できれば毎日

このブログは元々ガイガーカウンターでの測定(のようなこと)と、日々触れている情報で気になったものを載せるといった形のものでした。その後、生活の軸を少しずつ四国に移し、(自分たちとしては)新しい暮らしを模索している暮らし日記的なものを経て、今は四国のお山を下り、お山の日々を胸に新たな暮らしを紡ぎながら、思うにまかせたブログとなっています。今は旅の途中。

なにはともあれできれば毎日。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

気持ちの負担と体の負担

 

「ストレス」という言葉はわりと気軽に
使われてる気はするし、気軽に使って、
どんどんなくなればよいのにと思う。
イメージではなんとなく精神的な分野の
話であり後に体に響いてくるものの感じ。

実際には体に起こることが生理的または
心理的に反応することを指すようだけど
もちろん速攻で体に直撃することもあるし
(例えば突然理不尽な腹痛になったりとか)
「負担」という言葉に置き換えてみると、
気持ちにも体にも負担になるものはあり、
精神的な分野だけの話でもないのかなと。

食べ物をなるべく慎重に摂り入れたり、
そのことに関する仕事をしてたりすると、
けっこう体の負担よりも気持ちの負担が
重要視されてるなぁという気はするんです。

もしかしたら体の負担の方が感じにくい
というようなことがあるのかもしれない。

わかりやすく極端なたとえ話をしてみると
ジャンクフードを食べない気持ちの負担と
ジャンクフードを食べる体の負担とを比べ
というか比べるまでもなく気持ちの負担が
優先されることが多い気がするのですね。
体に関する負担はあまり考えず感じられず。

食べたいものを食べられないストレスが、
それを食べた時の体のストレスより優先
みたいなことが起きたりしている様子。

けれども食べたいものというのは案外、

 

至福ポイント1と

 

至福ポイント2で

書いたように脳が食べたいと思わされてる
そういうものだったりすることもあり、
ということは食べる度に食べたいが募る
という「中毒・依存」みたいな話でもある。

そういうことばかりじゃないかもしれない
けれど、経験とともになんとなく思うのは
食べ物等で体の負担を減らしていくことで
気持ちの負担が薄まってくことってあって
気持ちの負担を優先することによって、
体は負担を強いられ、体が気持ちを惑わす
みたいなことは起きてる気はするのですね。

体の負担が張ちきれ、ドクターストップが
かかってから、仕方ないと気持ちの負担を
一旦棚上げするというようなことをするなら
その辺りの塩梅をそうなるずいぶん手前で
自分でうまく回せたらと思うのですけれど…

なかなか、気持ちの負担への忖度は止まず
なんだかもったいないよなぁと思ったり。

ストレスという言葉を気軽に使っても
その現象は軽く考えたくはないよなぁと。

 

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>