「巨神計画」シルヴァン・ヌーヴェル(佐田千織訳/創元SF文庫) | 水の中。

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ローズ・フランクリンは十一歳の誕生日に買ってもらった自転車を乗り回したくて仕方が無い。
夕方にそっと家を脱け出し、自転車をこぎ始めた――
そして次に意識が戻ったときには、金属の大きなてのひらの上にいたのだった。

 

 

 

 

という導入部から始まる本作、原題「SLEEPING GIANTS」。
えーとでもこの作品て全編にわたって面談記録形式なのですよね。
名無しの「プロジェクト責任者」(責任者とは本人も最後まで表現しませんが、実際彼しか責任者いねーわな)と登場人物たちとの会話によって、物語が語られていくという形式です。
私は今までの経験上、日記だとか書簡だとかのこのタイプの手法を「かったるいなー」と感じた記憶しか無かったのですが、本作は非常に語りが上手く、次から次へと「えっ、なんでまた?」「え、どうしてそうなる?」という報告がなされていて、面談を追いかける読者を飽きさせない。メインキャラクターの関係性も、単純なヒーロー×ヒロイン構造でなく、クセの強すぎるヒロイン、そして三角関係の痴情のもつれを入れてきたりするところが非常に上手いです。最後までハラハラ飽きずに読ませてしまう。

そして単なる巨大ロボットへのオマージュ作品かと思いきや、意外にもスタンダードなSF的な思想があるところが素晴らしいなーと思いました。
なんていうかですね、ものすごい意訳すると、「人類は小学校二年生から三年生になれるのか?!」というのがテーマなのだと思います。それとそれがどう違うのさ、と思いますよね。私もそう思います。でもまーそのくらいの進歩ができるのか? というのが本作で試されている巨大ロボットを発見した人類たちなわけです。

人類の手に余るこのテクノロジーをめぐって戦争が始まるのか? 

私個人としては、今までさほど意味のないテーマだと思っていました。争いなんてものはなくならない。自分と他者がいる以上、いさかいは絶えないものだし、当然ながら戦争だってその延長上にあるわけで、生物の社会的な進歩具合に「戦争しない」みたいな要素は判断基準にはならないだろう、と。
どうせ異星人と出会ったって、そいつが酸素すってないとか足で歩かないとかの相違で嫌いあったりモメたりするのだろうし、大差ないだろうと。

しかし本作を読了して考えてしまったのですが、それは自らの視点であって、恒星間を移動する技術を持ち、他の宇宙と交流が持てるレベルの知性体からしてみたらどうかというと、少々違いますね。
うーんそうだなーせめて惑星単位の意思統一つーか統一規格とか統一政府とか持ってくれてないと、付き合いもはかどらんわなーと。その規模になってみると、おんなじ系統の生物同士がムラでケンカばっかりしているレベルの原始人とは付き合いづらい。ていうか誰を窓口に付き合っていいのかすら分からない。なので考えてみたら、本作の結末は、人類滅亡を回避しただけでなく、実は大変なハッピーエンディングだったのかもしれません。
まあでも「人類が」この試練に打ち勝ったというよりも、「名無しのプロジェクト責任者」ひとりに帰する功績という気もいたしますが、そういう人物が生まれる下地が地球にあるとも言えるかもしれないしな。

なんにしてもワクワクしながら物を考えさせられる、近年稀にみる大傑作でした。映画化決定作品だそうですが、映像化するととても平凡な物語になってしまいそうな気がします。文字で読むほうが断然いいんじゃないかなー。