本当は自分などいないとわかってしまってからの
「自分」に対する愛おしさって、
もう言葉で表現できるレベルを遥かに超えている。
ある人との会話で、私の気持ちを理解してくれてないなって感じた。
大したことではなく些細なことなんだけど、
ストレスと怒りと、ちょっと悲しい気持ちが湧いてきて、
今日、その出来事を反芻しながらショッピングセンターを歩いていたら、突然景色が反転した。
“あの”景色がまた、目の前にバーって現れた。
「私がいない」という景色
この世界に「私」なんて、
個人なんていないじゃん。
そしたら急にさっきまで感じていた、
「私の気持ちをわかってくれなくて悲しい」
という感情が、
とてつもなく、とてつもなく
愛おしくて仕方なくて、
その場にへたり込んで
ワンワン泣き出したくなった。
ショッピングセンターだったので冷静さを保ったけど、一人の場所だったら涙が止まらなかっただろう。
ワンネスなのに、個を体験できるということがどれほどの奇跡か。
他人なんていないのに
「誰かにわかってもらえなくて悲しい」
という体験をさせてもらえている奇跡😭
個がないのに、
「私」はいないのに、今「私」を体験している。
いないはずの「私」を感じている。
ワンネスの私が「個」を体験するという奇跡を生きてきたんだ、今までずっと。
理解されないとか、会えないとか、
気まずいとか、何かが手に入らないとか、
なんて、なんて、愛おしい感情なんだろう🥹💖💖💖
「私」を体験している。
「私」が愛おしくてしかたない。
「私」という体験の全てが奇跡で喜びとは、こういうことだったのか。
私は、生まれたその日からずっと奇跡を生きてきた。
悟りの体験を与えるエーカムシッディ会にて。
シドニーの仲間みんなめっちゃ良い顔してる💓
オークリーヒロコ