できれば毎日

このブログは元々ガイガーカウンターでの測定(のようなこと)と、日々触れている情報で気になったものを載せるといった形のものでした。その後、生活の軸を少しずつ四国に移し、(自分たちとしては)新しい暮らしを模索している暮らし日記的なものを経て、今は四国のお山を下り、お山の日々を胸に新たな暮らしを紡ぎながら、思うにまかせたブログとなっています。今は旅の途中。

なにはともあれできれば毎日。

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質感

 

先日、youtubeの動画で
世界は1999年で終わっていて
人々はその時間の中に閉じ込められ
彷徨っているのでは?というなかなか
おもしろい説が紹介されてて見てみた。

何を言ってるのかわからない
というような方もいるとは思うけど
目に見えるものも含めて1999年以降
新しいものが出てきてないのでは
という話がひとつの柱となっていて
具体的な例として、2000年代以降
文化的なアップデートが行われてなく
その多くが焼き直しでまかなわれてる
というものがあったのだけれど、
なるほどなぁと思ったんです。

ファッションや音楽、建築の話などが
語られてる中、おもしろかったのは
最近の若者は古着がかっこよくて
古着を好んで着るためか、ブランドも
古着っぽいヴィンテージ加工を施した
路線になっているとか。そうなのか。

それは何故かという問いの答えとして
「味がする」「五感が満たされるから」
ということが語られている。なるほど。

ヴィンテージ加工は古着の質感を出す
ということらしく、どうも「質感」が
鍵なのかもしれないなぁと思ったんです。

別の言い方をすれば「手触り」「手応え」
「存在感」みたいなものになるのかも。
味とか五感とかの話と重なると思います。

例えば、ぼくの身の回りを眺めてみて、
本棚にある本とか、CD、カセットテープ
などが「どんっ」と目に入ってくるのですが
それらは今、電子書籍にかわったり、音楽は
パソコン(あるいは携帯電話)の中で完結して
手触りを失っているのかもしれないのですね。

実際、最近購入した本のほとんどは電子だし
音楽も思い入れのあるアルバム以外は配信で
済ましてしまっている傾向があるのですよ。

服も、家で洗えるもの、匂いが移り難いもの
などを考えるとずっしりとしたウールとか
着なくなり、うすーい感じのポリエステル
ナイロンみたいな服が多くなってる気がする。

自分の生活からどんどん質感というものが
失われていってることに気づくんです。

そして質感が失われてるのは「もの」

だけなのかということも思ったり。


2003年だったと思うのですが、アメリカが
イラクにミサイルを落としたその映像が
お茶の間のテレビに映って愕然として
あの時点で(もしかしたらそれ以前から)
命の質感、誰かの死の感覚みたいなものも
失われていたのかもしれないと今更に思う。

新しいものや進歩することがよかったり
という話ではないはずだとは思うのだけども
テクノロジーだけが進化していく中で、
質感がどんどん失われていってるというのは
気にしていた方がよいのかもなと思うのですよ。

 

 

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