「道化の館」タナ・フレンチ(安藤由紀子訳/集英社文庫) | 水の中。

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かつて潜入捜査の為につくりあげた、架空の女子大生「アレクサンドラ・マディソン」。
DV対策課で冴えない日々をおくるキャシーは突然召集され、彼女が殺されたことを告げられる。
偽りの人物を演じ続け、そして殺されたこの女はいったい何者なのか?


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(結末について触れている部分がありますので、以下の記事はどうか読後の方のみ! お読みください。)



前作「悪意の森」 の主人公ロバートの相棒キャシーが今回の主役でございます。


偽りの身分を騙りつづけていた、自分そっくりの女。
このアレクサンドラ――愛称「レクシー」を殺した犯人を探るために、彼女が四人の親友たちと暮らしていたホワイトソーン館へと「潜入」するわけですね。
作中でも言及されているとおり、荒唐無稽な作戦ですが(そもそも殺人事件で潜入って……)、捜査としてアリエネーヨという話はさておき、物凄く面白い物語でした。



擬似家族と言っていいほど親密な、トリニティーの院生仲間である五人。
ダニエル、アビー、レイフ、ジャスティン。彼らはそれぞれに問題を抱え、決して外交的な人物ではないのですが、仲間うちでは気をゆるしてすべてを共有し、まるで自分たちの末の妹であるかのようにキャシー演じるレクシーにも細やかな愛情をしめすのですね。
自分たち以外とは馴れ合わない彼らと、浮世離れした古い館での暮らしに魅せられ、しだいに「レクシー」の生活から離れがたくなるキャシー。



読み手である私もキャシーと同様に、レクシーと親友たちの親密な暮らしに感情移入し、これがこのまま続いていけばいいのになー、と思ったりするわけですが……しかし。



しかしなー、いくら感情移入したとしてもキャシーの「最後の選択」はちょっとなー、受け入れられないわー。



五人の仲間たちのリーダー格であるダニエルに追い込まれて選択させられた、という流れではありますが、キャシー本人は気づいていたことであり、あれは納得しての行動であったと思われます。

つまりキャシーがしたことは、感傷的になってダニエルの意向を受け入れただけのことで、


① レクシー殺しの真犯人を隠し、
② まったく別の人物の命を奪った


というだけではないですか。いいのか刑事がそれで。いったいこれの何が解決なの?

うーん。私が上司フランクであったなら、そんな刑事は遥か遠くに左遷するがなー。
もしも本当にキャシーがレクシーであり、彼らの仲間のひとりであったのなら、ダニエルのワガママを受け入れてやることもアリかもしれませんが……刑事がそれではダメだ。だって真実を隠蔽してよい理由なんて、ひとつだって無いではないですか。



真犯人は、罪を償うこともなく、二人分の死を抱えて何事もなかったように生きていくの?
ダニエルは本当にあれでいいの? 



うわー、すんごいモヤモヤするんですけど!!
刑事の職業倫理としても疑問であるし、ひとりの年長者の判断(キャシーは彼らより人生経験のある大人じゃないすか)としても疑問です。
初めて理解され、初めて受け入れ、あたたかい家庭というものを知った五人。しかしそれは永遠ではなく、いずれ自分たち以外の誰かを愛するようにも、互いから心が離れることもありうるわけで。人生はもっとずっと長く続いていくし、二十代の今はムリなことであっても、時がたてばすべてが変わっていくこともある。それもすべて「生きてさえいれば」のことで。
キャシーが本来担うべき役割は、真実を明らかにして、彼らに「たとえ終わりが訪れても、変わっていけるのだ」という可能性を残すことであったはずなのですが――



別人の人生を生きるこの潜入捜査によって、キャシー自身はようやく前作での心の傷に決着をつけられて、それについてはよかったわけなのですが……肝心の事件がなあ……。
なんだかなー、物語るのがとても上手い作者さんであるだけに、この事件の落としどころについては、非常に疑問を感じます。


主人公キャシーに対してというよりも、うーんと、こう言ってはなんですが、作者さん自身に対して、どうにもこうにも腑に落ちないのですよ。
前作の結末といい、今回といい、なんでこんなふうにするのだろう?
陰影ある実在感のある人物を創造することができて、これほど情感豊かに面白い物語を書ける作者さんが、どうしてこのような選択をするのか、不思議でならないのですよね……。


作品レビューに直接関わりのあることではなくて申し訳ないのですが……。


いったい、作者さんは作者としてこの物語のどの部分を楽しんでいるのでしょう? 
どうにもならない人生に振り回される悲しさ? 失うことの美しさみたいなもの? 


前作といい、本作といい、何と言うかこう、割り切れない気持ちが残る物語たちなのですよね……。