2012年の8月に沖縄での活動を終えた沖縄プロレス。
その後、
選手達は各々の道を進みました。
沖縄に残る選手、東京に戻る選手、関西に帰る選手。
私は嫁さんが大阪人なこともあり、10年間住んでいた大阪に行きました。
エイサー8は京都出身だったから京都に。
…う~ん何から話そう?
エイサー8との事を初めて会った時から話し出すとなかなかに長文になってしまい、
なんだか寂しい気持ちになってくるのでやめます。
が、
あまりにも淡白な内容になってしまうのも嫌なので、ところどころ見繕って話していきますか。
まず初めて会った時!
覚えていません。。。
どー振り絞っても出てきません。
僕は沖縄プロレスで、デビュー10周年記念の試合をやらせてもらったから、ちょうど10年くらい前の話になりますね。
~~~~~~
旗揚げ戦は、
那覇市の国際通り沿い5階の狭い常設会場がパンパンになって立ち見のお客さんも30人くらいいたんじゃないかな?
それはそれは、華々しいスタートを飾りました。
が、
その1ヶ月後ならぬ、なななんとの翌日からお客さんが3分の1くらいになり、あとは皆さんご存じの通り、20~30人くらいの入りでした。
この時エイサー8はまだデビューしていなく、
旗揚げ戦を裁いていたドス黒い存在のレフェリーが行方をくらましたので、練習生であったエイサー8くん(練習生8にしましょう)が替わりにレフェリーをやって興行を成立させてました。
……合ってます?
とにかく沖縄では毎日忙しかったので、多分僕の記憶が怪しいところが多々出てきますが、そこは優しく知らんぷりしといて下さい。
練習生8くんは本当に凄い子で、木造のリングが壊れれば業者さんと共に修復作業をし、、、
開場時間が近づけば1階に降り、国際通りを歩く観光客をターゲットに呼び込みをし、、、
イベント試合ではレンタルした2㌧トラックでリングを運び、我先にとリングを設営し、、、
唯一のオフ日である水曜日(沖縄プロレスは水曜日以外毎日夜試合してましたので)にも営業がらみの食事会やら、力になってくれてる方にご挨拶に行ったり、、、
それはそれは本当によく働いてくれていました。
本当に3人分か、それ以上に働いてくれていました。
前に何かで書いたけど、めんそ~れ親父と8は沖縄プロレスで一番よく働いてくれていました。
もちろん私以上に。
シーサー王以上に。
社長以上に働いてくれていました。
この二人の給料が団体で一番だったとしても、誰も文句は言わなかったんじゃないかな……???
本当に機転が利き、社交性があり、上下関係もわきまえていて、プロレス以外は何でもできていました。
そう!
プロレス以外は。。。
~その②につづく~
毒人8
11月4日(日)
都島区民センター(13:00)
⑥HUBvsエイサー8
⑤藤田ミノルvs首里ジョー
ー休憩ー
④TORUvsFUMA
③ビリーケン・キッドvsX
②ハイビスカスみぃvsポークたま子
①原田大輔vsXX
料金
特別リングサイド…完売
リングサイド…残りわずか
指定席……4000円
自由席……3000円
障がい者、小中学生…全席1000円割引
未就学児……無料