ゲルハルト・リヒターは1932年、ドイツ、ドレスデンに生まれた。東ドイツで社会主義リアリズムの絵画の教育を受け、人々を啓蒙するための壁画などを描いていた。1961年(29歳の時)、リヒターは東ドイツ(ドレスデン)から西ドイツ(デュッセルドルフ)移住した。(1961年はベルリンの壁ができる直前であり、国境は封鎖されていたが西ベルリンだけが抜け穴だった)。
これにより、突然自由にアートが作れる環境に身を置くことになった。
●初期作品
「パーティー」(1963)
西ドイツに渡ったリヒターは、シグマール・ポルケ、コンラード・リュークらと出会い、一緒に活動するようになった。リキテンスタインやウォーホルなどアメリカのポップアートの影響を受け、東ドイツの社会主義リアリズムに対して資本主義リアリズムを提唱し、4人で展覧会を行うなどした。
「資本主義リアリズムのためのデモンストレーション」(1963)という展示を家具店で行った。絵画を展示したほか、家具の中に無表情で座る自分たちを「展示」した。
1962年にはマスメディアに流通するイメージを自分の絵に取り込むことを始めていた。「パーティー」は当時の作品で、家具店の展覧会でも展示された。たぶん雑誌に載っていた白黒写真をもとにしているのだろう、談笑する男女のイメージが描かれている。
しかし自分を消すことに徹し切れていないようで、傷跡と血が描かれ、絵画の表面の傷から血が流れているように見える。
●フォト・ペインティング
「モーターボート」(1965)
雑誌の写真をもとにしている。写真らしさを出すため、実際の写真よりかなりぼけさせている。近くで作品を見ると、左右に細かくこすったような線が見える。
リヒターは初期から、自分自身を作品から消すことを推し進めてきた。1960年代のフォトペインティングは、雑誌の写真や既存の写真をそのまま写すことで、コンポジションも色も形態も考えなくて済む。鉛筆でグリッドを描いて写真を拡大する方法から、64年にはプロジェクターを使うようになった。楽に作るためではなく、機械的に転写することで、画家の主観という余計なものが紛れ込むのを防ぐためであった。
「カーテン」(1965)
一見抽象画のようだが、カーテンを描いた絵。日常的でありふれたものを広告やファウンドフォトをもとに描いた。
カーテンと言われなかったら抽象的なグレイペインティングに見える。フォトペインティングとグレイペインティングが近いものであることが分かる。
「トイレットペーパー」(1965)
「マリアンネ叔母さん」(1965)、「ルディおじさん」(1965)
「マリアンネ叔母さん」は若い女性が赤ん坊を抱いている。という絵だが、どこか不穏なものを感じる。これもぼけた画像で、横方向に細い線でこするようなストロークが見える。(「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である」展(東京国立近代美術館)で見た。)
観客が絵の主題にリヒターの個人的経験を読み取るのを彼は不愉快に感じ、「私的な事情は自分の芸術にいかなる場所もしめない」と語るのだが、フォトペインティングにはリヒターの家族写真をもとにしたものが何点かある。「ルディおじさん」と「マリアンネ叔母さん」はリヒターの個人史と戦争の関わりがほのめかされる。
リヒターの(非公式)伝記映画「ある画家の数奇な運命」に(ドラマチックに脚色されているだろうが)叔母のエピソードが出てくる。マリアンネ叔母さんは精神を患い、病院に連れていかれる。ナチスが優生学の観点から精神病患者を安楽死させる政策を取り、叔母は病院で殺される。叔母の死に関わった地位の高い医師が、のちにリヒターの妻となる女性の父だった、というドラマチックな展開だが、これは実際の話と言われている。
作品のもととなったのはそんな運命が起こる前の、叔母がまだ少女だったころの写真だ。(赤ん坊はリヒターと言われている)。
「ルディおじさん」は軍服でほほ笑む姿で描かれている。ヒトラーのドイツ軍で戦い戦死した。
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「エリザベート」(1965)
東京都現代美術館の常設展でたまに見かける作品。水着の女性がほほえむ、ぼやぼやした絵であまり面白くないのだが、これもフォトペインティングの作例。雑誌のイメージであることをあからさまに示すように、記事の文字も画面に描かれている。
「母と娘」(1965)
「8人の女性見習看護師」(1966)
(画像は写真バージョン(1971))
