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業務連絡

4月に向けて

私のチームに新メンバーが加入する予定だ。


候補者は、3人。


国籍は、バラバラであり、
実力本位で勝ち抜いてきた候補者ばかりだ。



恐らく
カレラにとって、最終試験は、

今まで経験したことの無い試練だと予想される。


詳細は、企業秘密なので明かすことは叶わないが、

軍事訓練などの過酷なプログラムを課され、肉体的・精神的限界に、如何に対応・対処し、問題解決していくかを見極めるテストだ。

この最終プログラムは、チームのリクエストを元に、他社で、作っていただいたものであるので


勿論

採用責任者として、2年に1度、私が身を持って体験することにしている。




当人たちには、知らせていないが、

3人全員合格することもあれば、

3人不合格という可能性もある。


カレラにとって朗報をお伝えできることを望んでいる。





ところで、

今回も、

残念ながら、日本人は選考から漏れてしまった。



毎回、メンバー選考には、
日本人が候補に挙がるのだが、


最終段階の手前の面接で、
いつも落選してしまう。



個人的には、非常に残念だ。


決して実力がないという理由で落選しているわけではない。


私は

同じ国籍であるため、日本人の面接に関わることは出来ないが、


面接を行ったメンバーたちに感想を訊いたことがある。

幾つかのコメントに共通点を見出だすことができた。



「仕事にプレッシャーを自身にかけるのは誰しもやることだが、



自分の人生に

幾つかの“負荷”をかけて生きてきていない様に感じる。」

とのこと。



外見上、日本人は童顔に見られてしまう嫌いがあるのは事実である。


(私自身、自分で言うのも何だが、今でも、同僚と新しいパブで、店員に年齢を尋ねられることがある。)





しかしながら、ここで面接官たちが言いたいのは、

外見や語学力についてではなく、



“自分”には、他人に無い

“秘密兵器”を持ち合わせているとアピールすることが欠如しているというのだ。



自身の人生に対して、情熱的に語ることは必要なことである。

それを他者に

logical、論理的に説明し、
数値化した統計により実証し、説得していくという作業が、苦手なのかもしれない。



周りがどう感じ、どう言おうとも、


率直に、情熱的に


『ワタシは、こういう人間だ』と主張することに

外国人は、特にこだわるモノだ。






以前

Londonのパブで、同僚たちに


泥酔した私が、カレラに

好きな詩の一節を披露したらしい。


(私には、全く記憶がないのだが…………。)





『この顔は

かなしみに耐えた顔である。


この顔は

くるしみに耐えた顔である。


この顔は

人の世のさまざまな批判にじっと耐えた顔である。



そして、

そのことも

弁解しない顔である。



息子よ


こんな顔で生きて欲しい。

娘よ


こんな顔の若者とめぐり逢って欲しい。






「こんな顔で」(抜粋) 相田みつをさん




次の日

二日酔いで頭痛の酷い私に対して、


日本の文学や芸術について好奇心に駆られるカレラからの質問攻めに苦慮したものだ。





敢えて

「慢心はいけないが」と、先に述べさせていただく。


大変な時期にあるからこそ言わねばならない。



日本人は、

自らが築き上げてきた文化・文明に自信を持って臨んで欲しい。


決して自慢するという意味ではなく、


先輩の日本人が培ってきたものを確り受け取り、

子供たちへと受け継がれていくことを真剣に実行していく作業を怠ってはいけない。




私は、

“ニホンジン”として異国の方に

今後も、ワタシを通して“日本”を伝えていきたい。



経済学者のJ.S.ミルの言葉を拝借すると


『自分達とは異なる考え方や行動する人々と接触することは、

人間の向上にとって

この上ない最高に価値あることだ。』



私自身、仕事柄、遠いイギリスLondonにて、

金融という生業を通じて、
異国の方、文化・文明に触れ

自身は、日本のそれを“私”を通して

異国の方に触れていただいている。


新しい知識や文化を伝える~~~~


この行為は、他者と知り合うことで、

自分は、己(日本を)を知ることになるのだ。


故に、

大人になっても忘れないスタンス


『聞くは、一時の恥。

聞かぬは、一生の恥。』



好奇心の探求に対して、ワタシはいつまでも、この姿勢で挑みたい。








長々と書き綴ってしまったが、漸く到着しそうだ。

Pjは、日本上空である。




地上に降りたったら、其のまま埼玉へ直行だ。









amaimono






What have you done for lately ?



