母が緩和ケア病棟に入院してから父は一人で暮らすことになり、
週に2回ヘルパーさんを入れながら透析に通っていました。
私が食料と日常用品を持って父の様子を見に御殿場へ行きました。
十何年ぶりかで実家の中に入りました。私がいた頃より家の壁など汚れがひどくびっくりしました。
2人とも病気だったから掃除をやるもの大変だったのかなと思いました。家を見回して電動車椅子でキズづけた壁など、思い出がいっぱい残っていました。本当に懐かしかったです。
母が座っていたらしい椅子もあり、何だか悲しくなりましたが、父に悟れないようにして帰りました。
それから御殿場とがんセンターへ行く日々が続きました。
夏に向かってだんだん父の一人暮らしが大変になってきました。
母が何でも細かいことをやっていたので何をやっていいのかたぶん分からなかったんだと思います。洗濯も出来ず、食事もろくにしなかったみたいです。
婦人服店をやっていたわりには人付き合いが苦手なので、ヘルパーさんが入ることに抵抗があり、母や私に「ヘルパーはいらない」と言ってきましたが、そうなると薬は飲まない、食事もろくにしない、お酒やタバコは自由、車に乗って買い物や遊びに行ってしまいます。
夏に行ったら父の顔が真っ赤になっていたので扇風機を買ってあげたりしました。
父も疲れ切った顔をして私に「勝子がいないから駄目だ」とか言うのですが、私はただ頑張ってと言うしかありません。
ヘルパーさんが行くと家にいなかったと私に連絡が来て本当に困ったものでした。
母のお見舞いに埼玉の叔母さんが何度も来てくれて私には心強かったです。
母も叔母さんが来てくれたので嬉しそうな顔でおしゃべりに夢中でした。
父のことが気がかりですが、母の笑顔が見られてよかったと心の中でつぶやきました。