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ジャックデリダのブログ

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紀元前800年ごろから紀元前200年頃まで
人類の歴史の中では、
東でも西でも、全人類にかかわる重要で、決定的な出来事が起きた。

哲学の出現、科学の成立、高度宗教の誕生といったことが相次ぐ。
ドイツの哲学者、カールヤスパースは、軸の時代と呼んだ。
人間存在が、ひとつの理念的な軸を生み出した時代、という意味である。

シナでは孔子と老子が生まれ、シナ哲学のあらゆる方向が発生し
墨子、荘子、列子などが生まれた。
インドでは、ウパニシャッドが発生し、仏陀が生まれ
懐疑論、唯物論、詭弁術、虚無主義にいたるまでのあらゆる哲学的可能性が
シナと同様に展開された。
イランではゾロアスター教が善と悪の闘争という世界像を説き
パレスチナでは、エリアからイザイア、エレミアといった預言者が出現
ギリシャではホメロスや哲学者たち、パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトン
アルキメデスが現れた。

これはヤスパースは、人間が人間として、自己の無力感をはっきりと意識したことに
精神覚醒の焦点を絞っている。人間は世界のおそろしさと自己の無力感を経験した。
そこから根本的な問いが発せられる。
この頃の日本は、縄文晩期から弥生時代を迎えるころであった。
灌漑を備えた水田が始まるのは、紀元前4世紀くらいからだといわれる。

5世紀まで日本と中国の交流はあった。
そして7世紀、隋との交渉が始まる。
聖徳太子を摂政とする推古天皇朝(592~628)は、朝鮮外交から大陸外交へ切り替えた。
彼は随による大陸の再統一を注意深く見守ったのち、本格的な交渉を始めた。
朝鮮を経由せず、じかに大陸の文明を取り入れるためであった。

7世紀から8世紀にかけて
604年 冠位十二階施行、憲法17条制定
607年、小野妹子ら隋へ派遣。
     「日いづるところの天使、書を、日没するところの天使に致す。」
628年、唐、中国大陸を統一
645年、大化の改新。中大兄皇子ら、蘇我入鹿、蝦夷を滅ぼす
660年、百済滅亡
663年、白村江の戦いにて敗北
668年、高句麗滅亡
670年、全国的に戸籍作成
676年、新羅、朝鮮半島を統一
694年、藤原京に遷都
701年、大宝律令なる
710年、平城京に遷都
894年、遣唐使廃止
907年の唐滅亡以後は、もはや大陸からは学ばなくなっている。

空海や最澄を乗せた遣唐使の船が唐を目指して出発したのは、804年。桓武天皇の年。
11月3日に、福州を出発し、12月21日に長安に到着した。4200キロの行程を、わずか49日でたどりつく。
日本が、正月元旦の儀式に参加した。供え物を皇帝に献上し、皇帝からねんごろな挨拶をされている。
日本に対する唐王朝の待遇はかなりのものであった。


韓非子
昔、秦の昭王が病気になった。人民は村ごとに牛を犠牲にして王に捧げ、王の回復を願った。
これを聞いた王は、人民に罰として、鎧2領の供出を命じた。

理由はこうである。
命令もうけぬのに、勝手な祈祷の儀をなすのは、人民が自分を愛しているからである。
その結果、情が移って、法令を緩和したら、法の威令はなくなり、やがて国は滅びるだろう。
今の場合、人民に罰を科し、治を確立するのが、最善である。

韓非子は、ここまで法治の精神を徹底させた。
韓非子の人間観はこうである。人間は、利己心のかたまり、醜悪な存在である。
臣下たるものは、君主を収奪して自分の勢力を伸ばそうとする存在である。
法によって、人間の欲望を制御しなければならない。
したがって目的とするのは、完全な法治国家である。

秦の始皇帝の国家統一に理念上の基礎を提供したのは、韓非子だった。

日本の歴史の中に巨大なものがいくつかある。
奈良の東大寺は、当時の世界最大の木造建築物だった。
また、その大仏ほどの巨大な金、銅でつくられた彫像は、世界のどこにも存在しない。
平安時代の出雲大社の高さは、48メートル。
また前方後円墳が全国に多数存在する。仁徳天皇領が最大規模で、秦の始皇帝の墓よりも大きい。