でっかい台風が過ぎ、
あれじゃな。
ほら。
なんつったかのう…。
アキ竹城が来たな!
いや秋が来たな!
どうも久しぶり!
わしだど!
わし夏嫌いなんじゃ。
暑いのが嫌いだし、
夏の強い光が嫌いじゃ。
わしは冬の淡い光で浮かび上がる
色のない風景の方が好きじゃ。
色は光がないと発色されないので、
冬場はモノクロの世界に近い。
そういうのがええな!
あとほら!
夏ってさ、ミニが女子を履いとるじゃろ!
違った!!
女子がミニを履いとるじゃろ!
あのミニスカ問題が、どえらい迷惑なんじゃこらああ!
知っとるよな?
ミニスカ問題。
みんな知ってると思うが、
知らん人のために説明しよう。
駅とかで長い階段があると、
ミニを履いてる女子が、
ケツを片手で押さえて登ったりするじゃろ?
あれのことじゃ!
わしが言いたいのは、
手で押さえるとパンツが見えないだろうが!
と、言いたいわけではないど!!!!!!
勘違いするんじゃない!
どこの誰とも知らない、女子のパンツなんて
ちょっとしか見たくないんじゃボケええええ!
わしの言っているミニスカ問題とは、
片手でケツを押さえる行為により、
そいつの後ろを登っている男全員が
パンツを見たい、見たくない、ちょっとだけ見たい、
に関わらず全員、強制的に変態扱いされてるということなんじゃ!
「お前のパンツなんか見たくないんじゃこらああ!」と
思っていようが、思っていまいが、
その片手で押さえる仕草は、
失礼な感じがするってことを、
ミニを履いてる女子はまったくわかっとらんのじゃ。
仕事が終わって夜道を歩いている時に、
どっかの男が、あーたの後ろを歩いているとしよう。
その後ろを歩いてる男は、
たまたま家が同じ方向なだけかもしれない。
なのに変質者扱いされて、
急に早足になったりされるのと一緒じゃな。
だからわしから、
どうしてもミニを履きたい女子に提案したい。
そもそもパンツ見られるのが嫌なら、
ミニなんて履くなと言いたいが、
どうしても履くなら、
階段は登るな!
一段も登るんじゃない!
どうしても登る場合は、
その場にいる全員が登りきったのを見計らい、
最後に登るんじゃ!
ああ…、
めちゃめちゃ久しぶりにブログを書いたのに、
いきなりパンツの話題にしてしまった。
なんでじゃろう?
わし最近、生放送の仕事とかしてて忙しいんじゃよ。
なんの番組かって?
そこはあれじゃ。
パンツだけに隠しておこう。
←うまいこと言おうとして言えてないパターン。
お出かけですか~?
レレレの…わしじゃ。
今日は言葉について考えてみよう。
わしは日常生活や仕事先などで、
口に出さずとも、よく考えることがある。
それは言葉の使い方についてじゃ。
わしは仕事柄、ロケ先で様々な人種・職種の人々と会う。
そらもぅ本当に様々な人と。
普通の人の多くは、自分の周りの人間や
職場の人間、同じ業種の人としか接しないだろう。
そう考えれば、わしの仕事では、
本当にいろんな意味で、いろんな人に会うことができるのじゃ。
それは面倒なことでもあり、
そして面白い部分でもある。
例えば数年前に、とある企業の社内用ビデオを作ったのじゃが、
普通に暮らしていたら、出会うことのない職種の人々じゃ。
そこの社長さんが打ち合わせでこんなことを言ってきた。
「あなたはプロでらっしゃるから、わかっていると思いますが、
分かりやすいビデオにしてください。テロップなどで見やすくしてください」
当たり前じゃな。
言われなくともそうするな。
しかしわしは、こういう発言を聞くと
「この人はなぜ、こういう言い方になってしまうんだろう?」
「たぶん言葉について真剣に考えたことがないんじゃろうな」
と思ってしまう。
言い方の問題じゃ。
もしわしが、この社長さんの立場ならこう言う。
「初心者向けにしてください!」
それだけで充分じゃ。たったこの一言だけで、
「わかりやすく」とか「テロップで説明」とか
余計なことを言わずに済むし、それこそ映像のプロに対する
リスペクトをも感じられるじゃろう。
しかしその社長のように(余計な)発言をすると、
その裏側には、わしらへの差別心や、
その社長の傲慢さ、威圧したいという社会的な欲求までも見えてしまう。
簡単に言おう。
アホなのじゃ。
わしには、どこぞやの社長とか、
そういう肩書きなど関係ないのじゃ。
アホはアホじゃ。
残念ながら、いまのこの世の中では、
コミュニケーションもマトモにとれないアホホんでも、
シャチョーとかっていう肩書きを持つことができてしまうんだど。
このように言葉の使い方次第で、
その人の「人となり」がわかってしまうというものじゃ。
それなのに、世の中にはこの「言葉」をうまく使えない人が多すぎる気がするのぅ。
わしが言っているのは文法の問題ではないど。
わしは、言葉をうまく使うためには、勉強以上に
相手に対するリスペクトが必要だと思うのじゃ。
言い換えればやさしさじゃな。
例えばこれから何かにトライしようとして、
緊張でガチガチの人に、
「がんばれ!気合い入れろ!」とか言ったら
余計に緊張させてしまうじゃろ?
