第1章 全ては繋がっている

 ニナ・カネル「マッスル・メモリー(5トン)」(2023)。
 ホタテの殻の上をざっざっざっと歩く。会期末で粉になっているかと思ったが、そうでもなかった。だいぶ細かくなっているが、粉になっているわけではない。大きな欠片も結構あり、そこを歩くと割れる感触がある。
 殻とはいえ貝を足で踏んで割るというのは抵抗がある(しかしもうだいぶ粉々だったのでそうでもないが)。
 貝殻そのままではなく、展示するにあたり洗浄・焼成している(そうしないと細かい破片ができて危険なのだという)。そしてそのためにはエネルギーを消費している。貝殻を細かく砕いて建材に利用することが行われているがそれと同じ過程を美術館の中で踏んでいる。(この作品の貝殻も、展示後は建材に利用されるという)。

 


 2022年のヴェネツィアビエンナーレのことは良く調べていたのだが、その参加アーティストが結構、今回の展覧会に参加している。(アリ・チェリ、モニカ・アルカディリなど)。
 特に、チリ出身のセシリア・ヴィクーニャ(Cecilia Vicuña)は2022年のヴェネツィアで生涯功労賞の金獅子賞を取ったアーティストだ。
 しかし、作品はつまらなかった。「キープ・ギロク」(2021)。キープは、文字のなかったインカ文明で行われた、布の結び目による数字の記録方法である。ギロクは韓国語の「記録」。韓国で発表した作品で、韓国の布を染めて天井から下げている。原始的っぽい絵が描いてあるものもある。
 ほかに、拾ったものを組み合わせた些細な立体作品。

 

 


第2章 土に還る 1950 年代から 1980 年代の 日本におけるアートとエコロジー

 日本を取り上げたセクション。
 鯉江良二(こいえりょうじ)。衛生陶器(便器)を砕いて粉末にしたものを素材とし、これを焼き固めて作者の顔をかたどった彫刻を作った。そしてそ顔が半分崩れて、土に還ろうとしている。「土に還る(1)」(1971) 。

 村岡三郎。「貯蔵―蠅の生態とその運動量」(1972)。ガラスの漏斗みたいなのが箱についている。金属の箱の下から管が出て、トレイにハエが溜まっている。(実際にハエが溜まっていて、樹脂で固めたみたいになっている)。不可視の箱の中では電球にハエが群がり、そして死んでいき、箱の下から排出されるのだと言う。ハエの生死のサイクルを作品として見せる。20年早く、デミアン・ハーストの「一千年」を先取りしているように思う。違いはハーストがショッキングに見せたハエの生と死が、不可視の箱の中で行われ、排泄される死体しか見えないこと。そのため見た目のショッキングさはないが、面白い作品だと思う。

 谷口雅邦(がほう)はいけばな作家。
 「発芽する?プリーズ!」(2023)。いけばなからイメージするものとは違い、土で固めたような大きな立体作品。細いトウモロコシがささっているのが見える。表面がつぶつぶしているのはグリーンピースとか入っているらしい。越後妻有で民家にいけばなを集めた展示を見たことがあるが、どれも生け花というよりインスタレーションだったのを思い出した。

 

 


 殿敷侃(とのしきただし)。「山口―日本海―二位ノ浜 お好み焼き」(1987)。海岸で大量のごみを集め、焼き固めた大きな塊。金属の棒が取っ手として中心にささっている。原型をとどめているゴミとしては空き缶のようなものがある。プラスチックごみは溶けて、土と混ざって固まっているという。生地の中に具を入れて固めた、大きなお好み焼きに見立てている。
 殿敷侃は3歳で原爆から数日後の広島で被爆し、がんと闘いながら作品を発表していた作家。日常のものを焼き固めるというのは原爆と関係あるのだろうか。

 

 

 

つづき

 

 

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