冥王星が水瓶座入りしてから、

学生時代、主に高校生だったときに好きだった音楽を聴きたくなって、聴いていました。(今では、音楽聴きたい熱は、だいぶ落ち着きました。)

 

これはまさに、金星を開発してた年齢域の、私の感性を振り返って、何か、私の預かりしれぬところで金星の変革をやっているのかもしれぬ、、

 

私の金星は、水瓶座1度でして、「冥王星水瓶座入り」のときは、冥王星が誤差なしでくっつき、変革激アツだった、というわけです。

 

 

で、私が学生時代好きだった音楽は

主に、というか、ほとんど、90年代ヴィジュアル系です。

 

好きなバンドの解散や活動休止も多々あり、

推しバンドのメンバーが急逝してしまったことも二度。

ああ、これが、天極星を持つ者の無常体験の一つか、と、今振り返って思います。

 

 

そんな無常を教えてくれたバンドの一つが

MALICE MIZERです。

月下の夜想曲が一番有名だったかな。
奇しくも、今月はちょうどこの曲の発売から26年ですね
当時の衣装↓

今は違った方向で有名な、Gackt氏がかつて在籍していたバンドです。

ヴィジュアル系という、音に加えて「見た目」でも表現するというあり方を、徹底的な表現力でもって体現したバンドであり、

バンドの通常編成は、ボーカル、ギター、ベース、ドラム、時々キーボード(シンセ)、なところを、ライブではギターが演奏せずに踊るとかで、バンドの枠を超えた魅せ方をし、世界観の表現とは何かを徹底的に追及していたバンドです。

Gackt氏を初めとするメンバーのキャラづくり力にも半端ないものがあり、

Gackt氏は、中世の1400年代生まれであると自称し、家でも照明を使わずに蝋燭を使っていると話す、という、バンドの世界観である「中世ヨーロッパ(特にフランス)」の表現を徹底。

ギターでリーダーのMana様(なぜかこうやって、「さん」ではなく「様」付けで呼ばれるという笑)は、女形(女装)キャラでして、表の場では徹底してしゃべらないのが、斬新でした。(ラジオだと、効果音ボタンを押すことでしゃべるのが、おもしろかった、、多分、素の本人は、女っぽくないごつい声だから、そうしているのかもしれませんね)

その徹底した表現力が魅力となり!?、当時のお茶の間番組の代表格の「笑っていいとも」にも出演したことがあったのですが、そのときも、Mana様の「しゃべらないキャラ」にタモリさんがツッコミを入れて、ネタになっていたものです。

今改めて見ると、凄い光景だ。。。↓

 

「究極のヴィジュアル系」と言われ、

彼らの活動のピークの、1996-1998年以降、20年以上たった今も、

これほどの徹底した表現力をもち、インパクトを与えたバンドは現れていません。

(まさに、冥王星+土星の「徹底追及」を、ヴィジュアル系という世界で最も体現したバンド、でしょうか!?)

 
 
 
私が一番好きな曲&PVは、ヴェル・エールという曲なんですがね。
最近、こればっかリピートしてました。
 
個人的ベストシーン。かっこいい。↓
 
この方は、メンバーの中で、私が一番好きだったkamiさんです。
1999年にくも膜下出血で亡くなってしまいまして、無常を教えてくださいました(泣)
 
今改めて見ると、水瓶座の人でした。
そういえばそんな誕生日だった、、
私の月にトラインという度数です。
これが推しとの縁というやつか。
 
 
 
で、なぜ今、この記事のタイトルでこのバンドの話を書いているかといいますと。
いつもの推しの命学鑑定、ではなく、
改めてウィキペディアを読むと、
こんなことが書いてあったんです。
 
 
 
人間、きれいで美しいファンタジーな世界の裏にある毒・悪・醜いもの とは何かを調べて、それらを見える形に具現化して、音で表現する
 
このフレーズ、
私が、当時から惹かれていたコンセプトです。
すっかり忘れていました。
 
で、今改めてみると、
私の、このブログを書くアウトプット欲にマッチするものを感じました。
 
 
私のブログって、
↑の表現をオマージュして書くと
こんなコンセプトが隠れているんだな、と。
 
人間、
キラキラして美しいファンタジーな世界のような、
自己実現、自分らしく生きるという世界の裏にある
毒・闇(悪)・醜いもの・傷 
とは何かを調べたり、自身の実践で体感したりして、
それらを見える形に具現化して、文章で表現する
 
