サトウユウイチのごすぺる放浪記 -716ページ目

面白くない? いや、これは進化なのだ!!

 フィギュア・スケートの女子は、SPで5点差をつけたキム選手が、予想どおり浅田選手に大差をつけて金メダルに輝いた。


 男子の競技が終わった時点で、mixi時代からおつきあいさせていただいている「たっき~師匠」(いや、今は「浮高亭瓢箪先生でしたな。)が「メダル以上の価値」という題で日記を書いているので、「きっこの日記」の孫引きも合わせて、次に掲載させていただきます。


『愛国通信』


(以下、引用)


先日、「きっこの日記」の中にいい言葉があったので、以下、一部を勝手に引用させていただくが、スノボーの国母選手に関しての文章だった。私も彼女の意見に同感である。

≪あたしは、カッコ良さの順位って、1番目が「難易度の高い技にチャレンジして成功する」、2番目が「難易度の高い技にチャレンジして失敗する」、3番目が「無難な技に変更して成功する」、4番目が「無難な技に変更したのに失敗する」ってふうに並んでると思ってる。だけど、得点で言うと、2番よりも3番のほうが高くなる。だから、いろんな競技で、2番よりも3番を選択するチームや選手がいるんだろうけど、あたしの感覚だと、得点のために無難な技に変更するなんて、これほどダサいことはない。≫

オリンピックで「メダル」を獲るか獲らないかということは、それなりに大事なことなのだろうけれど、スポーツ選手の本当の価値というのは、「結果より過程」ではなかろうか…ということではあるまいか。

無難に完璧な演技をしてメダルにありつくよりは、果敢に挑戦してメダルを失なう方が私には胸を打つのである。
スポーツ選手の心の中に「高貴なる精神、宿れ!」と願うのは、多くの人の想いでもあるだろう。

(引用ここまで)


 たっき~師匠(こちらのほうが呼びやすいので…)は学識、見識ともに僕をはるかに凌駕するので、たいていは彼の言葉にただただうなずくだけなのだけど、たまに反論したくなります。

 そのため、僕のブログに登場していただくときは、まずまちがいなく、異見をのべるときばかりになってしまいます。すみません。



 トリノからバンクーバーまで、安藤選手を中心にしてフィギュア・スケートを見続けていて感じたことは、スケート連盟はフィギュア・スケートという競技の流れを変える必要を感じ、それを具体化するためにルールを改正し、それに成功したということだ。


 トリノまでのフィギュアを見ていて僕が不思議だったのは、なぜ選手はあんなに転ぶんだろうか、ということだった。

 それは、自分にできるギリギリの難易度のジャンプに挑戦していたからだ。


 ひとことで言ってしまうと、フィギュア・スケートとは、いちかばちかのジャンプに挑戦し、成功すれば金メダル、失敗すれば全てを失うという、ギャンブルのような競技だったのだ。


 それを、ふたたび本来の、スケートの滑りの正しさと美しさを競う競技にもどすために、一連のルール改正が行われたのではないかと思う。


 その証拠に、フィギュア・スケートという競技は格段に美しいものになった。



 キム選手およびその陣営は、そのIOCの「哲学」を正確に理解し、それに沿うプログラムを作り上げ、勝利した。


 あくまでもジャンプにこだわった浅田選手が敗れたのは当然のことだ。


 自分以上の才能の持ち主である、と自らも認める浅田選手がキム選手と同じ方針で試合にのぞんでくれば、勝負の行方はまったくわからなかったはずだ。


 しかし、浅田選手の陣営は、「フィギュア・スケートに美しさを取り戻したい」という意思を理解しなかった。


 あるいは、理解したうえで、その理念に挑戦したのか。


 この構図は、あくまでも4回転ジャンプにこだわったプルシェンコ選手がライザチェック選手に勝てなかった男子の結果と、まったく同じものだ。



 4年前、金メダルをとった荒川選手がこだわりを見せたのはジャンプではなく、採点の対象にはならないが自分をもっとも美しくみせることができるイナバウアーだった。


 予想外の高得点をあげた荒川選手を追い抜くため、スルツカヤ選手をはじめとした優勝候補の選手達は、勝つために高難易度のジャンプに挑戦し、散っていった。


 これは僕の勝手な私見だが、IOCはあのとき、目が覚めたのではないかと思う。


 自分たちが心から愛するフィギュア・スケートが、これほどまでに見苦しいものになっていたのか、と。


 そのころ、浅田選手は3回転のコンビネーション・ジャンプによって一躍世界の寵児となり、ライバルのキム選手は演技にさかんにイナバウアーを取り入れていた。


 残酷で皮肉屋の勝利の女神は、もしかすると、あの時すでに今回の結果を頭に思い描いていたのかもしれない。



 ことわっておくが、同じ競技でもスノーボードとなれば話は別だ。


 あれのジャンプは、いちかばちかの勝負に果敢に挑戦するところに価値がある。


 その点では、師匠やきっこさんの意見に全くの同意見である。


 つまるところ、何か大切かということは、時と場合によってまったく異なるのである。


 国母選手の入賞、立派な成績だったと思う。



 そうそう、書き忘れていたが、僕の友人のなかには「相手の動向によって左右される要素がないものはつまらなく感じてしまう」という理由で、ショートトラックが好き、という人もいる。


 先頭集団がみんな転倒して、最後尾を走っていた選手が金メダル、という珍事があった競技だ。


 「相手の失策による棚ぼた勝利もありうる競技こそ、もっとも自分の好みにあっている」というのだから、人の好みってのは、ホントそれぞれである。