想いをカタチにする社長 -312ページ目

ちょっと昔話?

” 出来ること ”

” 出来ること ” とは、今の自分が何も考えないで出来ることが、” 出来ること ” という意味ではない。


ちょっと、昔の自分のことを書きます。(ちょっと長文ですが・・・。)


初めて社会に、プロの世界に踏み込んだのは20歳でした。
偶然なのか(自分は必然と思っている)、ある縁があって、映画制作の現場で4番目の助監督として、
仕事をさせてもらえることになった。

専門学校や自主制作や、業界のバイトなどは経験しているものの、
プロの映画の世界は、どんな世界なのだろう。
どんなチャンスや厳しさや嬉しさがあるのだろう。。
なんて不安と期待が入り混じっていた。

この初めての仕事は、撮影準備から完成を含めて3ヶ月かかった。
(実際はもっと掛かっていたはずですが・・・・・。)

不安と期待。。。
結局、その3ヶ月の期間、自分は何もできませんでした。
多分、出演者も含めて100人位は、その作品にかかわっていたのでしょうが、
その中で、相当、貢献出来なかったと思います。
相当、迷惑をかけたと思います。
相当、使えなかった人材だったと思います。

そして、1番、弱気でネガティブでした。→これすると怒られるかな。怒られないようにしよう。
1番、自分のことしか考えていませんでした。→自分なりに一生懸命やってるのに、何で認めてくれないんだ。

こんな3ヶ月でした。
それでも、何とか食らいついていこうと必死でした。

とにかく一生懸命やろう。
そうすれば・・・・。
『お前、頑張っているな。』
『お前、少しは慣れてきたか。』
『お前、これも頼んだぞ。』

こうして、少しは認めてくれるのかな。 なんて思っていました。

が、

2ヶ月半は、全くそんな声は皆無でした。
理由は、数え切れないくらいあるのですが、
1番の理由は、
・思い切りがない
(怒られないようにすること以外、何も考えない姿勢。何でもビビッて、カッコつけて声を出さない)
・全て受身の姿勢(人から言われない限り、動かない)
・出来ることをしない(工夫がなく、同じ失敗を繰り返し、同じ落ち込み方をする)

あ、結構あげてしまいましたっ。汗。。。

何故、当時の自分はこんな自分だったのだろうか。。。

このブログを読んでくださっている皆さんは、もう、わかってらっしゃると思うので。。。

20歳の社会人1年目にしては、難題かもしれないが、
1年目だろうが、5年目だろうが、10年目だろうが、役割、給与は違えど、その仕事をして対価をもらえば、プロはプロ。
具体的なことがわからなくても、周囲が自分に求めていることを察し、仕事する姿勢を見せる。

もともと周囲は、当時の自分に ” スキル ” なんて期待していなかったと思います。
20歳の自分に周囲が期待していたのは、フレッシュで、行動的で、チャレンジ精神旺盛で、
失敗しても元気な顔で、自然と周囲も笑ってしまう。
明・元・素(明るく、元気に、素直に)だったかもしれません。

何かで助けてもらったら・・・・・・。

元気に 『ありがとうございますっ!助かりましたっ!』

何かでミスや迷惑をかけてしまったら・・・・。

元気に 『すみませんでしたっ!次、挽回しますっ!』

語弊はありますが、このような姿勢で3ヶ月、仕事をしていれば、自分自身も、周囲の自分に対する評価も変化していたと思います。

何故かというと・・・・・。

元気に『ありがとうございますっ!助かりましたっ!』と、本当に思える自分だったら、
その、助けてもらったことに感謝し、次は自分で出来るようにし、出来るようになったら、
元気に『●●さんのお陰で少しは出来るようになりましたっ!ありがとうございますっ!』 

元気に 『すみませんでしたっ!次、挽回しますっ!』と、本当に思える自分だったら、
その方に迷惑かけた時間や労力、気持ちを考えたら、しっかりこの教訓を生かして、どうすれば次、上手くいくのかなと必死に考える。そして、出来るようになるだけでは満足せずに、その人が『おい、助かったよ!ありがとう!』と言ってもらえるまで、とことん頑張る。その声をもらって、はじめて自分の”挽回します!”が達成すると。
そして、『●●さんのお陰です。ありがとうございました。』

相手も悪い気はしないと思う。

だから、『じゃあ、また教えてやるよ!』 となる。




僕は、ホントに、何もわかっていませんでした。(今もまだまだですが・・・。)




何故なら、先輩が自分にアドバイスをしてくれた内容は、そもそも、本来は僕が何年もの労力・時間・お金をかけて、経験して身につけなければいけないことのはず。
それを、先輩は自分の些細な頑張りを見てくれて、その先輩が経験した何年分の苦労・失敗・成功が詰まったノウハウを教えてくれている。

しかも無償で教えてくれた。

そんな当たり前の感謝の気持ちや、ラッキー(ちょっと軽いですが・・・。)と思うこともできず・・・・・。
本当に幼稚な20歳でした。
勿論、そのアドバイスが全て正しいかどうかの判断は、自己責任のもとですれば良いと思いますが。

当時の自分のスキルや経験や業務範囲では、現実的に考えて、自分のパフォーマンスが、直接、その映画の良し悪しを大きく左右はしなかったかもしれません。

ですが、自分の役割の中で最大限、工夫したり、明るい姿勢で何事も取り組み、1番元気な声で挨拶したり、メインスタッフ荷物を誰よりも持って、メインスタッフに気持ち良く仕事してもらえることをしたり・・・・・・。

いやぁ、ホントたくさんやることはありました。

年に何度か、当時のことを思い出して反省するときがあります。

上だろうが、下だろうが、皆、真剣に仕事をしていた。
すごく、鮮明に記憶している。
そんなプロの人達の中、20歳になっても子供の自分がいました。
厳しい仕事とか、楽しい仕事とか、そういう区分けではありません。
真剣に楽しむ世界でした。(だから、人によっては厳しいと言う人も・・・。)


デフ・グラウンドのスタイルの中で、

『 誰でも出来ることを、誰もが出来ないくらいやる。 』

ということを行動指針の1つとして、設立当時決めました。

この映画業界の体験と、その後の20代の自分の体験をもとに、
自分なりに教訓にしようと思って考えました。



今日は、ずらずらと書いてしまいました。
次回は、もっとまとめて書きますっ。。。