初めて耳にした緩和ケア 7 | ゆみりんのブログ

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パスワードとか分からなくなり、しばらくブログの中に入れませんでしたが、やっと入れることが出来たので今日から私の家族のことを書こうと思います。

 

また一週間ぐらい経って、がんセンターに呼ばれました。

これからの治療のことなど聞くものばかり思っていました。

病室の前に行くと治療中なのでちょっと待っているように言われました。

待っていると酸素ボンベを運んできたり、何だか慌ただしくなってきてちょっと不安になり始めました。

そのうち母もベッドのまま移動して別の部屋に行き、少ししてから看護師さんに呼ばれ、母がいる病室に行きました。

母は今までになく弱々しい顔をして私にメモを渡し、「これ、やってきて」と言いました。

もしかしてと悪い予感が頭によぎりました。その予感の通りになってしまいました。

先生がきて母のお腹を触った後、「これから話すことは理解してくれると信じていうね」と先生は私の方を見て言いました。

「検査してお腹の上まで水がたまり、年齢的に抗がん剤を打つのは危険で、かといって家に帰っても十分な治療ができないから

ここの緩和ケア病棟に移った方が・・・」

すぐそばにいる先生の言葉が遠くから聞こえるようでした。

母も覚悟していたみたいに落ち着いて私が何か言おうとすると「分かったね」と私の言葉をさえぎって、先生に緩和ケア病棟へ移ることを希望しました。

先生と母との会話の中で緩和ケア病棟からそのまま火葬場・・・と言っていた言葉の矢が心がえぐられるようで今もその言葉が残っています。

緩和ケアも今まではどういう場所か分からなかったので、ネットで調べました。

出来ることなら手術など何でもやって少しでも生きていてほしいという願いがありましたが、母が決めたのだから母の意思に任せようと思いました。

本当に辛く悲しかったです。

ただ父になんと言えば良いかと母に聞きました。

「気が弱いからこれから暑くなってくるので、しばらく病院で治療するとか言っておけばいいよ」

先生との話が終わって少し落ち着いたのか声は弱々しかったですが、普段と変わらずテキパキとやってきてほしいことを言っていました。