5月にきたとき、母の足がパンパンで立ったり椅子に座っ立ったりするのがやっとのようでした。「そろそろかな」と母が困った表情で言ったのを覚えています。
いつもきたとき、私の足の爪を切ってくれるのですが、それも出来なくなっていました。
「また来月、来るから」と行って帰って行きました。
少ししてがんセンターに行って診てもらったところ、やっぱり腹部に水がたまっていて抜いてもらったそうです。
でも足の付け根のところにガン菌が少し付着しているので強い抗がん剤を使う事になったということでした。
「約一週間、入院して治療をする。手術でなくてよかつた。コロナで面会はできないから来なくてよい」
と、メールがきました。
「これから入院の準備をしなくっちゃ」と母。
「入院は慣れていて一週間だけだから大丈夫だね」と私。
「うん」。
一週間、退院してまた一週間後、検査と会計をしに行くことになり、行きは父が、帰りが私が迎えに行くことになっていました。
がんセンターに着いたとたん母からメールが来て
「入院して治療することになった」とのこと。少しずつ心配になってきましたが、とにかく帰ることにしました。
家に着くと父から電話がかかってきて、
「まだ帰れないのか」
と聞いてきたので、
「入院して治療するんだって」と伝えました。
それから10日ぐらいたって、がんセンターに呼ばれました。
その内容は家に帰っても普通の生活を送るのはちょっと難しいからヘルパーを入れたり電動ベッドを入れたりした方がいいと病院の方と母を交えて話し合いました。
週1回で強い抗がん剤を打つということも言われました。
早速、父がお世話になっている域包括支援センターに寄ってヘルパーのことなど聞きに行きました。母が入院したきっかけというのも変ですが、父の担当のケアマネージャーの方とラインで父のことの連絡交換するようになり、そのケアマネさんも来て一緒に今後のことを話し合いました。
母のことを話に来たので、いつの間にか父の話になってしまいました。
こんなに母がいないと何もできない父だったのかなとびっくりするぐらいでした。
今日はこのくらいにしておこうかな
まだまだ両親との思い出を書きたいので、もう少し付き合ってくださいね