当然、リラックスさせた方がいいに決まっとる。
例えばわしの仕事の場合、
絶対に失敗できない生放送の現場で、
「気合いいれていこー!」とか言う人がおる。
アホホんなのか?逆じゃ逆。
そういう時は、周囲のスタッフの緊張がほどけるように、
一発ギャグでもやるほうがええのじゃ。
「失敗したって死にゃあしない。いつもと同じで大丈夫」
と思わせた方がいいのじゃ。
この言葉のセンスというものは、
ネットにおける言葉のやりとりでも、
ものすごく感じられる。
ツイッターもそうだし。各種SNSでもそうじゃ。
わしはそういう場で、率先してピエロを演じる。
くだらねーことを言って相手をリラックスさせるのじゃ。
そういうことが、相手と打ち解けてうまく会話をする
第一歩だと思うからじゃ。
しかし、そんなわしのアホホん発言を聞いて、
「こいつおもしれーw」とか
「くだらねーw」とか
あっさーい認識しか持てない者もおる。
そんな者こそ、所詮そんな程度の認識しかできない、
あっさーい人間なのじゃ。
そしてたいていそういう者は、ギャグとまじめの栄え目がわからない。
だから話題を変えて、わしがまじめなことを言うと、
まだわしがくだらないことを言うと期待したまま、
勝手に置いてけぼりになるのじゃ。
不憫じゃのぅ…。
わしが誰かと会話をするときに
いつも考えているのは、
まず「どうやって笑かそう?」
人はそんくらいでいいと、わしは思う。
「なにかを伝えたい」とか
「自分の思い通りに発言したい」とか
そんな自分本位な会話は、虚栄心しか生み出さないと思うのじゃよ。
どうやって笑かそう?が90%くらいで、
残りの10%くらいが本題でええと思うがのぅ…。
会社の重要な会議とか、
そういう場所こそ、このアホホん割合でいいとわしは思う。
わしはその昔、会社の人事も担当しとったので、
1年に1回は、新入社員の面接もやっとった。
そんな場所でさえ、わしは笑い90%、本題10%の法則を守ろうと思っとったど。
ある日の面接では、30分みっちり真面目な質問をしたあと、
「このクジを引いてください」と言ってクジを引かせ、
「あー!それ引いちゃったか!」と大げさに言ったこともある。
(全ての割り箸の先に赤い印をつけておいた)
すると当然…
「え?そのクジなんですか?面接と関係あるんですか?」となる。
そこでわしは、
「いやいや…気にしないで、そうかぁ、これ引いちゃったかぁ。
いい人なんだけどなぁ。そうかぁ…」とブツブツ言うのじゃ。
実はそのクジはただのギャグで、
その人は面接半ばには、心の中で合格と決めてあるのじゃ。
わしとしては、ただ、笑かしたいだけ。
「クジで決めるんかーい!」って
思わせたいだけじゃ。
人は生きている中で、ずっと緊張してる必要なんてないじゃろ?
