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ナチスの計画

ジプシーとユダヤの絶滅につづき、ポーランド人、ウクライナ人、オランダ人、ロレーヌ人
アルザス人の絶滅、さらには器質的疾患を持つもの、肺病および心臓病患者は、家族もろとも消し去られることになっていた。
さらに、ナチスは、東欧やソ連の占領区から金髪と青い目をした12歳以下の美少年、美少女をさらってきて
ドイツ人として育てた。係累を絶つために、親兄弟を皆殺しにし、出生証明書なども偽造した。
その数、20万人と言われる。
ナチスにとって、全ての事柄の出発点は、人種である。
優れた人種を育成することである。

中国共産党の内部文献が外部に漏れた。「建国以来歴次政治運動史実報告」と題する文書。
これによると、毛沢東の建国以来、文革までの殺戮数は2600万人と書かれている。
アメリカ上院安全委員会が1971年8月に出した調査報告書では、「毛沢東は、政権を樹立し
最初の10年で3000万人の大衆を大虐殺し、文化大革命直前まで2000万人、合計5000万人を殺している」
これに文化大革命の犠牲者を加えれば、途方もない大虐殺数になる。
チベットでのジェノサイドは今も続く。

ジェノサイドは、スターリン、毛沢東、インドネシア共産党書記長アイジット、クメールルージュのポルポト、
ウガンダのアミン大統領、セルビアのミロシェビッチ大統領など。

毛沢東親衛隊の指導をうけたクメールルージュのポルポト派は、1975年にプノンペンを制圧。
都市住民をことごとく農村に移動せしめた。そして、理想社会をつくると称し、邪魔になる知識層の殺害を開始した。
毛沢東も知識分子を嫌っていた。ポルポトは、最も忠実な毛沢東の弟子であった。
カンボジア人口のうち800万のうち、250万人を殺戮した。
キリングフィールドで知られる。

キリングフィールドを北京政府が背後で指導していたことが知られると、北京政府は突如、日本軍の南京大虐殺をもちだす。
終戦から30年後のことである。
1995年、6月終戦50年の年、中国の江沢民国家主席は、海部首相に、ドイツは謝罪し十分な認識をもっているのに
日本は歴史について間違った認識をもっていると言った。

ドイツの哲学者カールヤスパースは、戦後1946年、「責罪論」を書いた。
「人間の罪には、個人の罪と集団の罪がある。ナチスの罪は、特定幹部の罪であって、ドイツ民族全体の罪ではない」
政治上の罪はあるので、賠償金は支払うということになった。
ヤスパースの論法を、歴代のドイツ大統領は踏襲していく。
ヤスパースは、全ドイツ国民を救った。

現代は、古代ギリシャ末期のヘレニズム時代に似ている。
ヘレニズム時代とは、古典ギリシャ時代が終わり、ローマ時代の開始されるまでの中間の時代をさす。
その最初の時期は、アレクサンダー大王の東方遠征があり、大王の死(前323)があってから
約300年ほどの期間である。
アレクサンダー大王は、10年を越す遠征を行った。エジプトのアレクサンドリアをはじめ、
アジアにギリシャ系の諸都市を建設し、インドの西北部まで進出した。
その頃になると、スパルタもアテネも衰亡した。おびただしいギリシャ人が、ギリシャの町を捨て移住した。
オリエントの古い文化の地域に、ギリシャの文化が流れ込んだ。
新しいギリシャの文化、すなわちヘレニズム文化である。

なぜ、ヘレニズム文化と現代が似ているか。
ヨーロッパ文明の進出と展開も、おおよそ300年。
地球全体がヨーロッパ化した17世紀から今日に及ぶ。
アレクサンダー大王の東方遠征によって、古代ギリシャの時代のポリスは終止符をうつ。
そして、新しい世界国家の時代になった。現代も、国境は低くなっている点において似ている。

ギリシャの学問が一大発展を遂げたのは、ヘレニズム時代である。
アリストテレスの学校、リュケイオン(前335)の創設以来、およそ100年間、知的発見が続く。
この時代に、ギリシャの学問ははじめて方法論を備えた一大体系となる。
それまでばらばらの混合体であったものが、まとまった。
数学や天文学といった分野では、16世紀以前まで達成することのできない高い水準まで達した。

アレクサンダー大王の征服によって、当時の人々の空間的視野は、突然広がった。
古典期のギリシャ人は、異民族を野蛮人(バルバロイ)と呼んで、はなはだしい人種的偏見をもっていた。
ヘレニズム時代にはこれが変わった。
アレクサンダー大王は、自らペルシャの王女をめとり、マケドニアの高級軍人とペルシャの貴族の娘を結婚させた。
バルバロイとの融和促進を図った。開かれた社会になっていった。
アリストテレス、テオフラストス、ゼノン、クレアンテス、クリュシッポスは、みな異邦人であった。
ちなみに、当時の哲学の目的は「心の平静(アタラクシア)」だった。

現代も、ヨーロッパの植民地政策で、地球の半分が侵略され、人種をめぐって激しい戦いが行われていた。
第二次大戦が終わり半世紀たち、人々は流血に疲れた。不和や敵意は消えないものの、あまりに露骨な偏見を
互いに高めないようにする知恵も身に着けた。
南アフリカのアパルトヘイトが廃止され、白豪主義を唱えていたオーストラリアが、多文化主義へと変わっていった。

エピクロスの言葉

日常の俗事に煩わされず、死を恐れぬ平静をもって真の幸福とみなした。

私たちは、過ぎし日々への感謝と、すでに生起したものは元には戻らぬという認識によって
不幸を和らげなければならぬと説いた。

ヘレニズム時代が3世紀を推移して、やがてローマの時代へと移る。
知性がやがて退行していき、占星術がはやる。
占星術は、バビロニアでつくりだされ、エジプトに広がった。
ローマにまで伝播し、流行したのは紀元前2世紀だった。
占いの流行は、宗教の衰えである。

やがてローマが、全地中海を統一し、前27年、帝政時代に入る。

ハイデッガーの3つの退屈
第一は、誰もが経験する手持ち無沙汰の退屈。
第二は、他人との楽しい団欒が、実は退屈を覆い隠していただけということ。
人の家にいって、飲んで食べて話して、帰ってきた時、楽しかったけれど、実は退屈していたのだと気づく。
時間の空虚を埋めてくれることは可能。
われわれの日々の生活は、この2種類の退屈とその取り消しをいったりきたりしているのだと説く。
もうひとつの退屈。
おもいがけず、なんとなく退屈になる。何もする気になれない。
何をみても、楽しくない、どことなく全てが空虚、何もかもがどうでもよい。
存在の深いふちに沈黙したまま、不気味に苦しむ。
これが、本来的根源的な退屈だという。
一般的には、低く評価される。
これに襲われたら、抑えたり避けたりせず、じっと耐えて待ち、本質的なものをそこから聞き取るのが肝要だといいます。
この退屈の由来をたずねると、われわれは存在の根底へ近づくことができる。
言い知れぬ生への無意味の中におかれていることに気がつく。
漠と予感する瞬間である。

みな、第一の退屈と第二の退屈を往復しながら、ごまかしながら生きている。
突如として襲われる第三の退屈にどう対処すべきなのだろうか。