頭が痛い
もうすぐ12時半
息子は起きて来ない
なんとか
洗濯や台所仕事や
色々しながら
頭の中は
家の内外の壊れたところをどうしたらいいか
多すぎるものたちをどうしたらいいか
夫のこと
父のこと
義父母のこと
母親のこと
息子のこと
妹のこと
心からどうしても離れないこと
いろんなことを
かなり具体的にたくさん沢山無意識に考えていたみたい…
頭が痛い
酸欠みたいになって
気持ち悪い…
息子は起きて来ない
なんとか
洗濯や台所仕事や
色々しながら
頭の中は
家の内外の壊れたところをどうしたらいいか
多すぎるものたちをどうしたらいいか
夫のこと
父のこと
義父母のこと
母親のこと
息子のこと
妹のこと
心からどうしても離れないこと
いろんなことを
かなり具体的にたくさん沢山無意識に考えていたみたい…
頭が痛い
酸欠みたいになって
気持ち悪い…
親孝行娘の成れの果て
昨夜、息子は何時に眠ったのかな?
11時過ぎたけど、起きて来ない。
昨夜、息子はワンコ
の散歩もしたし
私がしゃがめないということで、夜のワンコのお世話もしてくれた。
前の日だって
しゃがめないと訴えていたのにやってはくれなかった。
相変わらず
ゲームばかりだけど
さすがに
膝に水がたまってると明らかになって
少しは気分が違うんだろうか。
私も
かつて
母親のつらそうな様子に
一念発起した。
小学1年の時に
母親が
学校の先生に復帰したことがきっかけで
自分が小学校から帰り
母親が
学校から帰宅するまでの間に
掃除をしたり
洗濯をしたり
弟妹の面倒をみて
がんばってた。
一生懸命
楽しみをみつけて
いいことさがししていた。
母は
学校が休みになると
夏休みこそ元気だったが
冬休みは
必ず扁桃腺をひどく腫らし口の中は
口内炎だらけ
喉をふさぐほど腫れた扁桃腺にも
口内炎のような白い出来物が出来て
本当につらそう
なのに
必ず父親が機嫌を悪くして家を出てなかなか帰宅せず
買い物も頼めないから
私が
母親にメモを書いてもらい食べ物や母の薬を買い物して
メモをみながら
わからないところは
母に聞いて書いてもらい
見ながら
両親と
父方の祖父と
私たち3人兄弟
全員の食事を作っていた。
父は
味噌汁しか作らないのか作れないのか知らないが。
父親を
あてにする気持ちは
全く起きなかった。
ただ、母は父親が必要らしかった。
さらに
追い討ちをかけるように
小学3年生の春休みには
母が大火傷して…
(長くなるので止めます)
そんな
私には
ぐれたり
反抗だけして
大変な母を助けようとしない
子供の気持ちはどうしてもわからなかった。
でも
結局
母も父も弟も妹も
なにひとつ変わらず
高校を出る時には
なんの夢も希望もない
ただ
ジコギセイだけの
脱け殻のようになっていた
父親の収入は
月に9万の時もあると
他の人には愚痴れない母親の愚痴をひとりきかされていてた私は
うわついた女子大生批判をフェイクに
就職し寮にに入り、夜間大学へ進学。
弟と妹は
専門学校に行かなければ社会に出るのは無理だろうから
その学費のためにも、と。
そんなふうに
18歳で家を出て
20年後
私の意に反して
この家に同居することになった。
…知らず知らず
私の中には不満?のようなものがたまりにたまっていたんだと思う。
大学に行っていたとしたら親元にいたであろう
4年間だけは
親に迷惑かけても
許してもらいたい
うつで寝込んでいた間
そう
ひとりで
言い訳をしていた。
その4年間が
母親には致命的な4年間になったのかもしれない。
2年せずに
たまりかねた母は
ついに
父親からも離れて
夢だったお店を開こうとした。
その直後、病気が発覚し
2年で亡くなってしまった。
私も
息子が家にこもり
そろそろ2年
そろそろ
病気が発覚し
2年たたずに死ぬのではないかと
どこかで思っている。
11時過ぎたけど、起きて来ない。
昨夜、息子はワンコ
の散歩もしたし私がしゃがめないということで、夜のワンコのお世話もしてくれた。
前の日だって
しゃがめないと訴えていたのにやってはくれなかった。
相変わらず
ゲームばかりだけど
さすがに
膝に水がたまってると明らかになって
少しは気分が違うんだろうか。
私も
かつて
母親のつらそうな様子に
一念発起した。
小学1年の時に
母親が
学校の先生に復帰したことがきっかけで
自分が小学校から帰り
母親が
学校から帰宅するまでの間に
掃除をしたり
洗濯をしたり
弟妹の面倒をみて
がんばってた。
一生懸命
楽しみをみつけて
いいことさがししていた。
母は
学校が休みになると
夏休みこそ元気だったが
冬休みは
必ず扁桃腺をひどく腫らし口の中は
口内炎だらけ
喉をふさぐほど腫れた扁桃腺にも
口内炎のような白い出来物が出来て
本当につらそう
なのに
必ず父親が機嫌を悪くして家を出てなかなか帰宅せず
買い物も頼めないから
私が
母親にメモを書いてもらい食べ物や母の薬を買い物して
メモをみながら
わからないところは
母に聞いて書いてもらい
見ながら
両親と
父方の祖父と
私たち3人兄弟
全員の食事を作っていた。
父は
味噌汁しか作らないのか作れないのか知らないが。
父親を
あてにする気持ちは
全く起きなかった。
ただ、母は父親が必要らしかった。
さらに
追い討ちをかけるように
小学3年生の春休みには
母が大火傷して…
(長くなるので止めます)
そんな
私には
ぐれたり
反抗だけして
大変な母を助けようとしない
子供の気持ちはどうしてもわからなかった。
でも
結局
母も父も弟も妹も
なにひとつ変わらず
高校を出る時には
なんの夢も希望もない
ただ
ジコギセイだけの
脱け殻のようになっていた
父親の収入は
月に9万の時もあると
他の人には愚痴れない母親の愚痴をひとりきかされていてた私は
うわついた女子大生批判をフェイクに
就職し寮にに入り、夜間大学へ進学。
弟と妹は
専門学校に行かなければ社会に出るのは無理だろうから
その学費のためにも、と。
そんなふうに
18歳で家を出て
20年後
私の意に反して
この家に同居することになった。
…知らず知らず
私の中には不満?のようなものがたまりにたまっていたんだと思う。
大学に行っていたとしたら親元にいたであろう
4年間だけは
親に迷惑かけても
許してもらいたい
うつで寝込んでいた間
そう
ひとりで
言い訳をしていた。
その4年間が
母親には致命的な4年間になったのかもしれない。
2年せずに
たまりかねた母は
ついに
父親からも離れて
夢だったお店を開こうとした。
その直後、病気が発覚し
2年で亡くなってしまった。
私も
息子が家にこもり
そろそろ2年
そろそろ
病気が発覚し
2年たたずに死ぬのではないかと
どこかで思っている。