 
こ う で す ね
 
私は陰陽論が好きで、
キラキラして美しい、幸せ、
本当にそれだけなのだろうか
そんな都合の良いだけの世界があるのだろうか、
その裏にはきっと闇があるのでは
 
と疑いの目で見つつ、
本当に、そんなに幸せになれるなら
やってみようか、自己実現
という気持ちもあって、自己対話と、ワクワクの具現化を始めて、続け、今に至ります。
 
 
その過程で幾度となく実感したのが、
光と闇、どちらかだけにフォーカスして発信するなら
どっちを選ぶか、といわれたら
私はきっと、闇を選ぶのだ、ということです。
 
 
私自身、
引き寄せの法則の基本原則(プラスの感情をベースにする)とは裏腹に、
恐怖や不安を解消したい、と、それらの感情をベースにする
(解消して安心感を自分にもたらし続けたい、と言い換えることもできるが)
それが、行動のきっかけになることが、けっこうあります。
 
それでも、普通にいい引き寄せが続いているので、
この、闇・ネガティブベースでも、
私自身にはしっくり来ている、ということなのでしょう。
それだけ、実は、闇・ネガティブと親和性が高い。
毒舌なので毒との親和性も高い。
それゆえ、セルフイメージって、闇とか陰とか毒とかの方が、光よりもしっくり来ています。
 
だからこそ、闇に焦点を当てた世界観が多かった、90年代ヴィジュアル系というやつは、
私の金星の感性にぴったりだった、と。
 
 
この金星変革期を振り返ると、一番強かったと感じた闇ネタである、恐怖は、
自分が日々受け取っている、幸運なあれやこれが多すぎて、
自分の感謝がまだまだ足りていないのではないか、
自分は全然お礼などを返し足りておらず、
そのうち、幸運から見放されてしまうのでは、
というものでした。
 
だから、毎朝毎晩、懸命に大護摩の御札にお礼を伝え、
仕事とかで人と関わるときに、何か、陰での活動も含めて、してもらったと気づいたら、必ずお礼を言っていました。
これは、この先毎日続けていくでしょう。
このブログを書いてるときも、
感謝ポイントだと感じたら、そう書いています。
感謝、感謝とうるさいブログって
たぶんあんまりないでしょう、、
 
 
きっと、この恐怖感が、
かつて金星が追った傷であり
今、冥王星の力で浮上して、
これから破壊し、別のなにかが生まれる、
ということかもしれませんね。
 
 
だって、ここまで、言語化して、改めて気づきましたもん。
せっかく感謝するなら
恐怖からではなく
愛をもって、のほうが、
本当は、ずっと、幸せだろうに、と。
 
 
今や、そろそろ冥王星が水瓶座1度から2度へ行こうという時期で、
金星とのビタ重なりは終わろうとしています。
そんな今、自分への愛おしい感情がマシマシになっています。
自分にもっともっと愛情を注ぎたい、そして受け取りたい、そんな気持ちでいっぱいです。
少なくとも、↑に書いた恐怖なんて軽く溶かしてあげられるくらいに・・・。
(なるほど、破壊の後に生まれた別の何かは、自分への尽きない愛だった、と。)
 
あなたは、自覚している以上に、頑張りすぎだし、
懸命になりすぎだ、
そして、それが自然体だというなら、変に力を抜きすぎなくてもいいし、
力んでたなと感じたら、もっと力を抜いてもいい。
どちらにせよ、それが自然体だ。
そんなあなただからこそ、そのままで十分美しいし、もっと幸せであっていい。
日々、たくさん幸運を受け取るのに、こんなにふさわしい存在であろうか・・・と。
 
どんな存在か、美しいかどうか、すらも、どうでもいいことであり、
とにかく、あなたが愛おしい、それだけだ・・・
(そして、また、そんなふうに、自分から愛おしいと想ってもらえる、
それは、なんと幸せなことか。)
 
 
こんなふうに、
このブログは、
自己対話や学びをきっかけに
私の内側から浮上した闇を素直にどんどん伝えるものです。
時には光っぽいネタもあるのは、
闇も光もあってこそ、生きるということだし
重い苦しさも軽い幸せもある、それが生きるということだからです。
 