わしは会社だろうが、なんだろうが、
90%不真面目なテイストで丁度良いと思うんじゃ。
レレレの…わしじゃ。
今日は言葉について考えてみよう。
わしは日常生活や仕事先などで、
口に出さずとも、よく考えることがある。
それは言葉の使い方についてじゃ。
わしは仕事柄、ロケ先で様々な人種・職種の人々と会う。
そらもぅ本当に様々な人と。
普通の人の多くは、自分の周りの人間や
職場の人間、同じ業種の人としか接しないだろう。
そう考えれば、わしの仕事では、
本当にいろんな意味で、いろんな人に会うことができるのじゃ。
それは面倒なことでもあり、
そして面白い部分でもある。
例えば数年前に、とある企業の社内用ビデオを作ったのじゃが、
普通に暮らしていたら、出会うことのない職種の人々じゃ。
そこの社長さんが打ち合わせでこんなことを言ってきた。
「あなたはプロでらっしゃるから、わかっていると思いますが、
分かりやすいビデオにしてください。テロップなどで見やすくしてください」
当たり前じゃな。
言われなくともそうするな。
しかしわしは、こういう発言を聞くと
「この人はなぜ、こういう言い方になってしまうんだろう?」
「たぶん言葉について真剣に考えたことがないんじゃろうな」
と思ってしまう。
言い方の問題じゃ。
もしわしが、この社長さんの立場ならこう言う。
「初心者向けにしてください!」
それだけで充分じゃ。たったこの一言だけで、
「わかりやすく」とか「テロップで説明」とか
余計なことを言わずに済むし、それこそ映像のプロに対する
リスペクトをも感じられるじゃろう。
しかしその社長のように(余計な)発言をすると、
その裏側には、わしらへの差別心や、
その社長の傲慢さ、威圧したいという社会的な欲求までも見えてしまう。
簡単に言おう。
アホなのじゃ。
わしには、どこぞやの社長とか、
そういう肩書きなど関係ないのじゃ。
アホはアホじゃ。
残念ながら、いまのこの世の中では、
コミュニケーションもマトモにとれないアホホんでも、
シャチョーとかっていう肩書きを持つことができてしまうんだど。
このように言葉の使い方次第で、
その人の「人となり」がわかってしまうというものじゃ。
それなのに、世の中にはこの「言葉」をうまく使えない人が多すぎる気がするのぅ。
わしが言っているのは文法の問題ではないど。
わしは、言葉をうまく使うためには、勉強以上に
相手に対するリスペクトが必要だと思うのじゃ。
言い換えればやさしさじゃな。
例えばこれから何かにトライしようとして、
緊張でガチガチの人に、
「がんばれ!気合い入れろ!」とか言ったら
余計に緊張させてしまうじゃろ?
当然、リラックスさせた方がいいに決まっとる。
例えばわしの仕事の場合、
絶対に失敗できない生放送の現場で、
「気合いいれていこー!」とか言う人がおる。
アホホんなのか?逆じゃ逆。
そういう時は、周囲のスタッフの緊張がほどけるように、
一発ギャグでもやるほうがええのじゃ。
「失敗したって死にゃあしない。いつもと同じで大丈夫」
と思わせた方がいいのじゃ。
この言葉のセンスというものは、
ネットにおける言葉のやりとりでも、
ものすごく感じられる。
ツイッターもそうだし。各種SNSでもそうじゃ。
わしはそういう場で、率先してピエロを演じる。
くだらねーことを言って相手をリラックスさせるのじゃ。
そういうことが、相手と打ち解けてうまく会話をする
第一歩だと思うからじゃ。
しかし、そんなわしのアホホん発言を聞いて、
「こいつおもしれーw」とか
「くだらねーw」とか
あっさーい認識しか持てない者もおる。
そんな者こそ、所詮そんな程度の認識しかできない、
あっさーい人間なのじゃ。
そしてたいていそういう者は、ギャグとまじめの栄え目がわからない。
だから話題を変えて、わしがまじめなことを言うと、
