の人たちが望む復興への足がかりは、町の人たちに聞かないと分からないものだなと思わされました。
今後もスケジュールが合えば参加するつもりでいます。また参加することがあればここでご報告致します。








