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はい、タケコプター

備忘録としての日記です。よろしかったらご覧下さい。

平成21年から行われていた静岡県の事業仕分けがリニューアルし、今年から事業レビューになりました。

事業仕分けは個々の事業単体で判定を行うのが基本ですが、事業レビューは静岡県の総合計画に照らして各の事業が目標達成のために効果的か否かを判断するものです。つまり事業をやめるという絶対評価の事業仕分けに対して、事業レビューは事業全体で各事業の優先順位を考えるものです。


6月に専門委員への参加意向調査があり、7月末に事前勉強会。そして9月7日、8日でレビューの作業が行われました。

担当事業は、

“次世代産業の創出”
 17 新規産業立地事業費助成
 18 地域産業立地事業費助成
 19 工業用地開発可能性基本調査事業費
 20 ファルマバレープロジェクト推進事業費

の4事業。さらに総括セッションとしてこの4事業の重み付けを行います。

早朝、2020年のオリンピック開催地が東京に決定しました。
県庁に向かう途中、中年男性に突然声をかけられ、何かな?
と思って渡されたのは新聞の号外でした。

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以前は事業仕分けには多くの報道陣が集まりましたが
今やマスコミ各社の興味もほとんどなくなったと言っていいくらいです。
一時のパフォーマンスで劇的な改革など出来るはずもなく、
コツコツ作業を続けることが必要で、これが本来の姿なのかも知れません。


班ミーティング、開会式に続いて作業開始です。

17 新規産業立地事業費助成
18 地域産業立地事業費助成


 新規の工場立地する企業に対して補助金を交付し、雇用と投資の促進を図る事業です。
 
 事前勉強会で多数の資料の開示をリクエストしたのですが、却って資料間の数字の整合性が分かりにくかったり、(同じものを示しているはずなのに数字が違う)。工場が立地したとして認識される時期と補助金の交付される時期が異なり、立地件数と補助金交付件数の相関関係が分からない(つまり、補助金が企業立地のインセンティブになっているか否か資料から読み取ることが出来ない)といった問題があり、数値的に補助金の有効性を確認することが出来ませんでした。
その一方で事業担当者は必要性を強調するなど、明確な判断材料がなく判定が出来ない状態でした。

 また、この2事業は補助金の意義を明確にするため静岡県行財政改革委員会の提言を踏まえ、平成25年度で一旦終了し、必要性を吟味の上次年度から再スタートさせる「サンセット方式」の適用となる事業でしたが、担当者は次年度以降も継続することがもはや既定路線と言わんばかりの説明で、半ば事業の見直しが形骸化していることを示唆しているようにも解釈することができ、問題のある説明だったと思います。

事業仕分けなら「見直し」「要改善」と判定されるのが確実な事業ですが、「事業の有効性」で考えると容易に分類できません。
このあたりが事業レビューの非常に難しいところです。


19 工業用地開発可能性基本調査事業費

立地を希望する企業に対し、各市町が工場適地を紹介するためのカタログを作るための企業局による事業です。

簡単に言えば、本来市町がプロモーションとして作るべきカタログを、企業局が市町に補助して作らせようというものです。狙いとしては企業局が工場の造成事業の受注を目的にいわばツバをつけておくようなものです。
民業圧迫の感が否めず、企業局でなければ出来ないという理由もなく、有効性は4事業で一番低いのではないかという印象を受けました。
事業内容も把握しにくく、私も勘違い質問をするという失態を犯してしまいました。


20 ファルマバレープロジェクト推進事業費

医薬品、医療機器関連の業種の企業を集積させ静岡県における医療機器の出荷額を延ばしていこうというプロジェクト。
やはり、この事業も事業の成果を現す数的根拠がありませんでした。
この事業で好感を持てた点は説明者も納得できる数的な根拠がないことを意識していて、事業シートの作成にあたっては様々な検討を行ったことを説明されました。
改善の余地がありそうなのは結構ですが、だからといって事業の有効性が高いと判定することは出来ません。

数値的な根拠を求めるのは困難と見て、担当職員に普段肌で感じていることを問いかけてみました。
エヴィデンスに基づく判断にはなりませんが、仕方ありません。
一方で事業仕分けやレビューを公開で行うのは県職員の普段の仕事ぶりを県民の皆さんに分かっていただくというのも副次的な効果として得られるものですので、そちらの観点からは逆にそれでいいのかもしれません。

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これらの4事業の討論を総括して、4事業の重み付けの作業に入りました。
班の結論は「19 工業用地開発可能性基本調査事業費」を縮小でした。