ただ、巷の発信は、
光要素が多めで、闇要素は少なめだと感じます。
売れ、ウケを狙うなら、そうなるのでしょうが、
私に言わせれば、
生きることの本質からみると、ものすごく不自然です。
 
以前、YouTubeで、岡田斗司夫氏が、
「これからの時代はクリーンになっていく、
ネガティブな書き込みは淘汰されていき、きれいな発信が好まれる」
のようなことを言っていたかと思いますが、
私は、そんな世界は極めて不自然であると感じます。
そんな発言が本当に具現化するならば、まさに、ヴィジュアル系の曲で時たま出てくる「壊れていく世界」そのものであり、
本気で時代の流れから身を引き、現実世界との接点を可能な限り断って、自分にとっての自然を守っていこう、と決意しています。
 
私の自然体で何でも素直に書くと
闇ネタ、重たいネタもけっこう出てくる、
それがこのブログです。
 
自然体なので、私はそれが大好きです。
 
闇も含めた、素直な自分の言葉を日々読める、
それが幸せです。
 
それはまるで、
巷のヒット曲が
愛、夢、希望ばかりに偏る中で
闇にも素直にフォーカスして、徹底的にそれを表現する、
特に90年代のヴィジュアル系の曲のようですね・・・
 
ちょうど、
巷の大ヒットブログと、このブログの、
アクセス数の比って、
大ヒット曲と、ヴィジュアル系インディーズバンドの曲の、音源セールス比ぐらい、かもしれない笑
 
 
自分の好きなものは
自分自身を作っているんですね。
 
 
ただ、最後に、一つことわっておきますが、
私自身は闇、陰と親和性が高いのですが、
それは「不幸キャラ」「悲劇のヒロイン」とは全く違う、ということです。
金星の年齢域の私は、まさに、「不幸キャラ」「悲劇のヒロイン」だったのですが、
当時と今との違いは、
闇と自分でしっかり向き合い、
自分で、愛をもって消化し、「陽」と統合する、
ここまでが、「闇」とセットで出てきて、
そのセットを表現するのだ、ということです。
 
この代表例が、ネガティブを出し、認めて、流す、というやつです。
認めることは、究極の愛です。条件なしの愛です。
 
この愛がとても大事で、必須です。
逆に、自分で愛を出さずに、周りに愛を求めてしまうのが、「不幸キャラ」「悲劇のヒロイン」です。
かつての私もそうでしたが
(私の場合は、周りに愛を求めるのを諦め、耐えていたときの方が多かったが)、
母親だった人もそんな感じのキャラでした。
きっと、この、「不幸キャラ」「悲劇のヒロイン」というのは、
私の母方家系の女性一族の業のようなものだったのかもしれません。
私は、その解消のために、毎日丁寧に、愛を自分に与えて生きている、ということなのでしょうね。
 

こちらの最後の方に書いたように、

自己実現とは、生きるとは、土星の制限の中で、日々地味に、地道に淡々とやる、

そんな、重いことである。

 

そして、その中で業を消化する、という闇の要素がある、

 

でも、↓で書いたように、

 

 

人は、業を消化するために才能発揮する、とかの、重たいことをやるという「闇」を生きるときに、

そんな闇の重さを認めつつ、幸せや満足感などの、陽の感情を貼り付けるフレーミング(捉え方)ができる生き物であると、私は思います。

これが、自分で「愛」を出すということの一つ。

また、そんな業の解消をやるときにこそ、人の縁とかの幸せがもたらされるようになり、恵まれるものです。

これが、周り、特に、守ってくれる大いなる存在から「愛」がもたらされ、「愛」を受けとるということです。

 

こんなふうに、闇には、愛をくっつけて、愛でもって生きる、

これが、「不幸キャラ」「悲劇のヒロイン」とは違う、

自分という人本来の「自然体」であり、「魂の精神的自立」であると私は思います。

 

ただ、闇だけを表現してしまうと、

まさに、上に書いた、MALICE MIZERのように、短命で終わり、バンド名どおりの「悪意と悲劇」の生き方になってしまったことでしょう。

(このバンドは、メンバー間の不信感がもとで空中分解してしまいました。とても残念なことでした。それはまるで、自己の色々な要素がバラバラになったかのよう・・・かもしれない)

 

そうではなく、

闇に愛をくっつけ、闇+愛のセットを体現し、それを文章で表現し続ける

それが、このブログなのです。