礼儀作法とは、堅苦しいものでも、単なる形式でもないと思います。社会生活における潤滑油のようなものと言える。 職場では、適正や年齢、考え方など、いろいろな面で異なる人が相寄って仕事をしています。お互いの間をなめらかに動かす役割を果たすのが礼儀作法だと思います。礼儀作法とは、心のこもったものでなければなりませんが、心に思っているだけでは潤滑油とはなり得ません。形に表わし、相手に伝わりやすくし、心と形の両面があいまった適切な礼儀作法であってこそはじめて生きてくると思います。

青年は夢がないとか、生きがいを見失っているとか言うけれども、青年自身の問題ばかりでなく、社会の問題、大人の問題とも言えるのではないだろうか。大人、その国、政治が青年たちに生きがいを持たすようにしていない。夢を与えていない。使命感を与えていない。同じ仕事をするにしても、意義とか価値というものを自覚させられ、教えられていないから、迷ったり、格差社会に不平不満を持って、現代の社会をのろうようにもなる今日の日本の根本の問題があるのではないかと思います。

会社は借金をせずして自己資金の範囲で経営しなければならないと思います。そうするにはそれだけのものを儲けなければならないわけですから、容易なことではありません。高く売るのではお客様は買ってくださらない。原価を引き下げるとかお客様にキメこまかいサービスをするということに成功するより仕方がありません。成功するならばお客様によろこんでいただきつつ適正に儲け、経営の体質も改善されてくると思います。自己資金での経営に徹するという決心があれば、可能だと思います。

上に立つ人は、自分の欠点をみずから知るとともに、人に知ってもらい、カバーしてもらうようにすることが大切だと思います。人が全知全能でないごとく、上に立つ人とても完全無欠ではない。人よりは欠点は少ないかもしれないが、それでも何らかの欠点を持たないという人はいないだろうと思います。欠点多き上司が自分の知恵、自分の力だけで仕事をすすめていこうとすれば必ずといっていいほど失敗する。自分の欠点を人に知っても補ってもらってこそ人としての職責が全うできると思います。

繁栄、平和、倖せをより早く、より大きく生むためには、信ずることと理解すること。2つを全うしていかなければなりません。信を誤らないためには、理解を正しく働かさなければなりません。理解を捨てると、迷信に陥りやすく、理解だけで信ずる心がなければ、信念に弱きを生じてしまうからだと思います。信と解を全うしてゆくにはどうすればよいか。素直な心になること。正しい理解も素直な心から生まれてきますし信ずることも素直な心から高まってくると思います。心が素直であって信と解がともに高まれば、適切な働きができるようになると思います。

一般の風潮として、トップマネジメントの言うことだからといって、スッと聞かれるというわけにはいかなくなった。形の上では命令することがあっても、実質はお願いするという気持ちを心の内に持たなくては、トップマネジメントの職責がつとまらなくなった。 この心持ちになったなら、社員の人が仕事をしてくれれば、ありがとう。お疲れ様です。お茶でも一杯ということにもなる。トップマネジメントお茶くみ業と考え、人にも話したことがある。実際にお茶くみをするわけではないが、心持ちになることが大切だと思います。

人は成長するにつれて責任が重くなっていきます。成人に達すると法律的にも未成年とは違った責任を問われます。また、次第に高い役職につくようになると、責任が重くなります。しかし、人は責任を問われるところに人としての価値があると思います。責任を問われることが大きければ大きいほど、それだけ価値が高いということがいえましょう。責任を問われるところに、生きがいもあろうというもの。責任を背負い、生きがいを覚えないとしたら年齢は18歳を過ぎようと一人前の人ではないと思います。

自分の考えた案を会社なり上司に用いてもらうには、方法と持っていき方があるのではないかと思います。商売人が物を売り込むのと一緒。これいいから買えと生意気に言ったのでは、うまくいきません。売り込み方が肝心。商売であれば、いろいろな言葉も使える。宣伝の仕方もいろいろある。要は、誠心誠意、訴えていくということだと思います。提案をするにしても同じことです。誠意を基本に喜んで用いられるような接し方を工夫する。大切なことだと思います。

人は、物事を数の大小や力の強弱といったことで判断しがち。そういうことを中心に考えた方がいいという場合もある。しかし、日常の、小事についていえることではないだろうか。大事を決するに当たっては、利害、損得といったものを超越し、何が正しいかという観点に立って判断しなくては事をあやまってしまう。それができるということが、リーダーとしての見識だと思う。長いものにはまかれろ的な風潮の強い昨今だけに、リーダーは是を是とし、非を非とする見識が強く望まれると思います。

経営力というものが大切であることは、いまさらいうまでもないと思います。経営力は、主人公と、経営する立場にある人がみずからこれを持てば、一番望ましいことはもちろんです。現実には必ずしもそうでない人もあると思います。その場合、会社の経営はうまくいかないかというと必ずしもそうではありません。主人公みずからが経営力を持たなければ、しかるべき参謀を求めたらいいわけです。経営力の大切ささえ忘れなければ、やり方はいくらでもあるといえると思います。