僕は一人で黙々と練習するのが好きなようで、合同練習が終わった夕方とかに道場のリングにマットをひいてスプラッシュの練習をしていました。
試合のこんな場面かな~とかブツブツ言いながらアピール付きでやってました。
多分、相当気持ち悪かったと思います。
その時の理想は、
ECWの頃のロブ・ヴァンダムのファイブスター・フロッグスプラッシュでした。
初めてビデオで観た時、衝撃を受けました。
空高く飛んで、1回屈伸してからのエビ反りがキレイでキレイで。
後にWWEが城ホールに来たときに、ヴァンダムのスプラッシュを見れた時は感動しましたねー。
他にもビデオに映っていた東郷さんのオリジナル技を使ったりもしました。
生まれ持ったものが違うので、“ フラワー ” と呼ばれていたバク宙キックが好きでしたが、そういうのはさすがにできませんでした。
セントーンの前に相手を寝かせる技とかアピールは真似しましたねー。
今のスプラッシュ前のペディグリーなんかその最たる例です。
当時、辞めていかれた方々の話は当然のようにタブーでした。
デメキン→ゴアに変身し、心身ともに会社に不信感があった時、週プロのインタビューを受けました。
大阪プロレスが主催のスーパーJカップという大会のトーナメントに参加する選手をクローズアップする企画で、私はためらわず初めて東郷さんの名前を口にしました。
それが掲載された後、会社に呼び出されお叱りを受けました。
こっぴどく怒られました。
今思えば、この頃はリング上だけでなくリアルに反発してました。
よくクビにされなかったなーと思います。
この件で厳重注意されてからはさすがにもう口にするのはヤメようと、慕っていた瀬野優さんにも言わなくなりました。
東郷さんがビートたけしの座頭市の様に金髪の時も。。。
スーパークルーの時も。。。
びっくりプロレスで岸和田兄さんと試合した時も。。。
月日は流れ私は変化に変化を重ね、
デメキン→ゴア→ドルフィン→ゼロ→怪人・ハブ男となっていた沖縄の地で東郷さんが年内引退を発表したことを知ります。
ガックリ。。。
多分その日は荒れていました。
後輩にえらいきつく当たってしまったような気がします。
しかし!
引退前にDDT沖縄遠征が決まり、タッグながら再び対戦できることになったねですぅぅぅぅぅぅー!!!
~更に更につづく~