まだわしがくだらないことを言うと期待したまま、
勝手に置いてけぼりになるのじゃ。
不憫じゃのぅ…。
わしが誰かと会話をするときに
いつも考えているのは、
まず「どうやって笑かそう?」
人はそんくらいでいいと、わしは思う。
「なにかを伝えたい」とか
「自分の思い通りに発言したい」とか
そんな自分本位な会話は、虚栄心しか生み出さないと思うのじゃよ。
どうやって笑かそう?が90%くらいで、
残りの10%くらいが本題でええと思うがのぅ…。
会社の重要な会議とか、
そういう場所こそ、このアホホん割合でいいとわしは思う。
わしはその昔、会社の人事も担当しとったので、
1年に1回は、新入社員の面接もやっとった。
そんな場所でさえ、わしは笑い90%、本題10%の法則を守ろうと思っとったど。
ある日の面接では、30分みっちり真面目な質問をしたあと、
「このクジを引いてください」と言ってクジを引かせ、
「あー!それ引いちゃったか!」と大げさに言ったこともある。
(全ての割り箸の先に赤い印をつけておいた)
すると当然…
「え?そのクジなんですか?面接と関係あるんですか?」となる。
そこでわしは、
「いやいや…気にしないで、そうかぁ、これ引いちゃったかぁ。
いい人なんだけどなぁ。そうかぁ…」とブツブツ言うのじゃ。
実はそのクジはただのギャグで、
その人は面接半ばには、心の中で合格と決めてあるのじゃ。
わしとしては、ただ、笑かしたいだけ。
「クジで決めるんかーい!」って
思わせたいだけじゃ。
人は生きている中で、ずっと緊張してる必要なんてないじゃろ?
わしは会社だろうが、なんだろうが、
90%不真面目なテイストで丁度良いと思うんじゃ。
毎日暑いのぅ…。
わしは夏は苦手じゃ。
でもこの暑さって、もう暦のうえでは残暑なのかのぅ?
残暑ざんしょ!
すまん…。これが言いたかっただけなのじゃ。
それはそうと、
今回は映画の話しではなく、
わしの好きな本の話なのじゃ。
その本は『葉隠(はがくれ)』という本なんじゃ。
簡単に内容を言うと…。
これはまだ、日本に武士がいた頃に書かれた
武士の心構えについてかかれた、
マナー本のようなものじゃ。
戦国の世の中も終わり、
日本には江戸時代という、
ながーい平和な時代が訪れ、
あまり武士が活躍出来なくなった頃じゃな。
戦争や争いごとがなくなったのはいいが、
そのおかげで武士の仕事は激減し、
だらしなーい武士が増えていった。
その戒めの意味をもこめて、
武士とはどうあるべきか?というのを教科書のように
まとめた内容なんじゃ。
その書き出しは有名なので、知っている人もいるかもしれない。
「武士とは死ぬこととみつけたり」
武士は常に死ぬことを覚悟して生きろという意味じゃな。
ここから本の内容と離れた話になるが、
わしは男性の生き方について、
この『葉隠』に通じる考え方をもっとるのじゃ。
これをいうと、男女差別だ!と思われるかもしれんが、
別にそう思われたっていいのじゃ。
男女のなにが違うのか?
わしは男性は、自分のために生きてはいけない生き物だと
勝手に考えておるのじゃ。
その逆で、女性は自分を第一に考えるように
作られているのではないかとな。
あくまで、なんの根拠もない、わしの勝手な意見だが、
そもそも大昔、はじめ人間ギャートルズみたいな原始時代だって、
男はマンモスを狩って、
女は家を守っていたじゃろ?
そのDNAを引き継いでいるのかどうかしらんが、
男のくせに「俺は俺が一番大事!」とか思ってたら、
せっかく狩った獲物は、
家に持ち帰らず、独り占めすることだって出来る。
ようするに、男に「何かを守る」という意識がなければ、
女性は食料を得られなかったはずじゃ。
もちろん勇敢な女性が、ひとりでマンモスを狩っている場合も
あるじゃろうが。おおむね男が狩りにいっていたじゃろ?
