ブンガワン・ソロ
今日は、ホワイト・デーなんだそうですけど、
この「ごすぺる放浪記」は、いつものとおり、たんたんと行きましょう。
もっとも、「いつもの『ごすぺる放浪記』って、どんなの?」と聞かれると困っちゃいますけど。
先日、「合唱の教室」がらみでメールがありまして、
こんど新しく「ブンガワン・ソロ」という曲を歌うことになったそうです。
インドネシアの演歌とでもいったらいいのかな?
「クロンチョン」というジャンルの曲なんだそうで、
youtubeで少し聴いてみましたけど、
歌の世界とは、本当に広くて深いですね。
今日は、受難節の第4主日。
礼拝説教の内容を、備忘録として今日も書いておきましょう。
聖書箇所は「マルコによる福音書」9章2節~8節。
イエスは、弟子達の中からペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れて高い山に登る。
「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕もおよばぬほど白くなった。」(マルコ9章3節)
「雲があらわれて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け』」(マルコ9章7節)
説教題は「神秘と現実と」。
イエスは、神か、人か?
聖書は、イエスはまことの神にして、まことの人である、と書いてある。
イエスは神でもあり、人でもある。
神としてのイエスが描かれた部分は、とうてい頭で理解できる箇所ではない。
しかし、私達は、わかる部分だけでなく、わからない部分も受け入れなければならない。
正しい信仰とは必ず、神秘(理想)と現実の両面を持つ。
人は、理想と現実を両方受け入れることで、正しく生きることができる。
神としてのイエスを仰ぎ見つつ、人としてのイエスを模範として生きてゆく。
言葉を変えると、信仰を持った世俗の人として生きてゆく。
(理想を持って、普通の人生を生きてゆく。←ユーリの解釈)
そのような人は、現実を乗り越えて生きてゆくことができる。
以前、北見に住んでいたときに仲良くしていて、
絵の勉強のためにイタリアに旅立って行った女の子がいたのですが、
今日たまたま、そのお母さんとお会いすることができて、
奇しくも、彼女が高校時代に残した作品を前にして、その消息を聞くことができました。
人と人とのつながりは、時々不思議なあやを垣間見せるものですね。