事業仕分け・レビューの分野では最先端を行くという静岡県。
しかし、難易度は高くかなりアグレッシブな挑戦です。

個別事業の判定は「大きな効果がある」「一定の効果がある」「あまり効果がない」の選択肢ですが、「効果が分からない」という選択肢も欲しかったのが正直なところでした。
事業仕分けで静岡県庁もだいぶ鍛えられて筋肉質になったと思ったのですが、事業仕分け初期に先祖返りしたようなプレゼンや担当者の発言もあり、残念というかショックを受けたというのが偽らざる感想です。

大変だとは思いますが、是非ともいい成果につなげて欲しいものです。
市役所の方に歩いてみることに

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最初のボランティア活動の時に拠点だった矢本保健相談センター、
2度目の時にテント張りの拠点になっていた、コミュニティーセンター横の広場。
いずれも、普段の日曜の姿に戻っています。

1度目の時昼食をとった市役所の向かいの居酒屋も店じまいしてしまったようで、
壊れた看板がもの悲しく思いました。
全国から有志、或いは自治体の応援職員が集まっていたあの頃が嘘のようでした。
でも、これで良いんです。これが普通の姿ですから。


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ちょうどお昼前のこの時間ですので、東松島の経済にほんのちょっとだけ貢献すべく、矢本駅近くの蕎麦店でお昼をとることにしました。


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鴨ざる。
今まで食事もそこそこに旅を前に進めることばかり考えていたので、鴨と葱、そばのハーモニーに感激しました。

この日はちょうど1983年5月26日の日本海中部地震から30年。ネットのニュースで知りました。
地震があったのは正午前といいます。この地震の時も津波で多数の犠牲が出ました。
しかし、あの頃はその後2万人近い犠牲者の出る地震を目の当たりにするなんて、思いもしていませんでした。

ちょうど1時間矢本を歩いて代行バスで再び仙台を目指します。
石巻~矢本の仙石線、そして代行バスは概ね1時間に一本程度の運転です。

バスは20名程度の乗車。
3歳くらいの子供が女性に連れられてバスに乗ってきましたが「電車でないと嫌だ」とだだをこねていました。


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国道45号線にでてしばらくすると、左手が田園地帯になります。
松島基地があるためか民家や視界を遮る建物も少なく、海岸線の松林が見えます。
松林も相当に傷んでいる様子です。

国道45号も地震直後は津波に流された漂流物でふさがれていたというほどですので、この田園地帯も全て浸水しています。
塩害もあるのか、耕作している農地はごくわずかです。


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採石がえぐられていた仙石線もこの先の陸前小野までが運転再開。
田植えの終わった農地もあり、着実に回腹の方向へ動き出しています。

左前方の丘の間にある谷間を切り土しているのが見えます。
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あのあたりが仙石線新線の敷設場所になりそうです。


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鳴瀬川まで来ました。


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しかし、堤防道路は堤防のかさ上げ工事のため通行止め。
代行バスも迂回します。

そう言えば最初に通った時は堤内地の田んぼに小舟などの津波漂流物が散乱していました。


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迂回路の脇には野蒜地区の集団移転地があり、造成工事の真っ最中でした。

野蒜から東名地区にかけては津波で多数の家屋が大破。
また、地盤沈下で海水に浸かったままになっている地区もあるため
集落が高台に集団移転することになりました。

バスは、野蒜小学校の脇を通って東名運河沿いの道路に出た後、野蒜駅の方向に少し戻ります。


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かつて、目を覆いたくなるような悲惨な状態だったこのあたりも、ほとんどの家が取り壊されて更地になってしまいました。
移転先がまだ造成中ということは不便な生活を強いられている方も多いわけで、一日も早い工事の完成が待たれます。


野蒜駅

野蒜駅も架線柱が破壊されたまま。
線路が付け替えられ、同時に駅もそちらに移転しますのでもうこの駅が使われることもありません。


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地獄の様相を呈していた東名運河も今はすっかり静かな佇まいです。
しかし、護岸が破壊されたままで、痛々しさはそこかしこに見受けられます。


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東名駅も線路の付け替えと共に移転します。
このあたりも家屋がめっきり少なくなってしまいました。
そして裏手の農地はまだ海水が引いていません。


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陸前大塚の手前のこのあたりが既存の線路との接続点になりそうです。


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松島で若干渋滞したもののほぼ定刻で松島海岸駅に到着しました。
JRでは現在、宮城県のキャンペーンを展開していてJRの制服を着て撮影ができるサービスなんかもやっていました。


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松島は多数の観光客で賑わっています。
先程まで乗ってきた代行バスが今度は矢本に折り返していくのでしょう。