わしはこの「男」の行動原理には、
「男には生き方の美学がある」と
勝手にかっちょよく言っておるのじゃ。
その「美学」とは、
「自分のために生きない」という美学じゃ。
だからわしは、周りで「おれってダメな男なんですぅ…」と
だらしなく生きている奴がいると、
「男のくせに自分のことばっか考えてるんじゃねぇ!」
「お前なんて生きてる価値はねえ!」
「お前に食わせるタンメンはねぇ!」
と言ってやりたくなるのじゃ。
生物は、必ずしも生きながらえることが目的で生きているわけではない。
もっといえば、良いDNAを残すために生きているのかもしれない。
自分勝手で、自分の生命が大事すぎる「男」は、
DNAとしても不良品だから、さっさと逝ってください。
と冷たく思ったりするのじゃ。
この考え方は、必ずしも女性に受け入れられるわけではないと思っとる。
自分の生き方の問題なのだから、
それこそわしの勝手だろって感じだが。
沖縄には「命どぅ宝」という有名なスローガンがある。
これは…命こそ宝物のように大事。
生命至上主義という、戦後に日教組が広めた考え方じゃ。
自分の命が最も大事なら、
世の中は弱肉強食の世界になる。
強い者が弱い者からすべてを奪う、過酷な世界になる。
極端なはなし、自分の命を差し置いてでも
誰かを思う気持ちがなければ、
虫や野生動物の世界と変わらない世の中になるだろう。
そんな「命どぅ宝」という甘えた考え方で教育した結果、
沖縄の成人式では、自分勝手なガキんちょが
暴れまくっておるのぅ。
このようなわしの考え方は、
おそらく中学生の頃に読んだ、特攻隊の話から来ていると思うど。
特攻隊の人々は、
なぜ自分の命を捨てて、ゼロ戦で敵艦に突っ込んでいったのじゃ?
上官が怖いからではないど。
アメリカ人が日本に押し寄せてきて、
自分の近所の人々や、妻や子供たちが、
めちゃくちゃにさると思ったからじゃ。
愛するものを奪われるくらいなら、
命を捨てて一矢報いたいと思ったからじゃ。
またまた話は変わるが、
その昔、日本の武士の精神を描いた2本のアメリカ映画が
ほぼ同時期に公開された。
1本は『ラスト・サムライ』
もう1本は『ゴーストドッグ』じゃ。
ごっつい制作費をかけたトム・クルーズ主演の映画
『ラスト・サムライ』は、どうしょもない駄作だが、
そのなにがダメかって、武士の精神に共感して戦うはずのトム・クルーズが、
武士の精神についてなーんもわかっとらんから、
まるで意味の分からない映画になっとるのじゃ。
一方『ゴーストドッグ』という予算のちっこい映画では、
『葉隠』までも登場し、ちゃーんと武士の精神を描いておった。
所詮、世界中を植民地支配して侵略してきた白人には、
「犠牲」を根本においた武士の精神など、
理解できるわけがないのじゃろうな。
それどころか、村一番のべっぴんさんの小雪を、
トムさん意気揚々とかっさらっていって、
悪びれてもいないんだからすごいのぅ。
あっそうだ。
日航機について書くっていってたのに、
またほかの話しちゃった!
すまんのぅ…。
わしは夏は苦手じゃ。
でもこの暑さって、もう暦のうえでは残暑なのかのぅ?
残暑ざんしょ!
すまん…。これが言いたかっただけなのじゃ。
それはそうと、
今回は映画の話しではなく、
わしの好きな本の話なのじゃ。
その本は『葉隠(はがくれ)』という本なんじゃ。
簡単に内容を言うと…。
これはまだ、日本に武士がいた頃に書かれた
武士の心構えについてかかれた、
マナー本のようなものじゃ。
戦国の世の中も終わり、
日本には江戸時代という、
ながーい平和な時代が訪れ、
あまり武士が活躍出来なくなった頃じゃな。
戦争や争いごとがなくなったのはいいが、
そのおかげで武士の仕事は激減し、
だらしなーい武士が増えていった。
その戒めの意味をもこめて、
武士とはどうあるべきか?というのを教科書のように
まとめた内容なんじゃ。
その書き出しは有名なので、知っている人もいるかもしれない。
「武士とは死ぬこととみつけたり」
武士は常に死ぬことを覚悟して生きろという意味じゃな。
ここから本の内容と離れた話になるが、
わしは男性の生き方について、
この『葉隠』に通じる考え方をもっとるのじゃ。
これをいうと、男女差別だ!と思われるかもしれんが、
別にそう思われたっていいのじゃ。
男女のなにが違うのか?
