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「「偶然」はどのようにあなたをつくるのか」

 

「偶然」はどのようにあなたをつくるのか

 

ブライアン・クラース著
東洋経済新報社

 


という本を最近読んでいます。
読み終わらなかったから途中経過で。

この本を読みながらぼくはなんとなく
選ばなかった物語について考えていました。
「こうじゃなくああならばどうだったか?」
というようなことですね。別の世界線。

本には収束性と、それに対する偶発性
(というのが偶然のことだと思われる)
というふたつの現象の説明が出てきます。
こうしてもああしても概ね同じ1日が過ぎる
全て起こるべくして起こったという解釈が
人生が収束性の現象であることの説明で
こうしなかったことで全く違う展開の1日
そう考えたらそれは偶発性の現象であると。
なんでも、多くのことがひとつの些細な点に
かかっているからだという話なのだけれど
それぼくには「そうなの!?」という感じで。

多くのことは全てひとつひとつの些細な
点から成り立っていると考えるとしたら
(多くは多くの些細な点にかかってるはず)
こうではない物語というのは無数に広がって
偶然だとか必然だとかは振り返って作り出す
物語の名札みたいなものなのではなかろうか
というのがぼくの思ったことなのですね。
正直な話、名札はどちらでもよいのではと。

この本、最初の偶然エピソードに
京都を訪れ感銘を受けた人間がその後
原子爆弾を落とす場所決定の重要な役割を得
半ば京都に決まっていたところを反対する
「ちょっといい話」的引用のされ方をして
京都でのその話が「偶然」として語られて
そこに著者の考える物語が「収束」されて

けれど広島と長崎には落としてるわけですし
結局それは偶発性を使った収束なのでは?と
初手でなんとなくモヤモヤを抱えたまま
読み続けるということになってしまって…

無数の広がり(またその大切さ)について
話しているような雰囲気ではあるのだけれど
ドラマチックな「偶然」の名札の物語以外の
広がりについては雑な扱いの印象があって
何を言いたいのかはなんとなくわかるし
本に書いてあることもなんとなく理解しつつ
(そこには様々な引用が散りばめられている)
時折、あるいは頻繁に、何を言ってるのだ?
という気持ちが起こるというぼくにとっては
なかなか特殊な、わりと読みづらい本でした。