今日は星組梅芸『ロックオペラ・モーツァルト』楽!短い期間とはいえ本当にあっという間
まだまだ東京があるので(しかもこけら落とし公演)気は抜けませんが、
東京までの間少しでも体を休められますよう・・・
ひとまず梅田千秋楽おめでとうございます!まずはホッと一安心ですね
そして明日はいよいよ『龍の宮物語』初日!稽古場を見ましたが、
全体的にシリアス?さきっぽの眉毛に釘付けになりつつ
未だ全容はわかりませんが、美しい物語になりそう。
しっかり龍神様にもソロがありますしね!観劇楽しみにしています
その『ロクモ』ありがたいことにお誘いいただきまして土曜日に観てきました!
丁度雪組組子と被りアドリブにはそれにちなんだこともやったりして。
トップコンビ就任おめでとう~という劇場中が温かい空気に包まれていました。
前任者ファンとして。寂しいとかそんな思いにならず普通にとても楽しめました。
もしかしたらまだ別箱公演を観ている感覚なのかもしれませんが。
ただ、一緒に観に行った方に「大丈夫でした?」と聞かれて
全然大丈夫だし紅さんの後を継いでくれた礼君を応援したい気持ちで一杯です~
と口に出した瞬間に涙するやつ心で思っている以上に体は素直なのかもしれない。
感想をざっくり簡単に。
脚本について。オリジナル自体歌とダンスメインでお話はオマケ程度のもの。
1789や太陽王以上にショー感覚が強いです(わかり易くいえば『ノバボサ』みたいな)
宝塚版ではオリジナルの毒々しさ(主にコンス周り)をやわらげ、
お芝居要素を増やして話の筋としてわかり易く?しています。
(モーツァルトが原版の方が変人っぽくて礼君はお調子者館が強くなった)
逆に言えば、付け足したりしている部分以外はおおよそ受ける印象は
原版と変わりがないです。話の展開も変わらないですしね!
元が元だけに、登場人物の描き方が足りない特にモーツァルトの苦悩部分。
別に人物周りについてはこれでいいと思うんです。最後まで仲間に囲まれてたとことか。
映画『アマデウス』の印象が強いですが、昨今ではいろんなことが分かってきました。
モーツァルトは割と人に恵まれ囲まれていた。サリエリとはライバルだった以上に
尊敬しあっていた。コンスタンツェは悪女なかった。モーツァルトは晩年も
そこそこに稼いでいた(それ以上に浪費が凄かった)etc
描いて欲しいのは天才が故の心の孤独。どんだけ明るく変人奇人とすら思える
振る舞いをしていても、その奥にある「理解されたいのにされない苦悩」を。
他にも、厳格な父親の期待にどうにかして応えたい。でもつい背いてしまう自分の心とか、
サリエリの嫉妬心だけでない尊敬し愛とも言えるヴォルフへの執着心とか。
こちらの方はね、オリジナルにはあったんですが・・・なぜなくなったんだろう。
無くなったと言えば、アロイジアと別れてパリに行くシーン。ここではアロイジアの
切ない恋心を歌いながらパリへと向かうナンバーだったんですが、
主題歌(に設定された)「♪Plce,je passe」リプライズに変更されています。
結果アロイジアの恋心を忘れ浮かれ気分にパリに行く人に変更されてしまった
元々シングルカットすらされてるナンバーだったのに変更はすこぶる残念
楽曲はすこぶる明るいのに「君(アロイジア)の胸に僕の名を刻もう」だったり、
パリの人々が無視したり冷たくあしらうのが心情を表しているナンバー。
この歌、礼君にも歌ってほしかったのになぁ。。。
まぁ何よりね、、、石田節ですよ演出が現代風なので多少なりに砕けたり
作品にあう現代風な言葉使いをするのはありだとしましょう。
言葉使いのセンスが悪すぎる!“就活”とか“コジラセ女子”とか“シングルマザー”とか。
「今風な言葉を使って今風な作品しあげました(ドヤ)」みたいなの本当にやめて欲しい
(その瞬間ふと夢の世界から現実に引き戻されてしまう)
それと「つまり○○ってこと」(バリエーション多々)の多さたるや(しかも二重に)
『カンパニー』ほどは気にならないものの、やっぱりイチイチきにしてしまうし
テンポ感も悪くなってしまう。パトロンの意味ぐらい分かるわ!ってなりますし。
こういう余分な時間をもっと役の掘り下げに使ってほしかったのが正直なところ。
まぁそれでもなんだかんだモーツァルトの死にぐっとくるものがありますし。
(それがまた妙に腹立つというか演者のお蔭であって脚本ではない)
歌とダンスを楽しむだけで十分におつりがくるぐらいの星組のパワーと技量!
観劇後「凄いものに立ち会ってしまった」きっとその場に居る全員が思う事でしょう。
続く