人はいくつになっても学び続けることができる! (良いこと言ったみたいに書く) | deluxeの徒然雑草紀行

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ブログのテーマによる振れ幅が大きすぎるので、自分の読みたい記事テーマを決めておいた方がいいかも。
シリアスな社会批評の直後に「ガンダムLOVE」な記事を平気で載せたりしますから(w

(最近読んだ本)

 

 

 

御存じのとおり、今年(2024年)の大河ドラマは『光る君へ』です。

筆者は定子様が入内されたあたりから観ようと思っていたので、見始めてから1カ月程度です。

現在までの感想といえば、「予想どおりの展開(=予想を裏切るようなトンデモではない)で安心する」

でまとめることができます。

 

そんな大河ドラマの影響もあって、平安時代関連の本が書店に並んでいます。

筆者も予習・復習、リアル書店へのわずかばかりの貢献の意味も込めて拝読しているところ。

すると今まで知ることのなかった世界に気づくことができて、驚くことの連続です。

・・・・と無難な言葉遣いで表現しましたが、より正確に書けば

「自分の中の「バカの壁」に気づいてゲンナリした」

です。

 

具体例をいくつか挙げましょう。

 

『源氏物語』の名場面の一つといえば、「若紫」の冒頭で紫の君が

「雀の子を犬君が逃がしつる、伏籠のうちに籠めたりつるものを。」

(雀の子を犬君が逃がしてしまったの、伏籠に入れておいたのに)

と涙目で訴える現場を源氏の君が垣間見る場面です。

 

すると筆者は

犬君は犬(dog)ではなく人間だったのか!

と、『もののけ姫』のアシタカみたいな台詞を心の中でつぶやきました。

要は、紫の君が飼っていた犬が雀を逃がしたものだと思っていたのです。

 

しかし一応ながら自己弁護しますけれども、

たとえば『枕草子』に出てくる「翁丸(おきなまろ)」は犬の名前ですし、

一方で同段に出てくる「馬の命婦」は人間なんですよ。

文法や当時の言葉の逐語訳を覚えたところで、

当時(平安時代)の命名センス、広く言えば常識を理解していなければ、

作品の理解なんて無理であることを実感します。

 

 

 

他に似た例と言えば『伊勢物語』でしょうか。

 

高校時代に教科書で東下りの件を習った記憶はありますが、

そもそも在原業平が東国に行く理由を知らないので、

お話の何処が良いのか意味不明のままでした。

最近になって高樹のぶ子氏の『小説伊勢物語 業平』を拝読して、

時代背景や業平の顛末(藤原高子との悲恋等)を理解し、

一番有名な「かきつばた」の折句の和歌である

「唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をとぞ思ふ」も、

作者の意図を含めて理解できるようになりました。

 

ちなみに開成高校は古典の授業に上小説を教科書として取り入れたのだとか。

さすが超・進学校は目の付け所が違います。

 

(最近読んだ本)

 

そういえば『ビブリア古書堂の事件手帖』の最新刊では、

テーマが夏目漱石の著作物だったこともあり、

最近になって『吾輩は猫である』を再読しています。

以前読んだ時は中三くらいだったので、内容は良くわからないまま終わりましたし。

まだ中途ではありますが、登場人(猫)物が悉く底意地の悪い性格をしているので、

内容自体は愉快ではありますが、読んでて良い気分にはなりませんね。

漱石自身の性格の悪い部分が現れているようでもあり、

単に日ごろの鬱憤(ストレス)をぶつけただけのようでもある不思議な作品です。

 

さて、作品中には時折「ホソ君」という人物が唐突に出てくるので、

以前に読んでいた頃はその単語が出てくるたびに「誰だ?このホソ君って。いたか?こんなやつ」

と引っかかっていたのですが、それから10年以上経ったころでしょうか、

細君(ホソ君)は妻君(さいくん)≒妻と同義

ということを知ってガッカリしたことを覚えています。

今回こそは意味不明にならずに完読したいと思っているのですが。

 

 

あまり話題になっていないのですが、4月からは吉川英治原作『新平家物語』が

Eテレで放送されています(人形劇のほうです)。

声優さんが風間杜夫、石橋蓮司、紺野美沙子etcと超豪華メンバーなのは流石のNHK。

 

最初のお話は「袈裟と盛藤」

一緒に観ていた母は(古典は超得意なのである)、「袈裟と盛藤の話だ!」と大盛り上がりですが、

筆者は「誰のお話???」となって、わけもわからず第一話が終了。

改めて母に聞くと、「吉川英治の本では凄い劇的に描かれた超有名な話」と言われ、

「知らないの?」と半ば鼻で笑われる始末。

 

しかし『平家物語』の内容自体は一応把握している筆者なので、

それほど有名ならば耳にしていないわけがないと思い、家にある『平家物語』の抄訳にあたると、

やはり「袈裟と盛藤」のお話はありません。

どうやら元ネタは『源平盛衰記』に出てくるらしく、

吉川英治氏は自身の著作に上手く取り入れて作品へと昇華させたものなのだそう。

 

 

ですが更に調べると、芥川龍之介の短編にズバリ『袈裟と盛藤』という作品があり、

筆者はそれを読んでいた(はず)ということが分かりました。

慌てて読み返しましたが全く読んだことを覚えていません。

 

・・・と、自分の恥部をさらし続けただけで終わりましたが、

言いたいことは全て藤子・F・不二雄さんが描いてくれましたので、下画像で記事を〆ます。