わしは男性は、自分のために生きてはいけない生き物だと
勝手に考えておるのじゃ。
その逆で、女性は自分を第一に考えるように
作られているのではないかとな。
あくまで、なんの根拠もない、わしの勝手な意見だが、
そもそも大昔、はじめ人間ギャートルズみたいな原始時代だって、
男はマンモスを狩って、
女は家を守っていたじゃろ?
そのDNAを引き継いでいるのかどうかしらんが、
男のくせに「俺は俺が一番大事!」とか思ってたら、
せっかく狩った獲物は、
家に持ち帰らず、独り占めすることだって出来る。
ようするに、男に「何かを守る」という意識がなければ、
女性は食料を得られなかったはずじゃ。
もちろん勇敢な女性が、ひとりでマンモスを狩っている場合も
あるじゃろうが。おおむね男が狩りにいっていたじゃろ?
わしはこの「男」の行動原理には、
「男には生き方の美学がある」と
勝手にかっちょよく言っておるのじゃ。
その「美学」とは、
「自分のために生きない」という美学じゃ。
だからわしは、周りで「おれってダメな男なんですぅ…」と
だらしなく生きている奴がいると、
「男のくせに自分のことばっか考えてるんじゃねぇ!」
「お前なんて生きてる価値はねえ!」
「お前に食わせるタンメンはねぇ!」
と言ってやりたくなるのじゃ。
生物は、必ずしも生きながらえることが目的で生きているわけではない。
もっといえば、良いDNAを残すために生きているのかもしれない。
自分勝手で、自分の生命が大事すぎる「男」は、
DNAとしても不良品だから、さっさと逝ってください。
と冷たく思ったりするのじゃ。
この考え方は、必ずしも女性に受け入れられるわけではないと思っとる。
自分の生き方の問題なのだから、
それこそわしの勝手だろって感じだが。
沖縄には「命どぅ宝」という有名なスローガンがある。
これは…命こそ宝物のように大事。
生命至上主義という、戦後に日教組が広めた考え方じゃ。
自分の命が最も大事なら、
世の中は弱肉強食の世界になる。
強い者が弱い者からすべてを奪う、過酷な世界になる。
極端なはなし、自分の命を差し置いてでも
誰かを思う気持ちがなければ、
虫や野生動物の世界と変わらない世の中になるだろう。
そんな「命どぅ宝」という甘えた考え方で教育した結果、
沖縄の成人式では、自分勝手なガキんちょが
暴れまくっておるのぅ。
このようなわしの考え方は、
おそらく中学生の頃に読んだ、特攻隊の話から来ていると思うど。
特攻隊の人々は、
なぜ自分の命を捨てて、ゼロ戦で敵艦に突っ込んでいったのじゃ?
上官が怖いからではないど。
アメリカ人が日本に押し寄せてきて、
自分の近所の人々や、妻や子供たちが、
めちゃくちゃにさると思ったからじゃ。
愛するものを奪われるくらいなら、
命を捨てて一矢報いたいと思ったからじゃ。
またまた話は変わるが、
その昔、日本の武士の精神を描いた2本のアメリカ映画が
ほぼ同時期に公開された。
1本は『ラスト・サムライ』
もう1本は『ゴーストドッグ』じゃ。
ごっつい制作費をかけたトム・クルーズ主演の映画
『ラスト・サムライ』は、どうしょもない駄作だが、
そのなにがダメかって、武士の精神に共感して戦うはずのトム・クルーズが、
武士の精神についてなーんもわかっとらんから、
まるで意味の分からない映画になっとるのじゃ。
一方『ゴーストドッグ』という予算のちっこい映画では、
『葉隠』までも登場し、ちゃーんと武士の精神を描いておった。
所詮、世界中を植民地支配して侵略してきた白人には、
「犠牲」を根本においた武士の精神など、
理解できるわけがないのじゃろうな。
それどころか、村一番のべっぴんさんの小雪を、
トムさん意気揚々とかっさらっていって、
悪びれてもいないんだからすごいのぅ。
あっそうだ。
日航機について書くっていってたのに、
またほかの話しちゃった!
すまんのぅ…。