年齢を重ねて無理をするものではない。1日7~8時間もインターネットとコンピューターで確定申告なんかしていたら、疲労感は尋常ではなかった。金を渡してある税理士は、仕事は放ったらかしにして、気楽に仲間と会合で遊んでいたのを腹立たしくないと言えば、嘘になる。
拙者は、心臓手術しているのだ。具合が悪くなると心不全で倒れる事もある。家内も具合が悪く、ストレスは与えられない。思うに、あれは官公庁・公務員の悪弊である。仲間だけには甘く、権力を独占して悪用している。知り合いに、何回も税理士試験を受験して、ついにパスしなかった者を知っている。それを何の努力もせず、資格だけ貰って何も出来ないとは悪辣そのものである。
これが、国税局の正体であって、国民から税金をむしり取ろうと言う意思の表れだと思う。何故、自分は努力せず金や成果を求めて悪事を働いて、他人を犠牲にして恥じないのか。努力する者をコケにして、己だけの利益を貪るのか。憎んで余りある者を一杯見てきた。切り捨て御免の世界であれば、とうに手を下していただろう。
競馬予想
昨日の浦和競馬
中々当たるものではない。たとえ、当たっても地方競馬の配当は、無茶苦茶安い。苦労して、あれだけの配当では負けるだろう。YouTubeの浦和競馬を実況して予想しているメンバー(プニ競馬、梅澤真理子、若林幹治、ウマきゅん、じゃい、ギャカラクシー等)も、結構当てる事が多い。ところが、いくら当てても、中々プラスにならない。
と言うよりも、競馬は当たる時に買って、外れる時に買わなければ勝ち目は大きくなるはずだ。それが、何時当たって、何時外れるのかを察知するのが難しい。
競馬は、残念だがタイムとかのロジックで決まったりしない。皆それが分からないので、ギャンブルとして成り立っている。皆が、分かってしまえばギャンブルとして成立しないだろう。そういう基本的なロジックを研究している。研究して、それなりに成果があっても、尚気をつけなければいけない事が一杯ある。そういうスタンス・基本を忘れて、お金を欲しがるようではいけない。
予想している時は、これで来ると思ってしまう。しかし、結果が出ると全く見当違いな予想だったことに愕然とする。こんなものに、ムキになって負けを取り戻そうとすると、必ず負けが込んでくる。
WIN5やトリプル馬単は、それぞれ独自の研究が必要である。競馬予想は色々種類があって、狙いによって予想方法は違うのだと思う。連複が得意な人もおれば、単複を基準にしている人もいる。かと言って、3連系馬券を得意にする人は、珍しいと言える。

Steampunk 2170 World - Steampunk Sci-Fi
限界・限度
他のスポーツや遊戯を見れば、少し分かってくる。野球とかサッカー等のメジャーのあるスポーツでは、50台で選手をしている例はあまりない。コーチや監督は40台以降からだろう。年齢を重ねて通用しているのは、将棋とかであって、スポーツ関係で60代や70代の選手はいない。
競馬予想の場合は、何もかもが判然としていない。まず、予想のプロは公式のものではなく、自称か任意のものでしかない。予想のコーチとか指導者がいるわけではない。したがって、予想の適齢期とか年齢の限界というのは考えられないのが普通である。しかし、明らかに物事には適齢の時期や限界はあるものだ。
それらが何もかも明らかではないから、競馬予想は難解を窮める。言わばグチャグチャなのだ。権威も名誉も品格も何も無いから、いい加減な者が幅を利かしている。ボケみたいな顔した者が予想の達人であるかのように振舞っている。
適齢時期は知らないが、限界・限度は考える事が出来る。
通常の自分の生活を思い出す。麻雀ゲームをしたりして、気晴らしや休憩を一杯取っていた。地方競馬なんかやっていたら、そういう暇を取れなくなってしまう。毎日競馬をするのは、結局正しくない。
そう思って、麻雀ゲームを3~4回してみたが、全く勝てない。腰が痛くなってきて、それ以上続ける事が出来ない。拙者の持ち味は、回数を重ねて行って調子を盛り上げるのだが、それが出来ない程に疲れている。これで競馬に勝つのは難しい。自分の持ち味が死んでいる。不十分な取り組みで、いい加減なアテモノで競馬は当てられない。そんなものに金を使うのは明らかに無駄遣いでしかない。
予想の限度・限界は、精神的または身体的に無理がある場合だろうと思う。自分の体調すら分からないのに、競馬予想を当てられるはずがないのだ。誰も皆、ここの所を完全に理解していない。家庭の金を持ち出して競馬をする等は、初めから勝てるきっかけを無くしている。目が見えないとか、眼鏡が壊れている等は話にならない。
車の免許を持っている者は、常識的な法令は分かっているだろうが、それだけで運転出来る訳ではない。体調や車の調子等は必要な条件だ。車の場合は、欠けている事があれば、事故につながる。
競馬予想は、それだけでは事故にならないが、事故と同じだけの苦痛を感じる場合はある。
予想の知識やロジック
「軸馬と穴馬」で提唱しているのはワイド馬券の意味である。連複の組み合わせでも、ワイド馬券なら当たっていたという場合が多い。3連系の馬券は、そのワイド馬券を元にして考える。それを忘れて、欲望から券種を考えていたのでは当たる訳もない。
また、出目は如何なるものであって、その解析方法も研究してきた。研究が主であって、予想は二の次のものだ。ずっと予想を続けて、成果を上げ続けなければいけないとは思わない。野球のコーチが、選手に一々下手な見本を見せる訳ではないだろう。出目解析の著書は発行しているので、今更もう毎回紹介する必要は無いだろう。
予想の成否は、知識やロジックに加えて、本人の体調や意識も関係している。拙者は、体調を高める為の努力を目いっぱいやっている訳ではない。
新著のデータ整理に時間をかけている。また、地方競馬における3連単のパターンも手掛け始めた。もう競馬予想にかける時間も少なくなっているし、別に金を稼ぐ必要もないのだ。それで、今後は予想を控えめにすると決めた。
疲れる時は、競馬予想は止めて、観戦だけして楽しめばいいのだ。誰も拙者の予想なんか期待してないだろう。また、有料で予想を公開している訳ではない。WIN5やトリプル馬単もやりたいが、それらは他人に任せて、今後拙者は努力しない。気が向いた時か調子のいい時に、楽しんで馬券を買えばいいだけの事である。その事で、誰かの指示なんか受ける気持ちはない。
初めて教員をした時に、少し年上の国語の教員が版画を勧めてきた。相手の事情も何も考えず、勝手な事を抜かすなと怒りを覚えたものだ。その名前は、神戸新聞で文芸評論をしている時里次郎とか言う男だ。
日頃、毎日健康に過ごして、楽しんで生活している。お金にも困っていないし、働く必要もない。そこで、何故競馬で稼がなければいけないのか。勝つ必要があるのか。競馬は、予想して楽しむものだ。負けて不愉快な思いをするものではない。
フジクラや重工の株が10倍になろうかと言う時に、競馬予想は無いだろう。