幕府によるオランダ船を介入して交易するようになった。
日本からは、金、銀、銅が輸出された。
別子銅山をもつ住友本家は、オランダの繁栄の源泉だった。
日本は元禄文化を金、銀、銅で買ったようなものである
かんざしには、地中海の珊瑚がつかわれ、幕府は年貢収入の2割を絹織物
を購買することにあてた。
外国船からかいつけた最大の商品は、世界の情報であった。
8代将軍吉宗の時代には、1頭の象が長崎から江戸に旅した。
吉宗は27頭のペルシャ馬を購入、オランダから馬術師もよび
日本の軍馬の改良にはげんだ。
海外の学問情報にも敏感だった。
顕微鏡も天体望遠鏡もほぼ発明と同時に輸入している。
解体新書は、ドイツ語で1732年、原書が出版され
オランダ語に訳され、それを日本人が1774年、翻訳した。
1840年から42年のアヘン戦争時、「阿片風説書」を出し、警戒心を強めた。
国内から算出される外貨が底をつきはじめる。
吉宗は輸入を抑制し、海外から生産技術の知識を得て、国産化を急ぐ。
朝鮮人参の人工栽培に手をだし、成功。銀の流出を恐れていたからである。
ヨーロッパも、東インドから得たコーヒーや砂糖や木綿の原料となる栽培植物を
新大陸に移植することに成功。かつてアジアから輸入していたものを、自給し出す。
その結果、ヨーロッパも日本も、アジア物産の輸入から脱却しつつあった。
オランダ風説書としてまとめられた本がある。
フランス革命からリスボンの大地震まで詳しく述べられている。
福知山の大名は、出島のオランダ人から得られた情報をもとに、大西洋地図という世界地図の本を書いた。その中に、当時のパリの正確な市街図がある。
