【自己紹介 その4】

 

36歳で離婚
 

結婚相手との感覚の違い。習慣の違い。
婚家との(主に姑ですが笑)軋轢
同居していた義姉には今でも感謝してます。

 

転職
妊娠、流産
マンション購入後の騒音トラブル
ストレスによるアトピー発症
家庭内別居

 

こう書き出すと色々ありましたね(笑)
 

他人同士が暮らすので、違いがあって当然だと思っていました。
一緒に過ごすうちに歩み寄ったり、慣れたり、諦めたり。
でも、私は、歩み寄れませんでした。

 

アトピーになって痒みで睡眠不足が続き、寝室を分けたのが
最終的なきっかけになり、お互いの気持ちがどんどん離れて
いきました。

 

「将来、独りが寂しいので結婚したい」という声を
聞いたことがあります。
私は、一緒に暮らしているのに、心が通わない方が何倍も孤独
だと感じたので離婚という結論を出しました。

 

36歳で人生初の一人暮らしスタート。
 

苗字も、生活環境も、変わりました。
自分では普通に暮らしていると思っていましたが、
仕事中に動悸がしたり、短時間のめまいが起きる時もあり
かなりストレスが溜まっていたんだと思います。

 

そんな時に、フラワーエッセンスという植物療法を知りました。
東急ハンズでも商品を見たことがあり、しっかりしたお店で
取り扱っているなら、ちゃんとしたメソットなんだろうと
思いました。

 

1年ほど月に1度のグループシェア会に参加。
その時、その時で気になる植物が変化していくのを楽しんで
いるうちに動悸も起きなくなっていました。

 

何度か転職もしました。
ブラック企業にうっかり入社してしまい、湿疹が治りにくく
なるという私のストレスセンサーが発動したので半年で退社。
その後、渋谷にオフィスがある会社にお世話になりました。

離婚した時は、まさか通勤で渋谷に通う日が来ようとは
思っていませんでした。(笑)
 

経理を始め購買、総務部門もやらせてもらい、勤怠管理やマイナンバーの導入も担当。
特定個人情報法にも詳しくなりました。

 

2015年にバッチフラワーレメディ®とアロマオイルを使った施術を受け、その安全性と奥深さを思い出し、広尾88にてベーシック講座を受講。
フルセット購入直後にギックリ腰になりかけ、バッチフラワーレメディで事なきを得ました。
 

その頃から、より自分の気持ちと向き合い、その効果を実感するにつれて、ストレスフルな生活をしている人に、バッチフラワー使えばいいのにという気持ちが募りました。
従姉妹がパニック障害になったのをきっかけに、多くの人に
広める活動がしたいと、ティーチャーコース受講と並行して退職。

 

そして今、多くの仲間や友人に囲まれ、Facebookや講座でバッチフラワーの事を伝えるお仕事をしています。

 

おわり

【自己紹介 その3】

22歳で同僚と結婚
きっかけは、部署内の若手でスキーに行った時に
その人の車に乗ることになり、話してみたら面白かったから。
そしてスキーが上手だったから(笑)

23歳で退職
結婚する時に部署が変更になり、
新しい上司の元で、提案した企画が通って稼働が始まる時でした。
その仕事を完成させたかったけれど、
元旦那さんが転職するのに付き合いました。

その後、専業主婦になりましたが、退屈だったため
ユニフォームが可愛かった近所のケーキ屋で働き始める。
女性ばかりの職場で、マイペースに働く人、
家計の補助に働く人、
器用な人、
接客が上手な人、
年代も職歴も違って面白かったです。

ケーキ屋さんは2年くらい勤めました。
その間に、日商簿記取得して会計事務所の求人へ応募するが、
不採用。
なぜか、その会計事務所の先生の紹介で
輸入販売業の会社へ入社。
12年間、経理兼総務兼営業事務として勤務しました。
当時は少人数だったこともあって、色々やらせてもらいました。
自分の采配で仕事が進められる快適さ、
信じて任せてもらえる誇らしさ。
伸び伸びとお仕事させてもらったのが、この会社でした。

そして、36歳で離婚

つづく・・・

【自己紹介 その2】
中学校受験をして、いろいろな価値観を持つ友達が増えたのは

今でも財産だと思っています。

 

小学校時代と違い、電車や自転車での通学
この頃から母の干渉が多くなってきました。
そして、何回めかの反抗期(笑)
塾をサボって本屋さんで立ち読みしたり、
部活帰りに先輩たちとアイスクリーム屋さんに寄り道したりして
いました。
近くの高校とそっくりな制服だったので、
注意されたことなかったなぁ。

 

 

高校時代はさらに多くの友人に囲まれ、
楽しい3年間を過ごしました。
実の親よりも友達のお母さんや、お父さんとの会話の方が
多かったかも。(*’艸3`):;*。 プッ

 


学校行事も部活もバイトも満喫!
夏休みにこっそり、有志でお泊まりキャンプに行ったのがバレて
怒られたこともありました。
今でも、その時の担任の先生と交流がありますが、
当時は胃薬が手放せなかったそうです。

 

 

志望大学以外は進学しません!とかなりとんがった思考のまま
担任の説得にも応じず就職。
就職を機に神奈川へ8年ぶりに戻る。

 

サービス業に就くが、休日の少なさが嫌で1年で転職。

若かったのと、バブルだったので将来に対する不安が1ミリも
なかった頃です。
 

その後、2000人規模の従業員を抱える地元企業に転職。
設計部門の補助でオフコンやCADを使用。
入社試験時に「結婚したら退職」と言われ、
役職者からは一律「女の子」と呼ばれ、
ムッとしながらもそういうモノだとどこかで諦めていた
時代でした。

 

 

もちろん髪は長くて毛先にウェーブ
前髪は上下にカーラー巻いて孔雀の様にしていましたよ!

 

 

たくさんの人が集まる職場だったので個性豊かな人も大勢いました。
ビックリする高学歴なのに仕事は全然できない技術職や、
バブル期の真っ只中、億単位の仕事を自分の手柄の様に
自慢する人、
借金し食費を削ってベンツで出勤する人。

 

ま、私もこんなの乗って出勤してましたけど(笑)

つづく・・・