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Deepolive のブログ

いつの時代も大変だから、今より3年先を思いながら今日を生きよう。小さな会社の社長のブログです。

最近、

 

台風についてのさまざまな警告で、交通機関もお店も早めにお休みになる。

仕方ないと思うのは、たった一年前の台風や大雨とは怖さのレベルが違うと本能で感じるからだけど、

予定の仕事を一通り終わらせ、部屋もお掃除終わってしまうと、時間が残ってしまう。

 

なので、

CSを観たりするのだが、

昔、地上波しかなかった頃のCMとちがい、

なんとまあ~、ストーリー性の乏しい、

買え買え買え、、、の通販CMが膨れ上がっていることか、ちがう?

わたしは、非常に悲しくなる。たしか、お代金払っているはず。

なのにこんなに通販CM、とくに健康食品さまざまや、

化粧品さまざまを次々どんどん流し続けるなんて。

しかし!

すごいんだね~~~テレビ見ながらテレビから健康や美貌を手に入れたい人、

多いってことなんだろう~~~。か。

ただ、ちょっと、どうかと思うのは、

ねこもしゃくしも、プラセンタ、、、胎盤胎盤って言い過ぎ。ちがう?

わたしにはよくわからんわ。。。。なぜに、そんなにぷるぷるでないといかんのだ??

若く見えるとはそういうことなのか、かなり疑問がある。頭の中はどうなんだ?と尋ねたい。

 

改めて、

自分が、テレビを楽しんで見れていたちょっと、

やく15年くらい前とは全く違うメディアになっていることを、

痛感する。

 

じだいの流れなのでしょうがないだろう、、、

 

でも、たまにはいいこともあり、

「孤独のグルメ」を、今回、初めて見ることができた!面白かった!いいですね、五郎(漢字はこれ?)さん。

 

わたしも同じ気持ちになることが多かった、でも、五郎さんのように実行できなかった日々が長いので、

いのかしらごろうさん、、マイぺでいい~~!って思う。

 

わたしは、

ひとりごはんに全く抵抗がないうえ、ワインも、食事も、どちらかというと

ひとりのほうが味を感じられる。(外国でも一人でいっちゃう。)

 

かきこむ昼飯、夕飯の日々が長く、食べるのが遅い私には、ずっとそれが苦痛だった。

その反動もあって、いまはゆっくり夕食をとれるときはゆっくりいただいている。また、いつか、早飯もするだろうから!(^^)!

 

そんなこんなで、来週はまた台風が来るらしいから、

台風情報だけチェックして、好きな番組はあらかじめ録画して、

申し訳ないが、胎盤を連呼する通販CMはスキップさせてもらいながら、番組を楽しむことにする。

自分なりの付き合い方を見つければ、テレビも面白いね。やっと対策できたよ~~。

 

 

徒然に、、、

 

~フィレンツェの街を見下ろすミケランジェロ広場を訪ねたときは、雨上りの夕方だったか、、

ダビデ像のレプリカが素晴らしかった。ミケランジェロって、、、本当にすごい。旅の中で、

いくつものミケランジェロに会えた。何時間でも見ていたい、そう思った。~

 

それではみなさん、またです。

 

 

 

 

 

 

ずっと催事があったので、トレの頭になれず、

本当に私は不器用だ。ぜんぜんだめ、ジムに行かなかった。

 

月末で、来月の数字をやっつけて落ち着いたので、

どこまでできるかわからないがやらねばならない減量、、、。

2週間はやらないとなあ~~~。と思っている。トレから離れると気が重い。体も重い。笑い事じゃない!

 

9月は雨が多くものすごく多く怖いくらい多く

まるでスコールの連発でもはや亜熱帯、日本は新型の気候のような雰囲気。

またタイフーン。。すべてがあがったり。でも、

 

負けないで、ぜったいとりかえしてやる。いま出展してる人たち、がんばれ~~!!

 

わたしは、

このタイフーンが過ぎ去ったら

大好きな多摩川を下ろう。走って。

 

それではみなさんまたです。

 

徒然に。。。。

 

 

6月の旅で、ベネチアを後にするとき、実はほっとした気持だった。この都市は、貿易による栄華の歴史が眩すぎて、

その陰の部分はとっても怖い昏い感じがした。息が詰まって入っていけない空間があった。一方、

次回はぜひトルコとその近辺、東欧そこからロシアにも行ってみたいと思わせてくれた。

地中海は奥が深い。んだね。西にも東にもそして北にも南にも繋がっていく道が見えた気がした。

やっぱり、ダンテ。もうちょっと読んでおくんだった。もっと勉強しないとなあ~~と反省したのだが、

水上タクシーで大揺れに揺らされ瞬く間に思考も決心も途切れた。最近振り返る。旅が終わってまた勉強。~

 

 

10月もよろしくです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い長い夏が続いています。皆さんお元気ですか。

 

今日から9月、がんばっていこう。

 

8月、

 

この20年というもの夏に帰省できず、夏が一番大変なのに全くお寺を手伝わず、気がかりでした。

今年は帰りました。

 

広島の学校に行っていた頃も夏は塾だったり旅だったり、

まともに墓掃除もしなかった。振り返ると親不孝。

今回は先代代々の墓地を、母と時間をかけてお世話した。

その時、まったくどうして私はこれまで訪ねることもしなかったのだろうと、今にして思うのだが、

原爆で殺された祖父の話を聞いた。

 

祖父は東洋大学哲学科を卒業し東京で教師をしていた。

兄が住職をしていたが若いまま亡くなり、祖父が東京から戻り、継いだ。

大東亜戦争末期昭和20年春に陸軍に召集された当時、子供は5人、

祖母は末の叔父を身ごもっていた。8月6日東南アジアへ向かう前の駐屯地、広島で爆死。

祖母は身重のため広島に入っていない。父はその年11歳。祖母は父が駒沢を卒業するまで住職代行。

 

祖父は父が生まれた昭和9年に195段の石段を作った。

車社会になって参道は拡幅され整備されていくがそれまでは畦道のような里道。

石段ができてとってかわる。生まれたときから在って、毎日昇り降りし、

草取りや落ち葉ひろいのときは祖母や母と妹とお茶休みに腰掛けた石段。昇り終えたら本堂。

 

もし生きていたら、祖父はどのように整備を進めたのだろう、と、母の話を聞きながら思った。

もし生きていたら、父を導き諭し学ばせ、二人でお寺をやっていただろう。そのように受け継がれるものだから、

そうなっただろう。

そして、私の好きな中野の哲学堂の風景を思った。

原爆で殺されたこと以外ほとんど知らなかった遠い祖父が、

息遣いのあった存在として私の中で一気に近づき、命になった。

 

わたしの家は4世、住職を務め、おそらく父が最後。

次代にお渡しするため、今準備している。

 

開山のときの一世の住職の墓は、こちらだと母が教えてくれた墓石は、

鎌倉末期なのかまあその頃だろう、まったくもってプリミティブで、

大石がでん!と立っているだけ。墓地の一番東に位置する。

思いを馳せるには長すぎる時間の流れ。時代の中でそれぞれに、

務めてきた先代たちの紆余曲折の道が、白く揺らいで見えた気がした。

 

わたしは、

これからどうやって生きていこう。

 

問いかけてもあるのは空だけで、自分の胸に帰ってくるだけ。

このまままいにち、

ちょっとづつ、

やっていこう。それしかないな。

 

それではみなさん

 

9月

 

がんばっていきましょうね!わたしもがんばります。