殺人事件の被害者となった8人の女性のポートレイト。看護学校のアルバム写真をもとに、リヒターは絵画を描いた。
みんなが内側を向くように、顔の向きをそろえて並べられている。
「48 Portraits」(1971)
リヒターは1972年のベネツィアビエンナーレで西ドイツ代表に選べれたリヒターは、百科事典から取られた48人の偉人たちのポートレイトを展示した。
"ゲルハルト・リヒター アトラス"展(川村記念美術館,2001)で「48 Portraits」の写真バージョン(油彩を写真に撮った作品)を見たことがあるが、これらのポートレイトも、並べ方の基準は「顔の向き」だった。正面を向いた肖像画が中心に来る。
「ムスタング戦闘機」(1964)
●1960年代後半
「Townscape Paris」(1969), 「Townscape SL」(1969)
「街並み」は1968-69年に集中して47点が描かれた。白黒の階調で、都市を俯瞰した航空写真をもとに描いているが、写真っぽく描くのでなく筆致を残して絵画として描いている。ぼやけた写真に見えるフォトリアリズムではなく、後の抽象絵画でもない、リヒターには珍しいタイプの具象絵画。
"Townscape Paris"ではパリの街並みは大きな筆致でぐちゃぐちゃになっている。戦争の爆撃にさらされた都市を連想させる。
よりくっきりと整然と描かれた「街並み」もあり、こちらは建築模型を撮った写真をもとにしている。
「Seascape(Cloudy)」(1969)
「海景」シリーズはくっきりとした地平線を境に、上半分に空・雲、下半分に海が描かれる。モチーフを完璧にするため、空と海は別々の写真から取ったものを組み合わせる。したがって実際の風景ではない。「海景(海ー海)」の上半分も一見空に見えるが、実際は上半分も海になっている。
「9つのオブジェ」(1969)
東京国立近代美術館の常設展でたまに展示されている版画作品の小品。
部屋など日常の風景に置かれたオブジェ。写真のようでありながら、写真ではありえない。ここに描かれている立体は「不可能図形」なので現実には存在しない。
●カラーチャート
フォトペインティングで自分の画風を確立したばかりの1966年に既にカラーチャートの最初の作品が描かれている。ただフラットな矩形の色面をグリッド状に並べただけのものであり抽象絵画と言えるものでもなく、画材屋の色見本を描いた、ある意味、具象絵画かもしれない。
1970年代には色面をランダムに機械的に並べた"1024 Colors"などが描かれて終わるが、2000年代に巨大化して再びカラーチャートが描かれるようになる。
「4900の色彩」(2007)
6.8m*6.8mの一つの絵画として展示できる作品だが、東京国立近代美術館のリヒター展では展示室に合わせ、6つの絵画に分かれて展示されていた。
カラーチャートは、自分を作品から消す、の極致だと思う。色の配置はランダムに決め、決まった大きさの矩形をフラットに塗るのみ。作者の主観が入り込む余地がない。感情表現なし。絵画的イリュージョンなし。味わい深いアブストラクト・ペインティングと並行してこういう極端な作品を作るのがリヒターの面白いところだが、作品自体は、ただ色ガラスが並んでいるだけといえばだけのものであり、面白みのあるものではない。
●グレイ・ペインティング
グレイ1色で描かれたグレイペインティングも、カラーチャート同じく1966年に始まった。
グレイ・ペインティングともくフォト・ペインティングとも言えるかもしれない作品。グレイ1色の抽象的イメージだが、フランク・ステラの絵画を映した写真をもとにしているようだ。この作品は図版で見るとつまらないが、実際に見ると、淡く描かれたグレイの縞模様が、タコの足みたいな丸くてぐるぐる巻いたふざけた筆致でぼかされていて面白い。
「グレイ」(1973)
東京国立近代美術館のリヒター展では、カラーチャートと同じ部屋に、グレイ1色の絵画のシリーズが展示されていた。カラーチャートと対極にも思えるが、すべての色を混ぜたらグレイになるという意味で、および、感情表現もコンポジションも皆無という意味で、カラーチャートと関連するのかもしれない。グレイペインティングは、表面のテクスチュアを変えて何種類かが展示されている。筆致が大きいもの・小さいもの・筆致が見えないフラットなもの、など。
カラーチャートは筆致がなくただフラットに塗っているが色は多い。グレイ・ペインティングは色は1色に抑えられているが筆致は様々。色と筆致に分けて絵画の究極を探求したのかもしれない。
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