「ヴェロシティ」ディーン・クーンツ(田中一江訳/講談社文庫) | 水の中。

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目立たない、高望みをしない、贅沢を言わない――他人とかかわることを避け、バーで働くビリー。
ある日のこと、車のワイパーに挟まれていた脅迫状が、平凡な日常を破滅へと加速させていく。
周囲で起こり始めた殺人は、いったい誰のたくらみなのか?


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~をすれば○○を殺し、
~をしなければ○○を殺す。お前が選べ。



このタイプの脅迫は、映画「ダークナイト」を思い出させますが、これについては「卑怯なのは選択させる脅迫者である」というのは誰の目にも明らかであるわけで。
しかし本作の脅迫者がより巧妙であるのは、良心の痛みで相手にダメージを与えるだけでなく、ビリーが警察へ駆け込んだりしないよう、ビリー自身が犯人であるかのような証拠を残したり、自宅に死体をころがしたりする(←これ一番イヤ!)わけです。


面白いのは、ビリーがこういった境遇に置かれて始めて「自分がいかに危険な状態なのか」を認識するところですね。
ある理由から、他人に気を許せず、誰とも深く関わらず生きてきたビリーには、頼る相手がひとりもいない――それどころか、顔見知りは脅迫者かもしれない。
本当の本当にひとりきり。
ひとりきりで、この脅迫者に立ち向かわなくてはならないのだと思い知るわけです。



いやー、これはすごい緊張感ですね。
実際のところ、犯人は「ハア?」みたいな部分がありまして、謎解きのできる種類の物語ではないのですが、このテーマ設定は素晴らしい。いやもう、そういうの大好物です!!



ところで、物語自体の決着はさておき、エピローグに気になる(個人的に)描写がありましてですね。
ビリーが周囲の人々とかかわり始めるラストについては、詳しく書かれていないところなのですが、今まで他人とかかわることを避けてきた男の周囲に、「人々が集まるようになる」って、どういうことだろう?
詳しく書かれていない部分なのですが、ビリーはどう変わったのだろう?
うーん、対人スキルつーのは積み重ねによってしか磨かれないしなー、そんな急に人気者になれるもんか? という部分が気になりまして。いやそんなの気にするひと自分だけという気もしますけども、気になりまして。



たぶん、ですが。
主人公ビリーが、いきなり陽気になったとかではなくて。
他人に弱みをみせたり、他人に助けを求めることができるようになったのではないかなー。
他人に気をゆるすことができるようになったから、他人からも打ち解けてもらえるようになったのではないかなー。
なんだかそんな風に思われます。



(しかしクーンツ作品て、たくさん読んでいるようでいて思い出せないですね。「戦慄のシャドウファイア」とか、邦題にインパクトがあるのしか思い出せない……ていうかミドルネームのRが無いの、物足りなくないですか……?)