シャンソンは
人間の負の部分まで含めて
激しくさらけ出す大衆歌謡
…EPSEMS式速記&PGTH式速記
↓ 2018年4月2日 日本経済新聞 第44面より引用
(文化)
シャンソン 日仏の懸け橋
◇ 生き方の本質を問う大衆歌謡の言葉と魅力伝える ◇
永瀧 達治
フランスのシャンソン。華やかなパリのイメージと相まって、おしゃれで洗練された音楽という印象を持つ方も多いと思う。だが実際は俗っぽく、人間の負の部分まで含めて激しくさらけ出す大衆歌謡だ。私は40年以上日本でシャンソンの神髄を伝え、日仏の歌手の架け橋になるべく活動を続けてきた。日仏の文化をぶつけ合うことで、価値観の多様化につながったという自負はある。
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放浪目的の渡仏で感銘
もともとフランスの音楽や文化だけに興味があったわけではない。1949年生まれである私の世代はビートルズをはじめとするポップスを聴き、少年時代から洋楽に憧れを抱いた。自由で無頼な生き方が格好いいという風潮があり、海外でヒッピーのように自由を味わうことが憧れだった。
日本の国立大学2つを中退して71年にフランスに渡ったのも、ヒッピー的人生の箔を付けるためだ。フランス語ができないまま現地に行ったのは今思えば無謀だった。パリではソルボンヌ大(パリ第3大)映画科に通った。語学がわからなくても映画なら何とかなるとの算段。五月革命の直後で入学手続きもいい加減だった。
そんな時、フランスで聴いたジョルジュ・ブラッサンスの吟遊詩人、とでも言うべきシャンソンに感銘を受けた。アナーキーなセルジュ・ゲンスブールにも違った意味で衝撃を受けた。彼の歌は自由と無頼に憧れていた私の胸に迫ってきた。
フランス音楽に開眼してからは多くの音楽を聴き本を読みあさった。この経験がフランス語の習得を早めた。フランスには3年間滞在した。この頃はシャンソンをはじめとする音楽の爛熟(らんじゅく)期。日本でもちょうどフランス文化がもてはやされ、帰国後は様々な雑誌でフランスの音楽や文化について書く仕事があった。
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仏の歌手を日本へ
シャンソンは美しいメロディーや歌詞も大事だが、言葉そのものの「ニュアンス」に本質が潜む。豪華なフランス料理、華やかなファッションだけではなく、フランスの陰の部分まで知り尽くさないと理解できない。
シャンソンの本質を一言で表現するなら「耽美(たんび)的」だ。「耽美」というと谷崎潤一郎をはじめ、日本の美的感覚を連想する方も多いだろう。集団を重んじる日本と個を重んじるフランスは正反対でありながら、共通項も多い。フランスではジャポニスム、現在のアニメ、マンガのような日本ブームが起きるし、逆に日本でフランスブームが生まれることもある。
75年ごろからフランスの歌手を日本に呼ぶ仕事に関わった。ゲンスブールらは母国でこそ有名人だが、当時の日本では相手にされていなかった。一見、偽悪的に酒、煙草(たばこ)、女を歌うが、その中に個人の人権や平等を尊ぶ生き方が詰まる。詩人の塚本邦雄さんもシャンソンにひかれた一人で、かわいがってもらった。
歌手、作家として知られるイヴ・シモンとも懇意で、何度も日本に連れてきた。ジョルジュ・ムスタキは人柄が素晴らしく、彼の自宅で語り合ったことがある。今年も来日する93歳の大歌手、シャルル・アズナヴールは日本に来ても打ち上げには出ず、朝からジョギングするなど禁欲的な姿が目に焼き付いている。
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妻と講演やイベント
日本では故石井好子さん、新井英一さんと関係が深い。フランスのシャンソンの神髄を伝え、素晴らしい形で歌っていただいた。新井さんはブルースの歌手だが、ゲンスブール、ムスタキら本場のシャンソンをカバーしている。私の経験から見ても日本でこの2人以上にシャンソンを表現した歌手はいない。
2000年代に入ってからはラジオ番組出演などを通じ金沢市との縁が深まり10年ほど前に移住した。今は妻でファッション・エッセイストのフランソワーズ・モレシャンとともにフランス文化に関する講演やイベントなどに参加する。長年の活動はフランスでも知られているらしく、今年2月にはフランスのジャーナリストが日本でのシャンソン普及に関する取材のため私を訪ねてきた。
フランスで過ごした70年代の空気と今は違い、日本もフランスも老若男女が口ずさめる大衆歌謡の時代は終わった。だが、生き方の本質を問うシャンソンは今後も求められるはず。シャンソンの熱量を伝えるため、できることをやっていきたい。
(ながたき・たつじ=フランス音楽評論家)
↓ EPSEMS式速記法 … 速記符号例文の文章は「2018年4月2日 日本経済新聞 第44面」より引用させていただきました。
↓ PGTH式速記法 … 速記符号例文の文章は「2018年4月2日 日本経済新聞 第44面」より引用させていただきました。