算命学で、天中殺や、大運と位相法といった、運気の勉強をしていたときに、
「運気の影響を受けやすい人とは」という話が出てきました。
運気の影響を受けやすい人は、
・周りに合わせて柔軟に対応する
・外から受け取る力がある
・自分の内側に意識が向かい、そこに敏感である
って、はい、
私が、自然体で生きると、
自分を押し出すより周りに合わせる、
受け身・受け取り体質が合っているな!
そんな私は
運気の影響をもろに受ける体質だってことですな!
逆に、運気の影響を受けにくいのは、
・頑固で、周りに合わせて自分を変えようとしない
・外と関わらず、自分の世界を守っている(外の環境が自分と違うなら、縮こまって身を守っている、貫索星が強すぎる人であるかのように。)
・自分の内側に鈍感
だそうな。
でも、以前も書いたように、
算命学の教えでは
確かに、そんな生き方なら、禍が起こりやすい運気でも平穏でしょうが、
そんな人は、人としてつまらない、面白味がありません。
と切り捨てていまして、
やはり、人として、天から与えられた自分の人生を生きるのであれば、
天から与えられたものの一つである「運気」に合わせて生き、
浮きも沈みも、拡大も縮小も体験し、
どんなときの自分も愛おしいと感じる、
そんな生き方が、最も幸せだし、
人として成長でき、魂が鍛えられるし、
生きることの重みを感じられる、重厚な生き方になるだろう。
と、言っているかのようです。
これは、色々な宗家のお話を合わせて考えた、私なりの解釈です。
ということで、運気には敏感な方が、たぶん、人生が「いろいろな、より深みと厚みがあるという意味で」楽しそうですし、
せっかく、運命学をナビゲーターとして活用しているのだから、
算命学の処世術がいうように、
どんな運気だろうと
自身のすべての資質、自分という自然でもって、迎え撃つ覚悟で。
というハラをくくり、毎日を楽しむのが、ベストです。
ちょうど、年運天中殺&冥王星水瓶座の大変革&中年の危機が来ていることですし、まさに、迎え撃ちの発揮時です。
2020年の天剋地冲以上に、充実した日々になることでしょうね。
以前書いたように、
日々の出来事、浮き沈み、
それに伴う自分の体や心の変化(感情とか)の波は、
毎日の食事のように、淡々と消化していくだけであり、
それが楽しく幸せである。
という、鳳閣星的精神をもっていきましょう。
そして、
こちらに書いたように↓
うまくいくのも、そうでないのも、
自分だけの力ゆえ、ではない。
周りの環境のおかげ、特に、運気という、フィールド効果のおかげである。
だから、自分は小さな存在であり
周りに感謝して、日々謙虚に生きる、
そして、そんな小さな存在である自分を愛おしく感じ、
心も体も(特に体)を大切にし、日々生きる。
もちろん、環境に柔軟に対応していき、
過去の自分の成功体験は捨て、やり方に固執しないで変えていく。
(「やり方」が関わる月支が半会の私だからこそ、
自信過剰になりがちなので、人一倍、謙虚と感謝を大切に!
そして、やり方を捨てることも大切に!)
さらには、
私自身、自分が「最前線に立つ」キャラではなく、それは不自然と自覚したこともあり、
自然体でいれば、自ずと、陰に回っていく、
そう気づいたからこそ・・・
自然体でいれば陰に隠れる、
だから、誰かの陰に隠れていられることを喜び、
その陰で、淡々と自分の役割、つまり、自然体での活動に徹し、
その幸せと達成感、充実感を、一人静かに感じてドヤっていよう。
人に話したり、人に自分を見せびらかす必要は、全くない。
そういうのは、内に秘めて、淡々と活動するからこそ、
あなたは美しく、素晴らしく、
あなたらしい独特のオーラを放つ存在になり、
あなたに合う人にだけ気づいてもらえ、もっと楽に自然体で生きられるのだ。
詳しくは↓
実際、今の部署って、
私より経験値が高い人が複数人いますし、
処理量、仕事のデキという点で、既にエース級の女性がお二人(うち一人は、今朝の記事に書いた先輩)いまして、
まさに「やった!陰に隠れられた!」という気持ちです。
陰に隠れて、ありがたく、経験値が高い人に、日々気軽に質問して、楽しく学び、
自然体で、ほどほどにノルマの上が出せている、
それだけで本当に満足ですし、
それが、自然体の自分にぴったりです。
(や、春から少し仕事増えそうですけど・・・
でも、まだまだ、陰のポジションっぽいです)
こうやってみると、
私の、「算命学で人間観察」シリーズは、
自分の生き方の学びとするために、無意識にやってるというのが
よーくわかりますね。
生き方のすばらしさに、実年齢は関係ありません。
そんな素晴らしい生き方を学ぶために、
私は、高校大学野球を見ていたのかもしれません。
ちょうど、一番見ていた時期の選手たちが、天王星・海王星水瓶座時代の生まれでして、まさに、水瓶座要素が強い私に合った、ということかも!?
↑のリンク元の記事は、どちらも、
読者として読むと神記事なのですが、
そう感じるほどに、自分のためのものを自分で書けている、ということですね。