今日も実家の整理。
解体の第一段階として父の部屋を母家から切り離す。父の部屋と納戸を倉庫として残すためだ。
そこで納戸と父の部屋を最優先で整理している。
先日納戸の押し入れの枕棚を脚立に乗って覗いてみると、茶箱のような物がポツンと置いてあった。
なんの箱だろうと下ろして開けてみると、実家を建てた時の明細や金銭受領書、曽祖母が昭和21年他界の曽祖父が亡くなった前後に書いた遺言めいたつぶやき帳のようなもの(曽祖母はこれを書いてから30年以上生きていた)が入っていた。覚書は字も崩してあったり文語体だったりで半分くらい解読できないが…
このページは読みやすいがこの4分の一ほどの字で書かれたページは本当に解読困難。
それでも読めるところを読んでいくと、幾度となく子供たち(三男一女)に向けた遺言めいたメッセージが出てくる。
なかでも少し不自由のあった長女(結婚したが早くにご主人が他界し子供も居なかったため戻ってきて同居していた)に関しては長男夫婦(私の祖父母)によろしくと幾度となく書いてあった。
また残る二人の息子についてもそれぞれの長所短所を書きうまく世を渡るようにというメッセージが残されていた。
曽祖母は95歳まで生きていて、三男以外は曽祖母より早くに亡くなったのだが。
私の曽祖母との思い出は、ほぼ寝たきりだった曽祖母とままごとやお医者さんごっこ遊びをしたことくらいなので、このメモにより曽祖母の母親としての一面を垣間見た気がした。
ちなみにこの写真は曽祖母の米寿のお祝いに孫4人とひ孫である私と姉から贈った小引き出し?と共に撮ったものだ。上に乗っている大黒様と観音様は、道修町近くにあった家が大阪大空襲で焼けてしまいその焼け跡から出てきたもので、曽祖母の宝物だそうだ。今でも実家に置いてある。
そして今日は祖母の部屋の本類を整理していると歌集が出てきた。
私も名前を聞いたことのある祖父の友人の奥様が執筆されたものだった。
パラパラと読んでみると、どうやら30才を過ぎたあたりで新婚だった息子さんを飛行機事故で亡くされたようだ。人類学を研究されており、研究のため滞在していたソロモン諸島からの帰途、洋上で航空機からの連絡が途絶え捜索したが破片ひとつ見つからなかったそうだ。そういえば子供の頃この事故の話を聞いた記憶がある。
歌集の前半は息子さんを亡くされた悲しみを詠んだものだった。もともと息子さんの供養のために出版されたそうだ。
母も短歌を詠んでおり本も出しているので私もほんの少しは短歌の知識はあるのだが、31文字から悲しみややるせなさ、気持ちの移ろいが手に取る様に伝わり、涙が止まらなかった。
この事故からもう40年以上。
この歌集を出された方はまだご健在なのだろうか。
種類は全く違うがたまたま子供に関する書き物を立て続けに見つけ、親の子を想う気持ちの大きさを改めて感じた。
私は子供に何を伝えられるのだろう。