2012.3.11

Londonにて、この日を迎えた。


1年前、

早朝、

ロンドンの自宅で

電源が入りっぱなしだが、普段、あまり使用することの無い衛星携帯電話の耳障りなフラッシュ音が、けたたましく家中に鳴り響いた。



その瞬間からの長い1日を今でも鮮明に憶えている。


同時に、この日が


2001.9.11に抱いた同様の思いが襲いかかり、ワタシを支配し続けた1日でもあった。



オフィスのあらゆるモニターに映し出される映像は、
信じがたいモノで、

私の心理状態は、最悪だった。






2001.9.11



私は、


ニューヨーク
ワールドトレードセンタービルで働いていた友人たちを喪った。



そして、

昨年の3.11

私の母国の同胞を一瞬にして飲み込んでいった津波をただただ見ているしかない自分は、

現実を理解できず、

いや

リカイスルコトを拒否し、怒りに震えていた。



時間が立つにつれ、2001年に感じたあるオモイが私の心を襲ってきた。



其の場所

其の瞬間

立ち会い、対応して行動できず、

寄り添うことさえも叶わない悔恨とも言うべき感情………………。



『うしろめたさ』である。



その時、

何故、

ワタシは、日本に居なかったのか?



自責の念は、心の中の片隅で、凝りのように消えること無く居座り、

脳裏の記憶のスイッチを押す。

故に、

この世に生を成す限り

忘れることはないだろう。



更に、毎日、自分に問い続けていきたい。





What have you done for me lately ?

(最近、自分のために、何をしてくれたか?)


ではなく、


What can I do for someone ?


(誰かのために、自分は、何が出来るのか?)











amaimono





走れ!ペンギン!?走れ!!イカ娘!?!?

先の日曜日

東京マラソンを路上観戦した。

交通規制の制限が昔から厳しかった東京で

ロンドンマラソンのように、市民マラソンとして行われていることは感慨深い。


“42.195㎞”



マラソンの正式距離が決まったのは

1908年第4回ロンドンオリンピックからである。

実に、104年前のことだ。

(何故、40km+2.195km=42.195kmになったかについては、御自身でお調べ下さい。

好奇心は、人生を豊かにしますから…………ニコニコ)



私自身

8年前、ロンドンマラソンに挑戦した。

本番に備えたトレーニングは、実に苦しいものだった。

しかし、

5km→10km→20km→40kmと地道に距離を延長しながらの訓練は


自身の人生を重ね合わせながら、歩んできた道程を冷静に振り返ることが出来た貴重な時間だった。


優秀なトレーナーのお陰で、目標の4時間を切ることが出来たが、


流石に、今走れ!と言われても、仕事が多忙で、下準備に時間を割くことは叶わないだろう。


(言い訳になってしまうが、老骨に鞭を打つ勇気が無いのは否めないガーンガーンガーン)



東京マラソンについてだが、ロンドンマラソン同様、チャリティーマラソンを実施していることは、素晴らしい取り組みだと感じる。


40kmを走ると実感できるが、

最初は、自己との戦い、チャレンジという心構えに位置するが、

其のアトにくるモノは

“自分の想像を越えたナニか”が発現する。


生理学的には、疲れの波と連動して、エンドルフィンが産み出す“セカンドウインド”が覚醒して

更なるヤル気を起こさせる。

心理的には、その肉体的連鎖の中で、新たな思考を創造するキッカケを見つけることが出来た。



Kのキャプテンは

壮快で気持ち良さそうに、清々しい笑顔で疾走していた。



自分のために


誰かのために



日々実感できること


ワタシも常に共有して往きたい。



但し、


“マラソン”と訊いて

『走れメロス』を連想することは、私には、考えづらい。


確かに、ストーリーは素晴らしいが、


彼の発想の動機を知っている私には、少々興醒めだからだ。


まぁ、読書好きの私にとって

カレは

反面教師として尊敬してはいるが……………。










amaimono