仙台駅

仙台駅に到着。
たっぷり歩き回ってきたのでちょっと休憩。

風薫る五月に。やはり「ずんだ」は外せないでしょう。


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ということでこんな感じでお茶してみました。


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こちらもJRの宮城キャンペーンの一環ですね。

Suicaペンギンの仙台バージョンです。


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伊達ペンギンとでもいいましょうか。


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おみやげも買って帰路へ。


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帰りは「はやて40号」。
「はやて」ですが新型です。


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夕陽を追いかけながら、「はやて」は南へ。
朝方はあまり天気が良くありませんでしたが、途中から持ち直してきました。

盛岡から石巻経由で仙台まで在来線の旅。しかも早朝から濃い旅になりました。

東松島の今後も気になるところですし、三陸の街も一度訪れてみたい気がします。
さて、次はいつになるんでしょうか。
2日目、26日は8:00に一ノ関を出発のスケジュール。
しかし5:25分に目覚めてしまいました。

一ノ関駅

折角早起きしたのだからと早々に出発。
今日は石巻、仙石線経由で仙台から新幹線というルートです。

一ノ関駅電光掲示板

予定より1時間早い7:00発の電車に乗ります

一ノ関は大船渡線の起点でもあります。
大船渡線は、気仙沼、陸前高田を通り、大船渡の先の盛というところまで延びています。
ご存じの通り、気仙沼から先の沿岸部は津波の被害が甚大な地域で、大船渡線も壊滅的な被害を受け不通になっています。
一ノ関はそれほど震災の影響は見られませんが、駅に来ると被災地が近いことを意識させられます。


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日曜の早朝とあって、駅も電車も人影はまばらです。


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行程は昨日のお昼から復路に入っています。


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どんよりとした曇り空...と思っていたら雨も降ってきました。
しかもとても寒いです。昨日まで着ていたシャツを急遽取り出して羽織りました。

シーンズの後ろポケットあたりが暖かいと思ったらシートヒーターが入っていました。


小牛田駅

小牛田で石巻線に乗り換え。


石巻線

国鉄譲りの古い車両で一気にローカル色が強くなります。


前谷地駅

時刻表を確かめずに乗ったら途中の前谷地駅止まりで、降ろされてしまいました。

仕方ないので駅周辺を歩いてみます。

駅前に数件商店が建ち並んでいますが、
駅から少し離れると更地が多くあります。


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だいぶ前から使われていない、元金融機関の建物があったりします。


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一方、立派な門構えのお宅や、茅葺き屋根の古民家も見受けられます。

ここ前谷地駅は気仙沼線の起点でもあります。
気仙沼線も大船渡線同様、沿岸部で壊滅的な被害を受けており
柳津から先は、BRTという一部線路敷を走る代行バスになっています。


石巻駅

石巻駅着。
1時間早く出発したものの石巻に着いてみれば予定より35分早いだけになってしまいました。
乗り継ぎが悪すぎます。
あの内田裕也が「ロックンロールだから」といって慰問に訪れた石巻です。


仮面ライダーとサイボーグ007

石巻は石ノ森章太郎のアニメで町おこしを図っています。
駅でも仮面ライダーやサイボーグ007がお出迎え。

石ノ森漫画館に向けて歩いてみました。
途中、ところどころ独特な海のヘドロの臭いがします。

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旧北上川河口のほとりにはこんな注意書きが。
地盤沈下の影響で満潮時に冠水するようです。


石ノ森漫画館

石ノ森漫画館へ。

外観だけ見ようかと思いましたが、なかなか来られるところでもないので中を見てみることにしました。

特別展示は、新キャラクター「シージェッター海斗」。石巻の復興を影から後押しするヒーローです。
もちろん常設展示には定番の石ノ森作品にまつわる品々が展示されていました。


002ドッグ 石ノ森漫画館

少々空腹につき、最上階の喫茶コーナーで腹ごしらえ。
こちらは002ドッグです。
ちなみに007ドッグはエッグサンドです。


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津波の爪痕もわずかながら残っています。
しかし、一番目立つのは更地です。
素人目にも地面が波打っているのが分かるくらいですから、津波だけでなく地盤の問題もあったのかも知れません。


仙石線

今度は仙石線で矢本まで。
2年前、2度目のボランティアに出掛けた直後に仙石線の石巻~陸前小野間が復旧しました。
現在は代行バス区間が矢本~松島海岸に短縮されています。


キハ110-245

但し、走っているのはディーゼル車。
変電所が津波に破壊されたためだそうです。


矢本駅

3度目の訪問にして初めて矢本駅の改札を出ました。
駅前はまったく変わった様子がありません。